第17話 約束の日までに
「お母さん、話があるんだけど」
「やだ色葉ちゃん。そんなにかしこまってどうしたの!?」
葉月が帰ってしばらく経った静かなリビングダイニング。私はは家計簿をつけている母の向かいに座った。
――食べることが大好きな私が、こんなことを母にお願いする日が来るだなんて。一歩間違えたら母の気を悪くしかねないお願いなので、きちんと膝をそろえた。
「今度からお弁当を、その、少し減らして欲しいの」
「ええええっ!?」
母はガラスを揺さぶるほどの大きな声を出して立ち上がると、そのまま竹とんぼのようにくるくる回ってソファーに倒れ込んだ。ショックで気絶したのかと思ったけど、目はしっかりと開いてはいる。
「お、お母さん、大丈夫?」
思わず駆け寄ると、母はまるで立て付けの悪くなった扉のように、ぎこちなく私の方を向いた。顔がどことなく青い。
「色葉ちゃんこそ大丈夫なの? そんな、食いしん坊があなたの取り柄なのに。ああそうだ、小児科行きましょう。お医者様に診てもらわないと」
まさかただの食いしん坊だと思われてたとは。まあ、母のご飯は何もかも美味しいし、能力を使うとお腹が減ることにかこつけて少々食べすぎている自覚はある。
「行くならさすがにもう内科じゃないかな。いやいや、別に具合が悪いわけじゃなくて。ほんとに病院はいいから」
言い繕ったけれど、母はまったく引き下がらなかった。
「でも、もしもってこともあるわよ!? 食欲がないなら念のために診てもらったほうが……だって、あなたにもしものことがあったら……私……」
母は頭を抱えた。食欲がないというだけでこのリアクションは大袈裟だと思われるかも知れないけど、遅くにできたひとりっ子の私に母はちょっと過保護気味なのだ。別に心配をかけるつもりはなかったんだけど、ちょっとした罪悪感が。
しかし病院に連れて行かれたところで、さすがのお医者さんにも……恋
ううむ。でも、いったいどこから説明すればいいのか。一から十までを打ち明けるのは、いくら母と仲良しでも少し恥ずかしかった。
◆
時をさかのぼること一時間前。
「えっと、あの、その、もし翠川くんさえよかったらなんだけど……こ、今度の休み、いや、今度じゃなくてもいいんだけど、一緒にどこかに出かけませんか!?」
葉月にそそのかされてではあるけれど、とうとう言ってしまった。
あまりにも緊張しすぎて、握りしめていた葉月の制服を赤やら橙やらに染めながらだけど、
この私が、生まれて初めて男子を、ましてや学園の王子様を、
で、デートに、誘ってしまった。
決死の覚悟で突っ込んだのに、電波の向こうからは返事ではなく、ゴトンと大きな音がした。どうやら翠川くんがスマホを取り落としてしまったらしい。
私のすぐ横で、スピーカーフォンに捕まらないように息を殺していた葉月が、眼を見開いてものすごい形相になっている。ドンと沈黙が横たわるなか、葉月の顔がみるみる赤くなっていく。私は別に何もしていないけれど。
『ご、ごめ、て、手が、すべっ……あ、あのっ、ぼ、僕なんかが、そのっ、えっと、ごめん』
葉月が酸欠になるのではと本気で心配になった頃、ようやく翠川くんから応答があった。ただ、全然質問の答えになってない。私からの無茶振りに困惑しているのは明らかだった。
「あの!? 君!? 行くの!? 行かないの!?」
とうとう息を止めていられなくなったのか、葉月が猛犬のごとく吠える。想定外の事態に今度は私がスマホを放り投げそうになった。
「ちょっと! 葉月!!」
お願いだから息だけをして、息だけを!!
慌てた私の手でベッドに押し付けられた葉月は、踏んづけられたカエルみたいな変な声を出した。
『えっ? 今の草壁さんじゃないよね?? だ、だれ??』
第三者の存在に気づいて、当然うろたえる翠川くん。
「ああっごめんね、とっ、友達が来てて……」
『ともだち……?』
ちっちゃい子が、生まれて初めて聞いた言葉を繰り返すみたいに翠川くんがつぶやいた。いい歳して一人で電話もできないなんて、きっと、嫌われずともドン引きされた。大失敗だ。
血の気が引くのと連動して、部屋中がゆっくり青く染まっていく。ああ、せっかくいい感じにごちゃごちゃしてたのに。またイチからやり直しなんて。悲しみとともにさらに青が深まって、癖毛もどことなくしんなりする。
「し、心配してついててくれたの。手紙は翠川くんからなのはわかってたけど、万が一、翠川くんを装った不届きものからだったら、成敗してくれるって言って」
自分でも何言ってるんだって感じだけど、実際、葉月は用心棒というか、番犬みたいなものだ。まあ、まさか本人に噛み付くとは思っていなかったけど。
『そ、そうなんだ。すごく強い子なんだね……えっと、さっきの答えだけど、その』
「は、はいっ!!」
ああそうだ、答えを聞くことをすっかり忘れていた。背筋を正し、彼の言葉を待つ。スマホからは、なんとも気まずそうな声色が響いた。
『も、申し訳ないんだけど……』
その瞬間、頭をガツンと殴られたくらいの衝撃が。たぶん私の心臓は一度止まった。
当然、部屋も真っ白けだ。
「そんなあああ!! だったら、どういうつもりで手紙なんて渡したんだ!! 許さん!!」
彼の言葉に天窓を吹っ飛ばし、雨雲を裂きかねないほどの咆哮を上げたのは私じゃなくて葉月だ。
「はっ、葉月、落ち着いて! そ、そうだよね、ごめん。聞かなかったことにしてくれる?」
『ああっ、違う、違うよ、お断りじゃないからねっ!?』
声をひっくり返した翠川くんは、しどろもどろと語り出した。つまり、明日も明後日も外せない予定があるというだけのことだった……
……いや、本当は断るつもりだったのに、葉月に吠えられて怖かっただけかもしれないという疑惑はあるけども。
ともあれ日程をすり合わせた結果、八日後、来週の土曜日にふたりでお出かけをすることになった。場所はまた話し合って決めることに。
『そ、そういえば、そこにいる友達は一緒じゃなくていいのかな?』
気を利かせているというよりも、こちらを睨んでくる番犬の顔色を窺っているような雰囲気だ。葉月もそう感じたのか目を丸くし、みるみるうちに顔を赤くする。
「ワタクシは!! アルバイトで二十四時間いつでもとーってもいそがしいので!! おふたりでイチャじゃない、どうぞごゆっくり!!」
なんてわかりやすい嘘。二十四時間いつでもなんてそんなわけないでしょ、労働基準法違反だわ。
まあ、こんな感じで興奮しすぎたのかおかしくなっていた葉月だけど、私も人のことは言えなくてだいぶ浮かれていた。白かった部屋が、翠川くんと話をしている間に、赤になって、桃色になって、水色になった。
「それじゃ、また月曜にね」
「うん、ありがとう」
無事電話を切れた後、葉月とふたりベッドに崩れ落ちた。水色に染まってしまった天井をふたりで見上げ、大笑いしてしまった。
ほっとしたからなのか、染めすぎて疲れたからなのか、葉月は多分叫びすぎだけど、なんだか足腰に力が入らなかった。お母さんがオヤツを持ってきてくれたけど足りなかったので、さらにブースターを飲みながら家路につく葉月を見送った。
「あ、色葉ごめん。そうだ。これじゃ学校行けない」
何かかと思えば、葉月の制服も『染色』に巻き込まれてしまって、元の色は跡形もなくなっていた。上着が水色でスカートが桃色。まるで魔法少女のアニメに出てくる制服みたいだ。
そんなことにすら気が付かないほど、気持ちがふわふわしていたらしい。
「ああ……本当だ……ごめん……」
ブースターを吸いきると、えいっと最後の力を振り絞った。
◆
「……というわけで、来週末、高校の友達と出かけることになって、なんていうのかな、よそゆきのワンピースがちょっとキツくなったから、軽く、そう、ほんの軽ーく絞りたいなっていうか」
うん、どこからどう見ても自然な口実。母はペンを置いて、頬杖をつく。
「えっ、いっそ久しぶりに新しいのを買っちゃえばいいんじゃない? 明日買いに行きましょうよ。ねえ、お友達はどんな子なの?」
家で初めて発した『高校の友達』という言葉に、母は明らかに目を輝かせた。学校での話を聞かれてもずっと濁していたから、うまく行っていなかったことはなんとなく察していたかもしれない。
でも、相手は男の子だと言ったら、ここでもまた一騒ぎ起きてしまいそう。いつか娘と恋バナするのが夢だと言ってはばからない母が、こんなに美味しいネタを放置するはずがない。
そのうえ父がお風呂から上がってリビングでくつろぎだしたので、なおこと本当のことを言いづらくて、
「うーん、すごくいい子だよ……」
と言うにとどめておいた。まあ、翠川くんがいい子なのは事実だ。挙動不審なところや子供っぽいところもあるけど、それを補って余りあるいいところがあるからこそ彼のことを好きになって、こうして悩んでいる。
ワンピースは別にキツくなってないんだけどね、と思いながら窓ガラスに映る自分をじっと見つめた。そこには父そっくりの見慣れた顔がある。そして母そっくりの癖毛が、お風呂上がりですっかり元気を取り戻していた。
たぶん、客観的に見てそこまで悪くはないって程度。眉目秀麗な彼と並ぶには今ひとつかもしれないけど、一緒にお出かけするからには、ちょっとくらい『可愛い』って思われたい。
持って生まれたものは変えられないけれど、今できることを考えて……少しだけでも身体を絞ってみることにしたのだ。
翠川くんとのデート(?) まではあと八日。少しでもいいところを見せるために、ベストを尽くそうと思う。
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