第18話 ナイショの朝訓練!?

 月曜日。


 教室の壁にかかった時計は午前七時十五分を指している。朝早い時間だけど、すでに数名のクラスメイトが登校してきていた。


 ここ数日ぐずついていた天気はすっかり回復し、東の空はすっきりと明るい。けど、いやいや始発に乗ってきた私の心では、ずっしりと重い鉛色と、どんよりと暗い鈍色が渦を巻いている。


 そう、今日は楽しい楽しい朝訓練の日。何か憑いてるんじゃないかってくらい肩が重い。自然と足は前の窓際の席に向いていたけど、席替えしたことを思い出し三歩引き返した。


 ああ、朝っぱらから訓練なんかやってられねえ。


「いーろはちゃん! おーはよ!」


 机上にドッサリと荷物を置いた私の背中に、三日ぶりの能天気な声がベタっと張り付いた。そうだ、金曜の夜からバタバタしすぎてこの人物の存在をすっかり忘れていた。


「……鍵山くん、おはよう」


「やーだっ。すばるくん、って可愛く呼んでっ」


「絶対に嫌」


 いつのまにか隣にいた鍵山くんは、駄々っ子みたいに首を横に振る。はあ、朝から元気ですこと。今日はいきなり触られないだけマシだけど、そんなふうに語尾にハートをつけないでほしい。両手を揉み身体をクネクネさせる彼に背筋を寒くさせながら、朝訓練に向かう準備をする。


「そう言わんと、仲良くしよて」


 今にも抱きついてきそうなのを、睨みつけて制する。


「だから触ったら警察呼ぶ。馴れ馴れしくしないで。無理すぎ」


「ああ待って、俺、こんなふうに睨まれるのも好きかも」


 こっち見てうっとりするな。へこたれなさすぎだろ。そういえば、今日から鍵山くんと訓練も一緒。憂鬱さは一気に限界を突破した。


「……おはよう」


「ああっ、翠川くん、おはよう」


 気がつくと、すぐ後ろに翠川くんが立っていた。眠たいからのかめちゃくちゃ声が低い。私たちを見る顔にいつもの柔らかな笑顔はなく、翡翠色の瞳もどこか曇って見える。


 実は、この時間に翠川くんと教室で顔を合わせるのは初めてだ。ESPのグループと朝訓練の日は重ならないからなんだけど。


「どうしたの? 別に訓練じゃない……よね?」


「うん、ちょっと用事ができちゃったから早めに来ただけ」


「大変だね」


「いいんだ、僕んち近いから……」


 いちおう笑顔になってはくれたけど、すこし引きつったような感じだ。もしかして、朝にめっぽう弱いとか? とにかく、体調が悪くなければ良いのだけれど。


 鍵山くんはそんな私たちのやりとりを見て、余裕ありげに笑っていた。


「おお王子や、今日もご機嫌麗しゅうやな」


「そのあだ名で呼ぶな」


 調子良く話しかけた鍵山くんを冷たくちぎって捨てると、翠川くんは足早に自分の席に向かい、ドサっと音を立ててカバンを置いた。穏やかな彼があんな雑な振る舞いをするなんて珍しい。


 最初は学校の案内を買って出ていたくらいだし、鍵山くんと友達になりたいのかと思っていたんだけど、どうやら違うようだ。なぜかその背中に、真っ黒い何かを羽織っているみたいだった。


 やっぱり様子が変だと首を傾げていると、内ポケットに入れていたスマホが震えた。通知画面を確認して、鍵山くんから隠すように背を向ける。


『訓練、がんばって』


 手のひらに届いたこの一言だけで、憂鬱で灰色に澱んでいた心が水色に晴れ渡る。どうやら恋する乙女というのは、めちゃくちゃチョロい生き物のようだ。


 ◆



 私と鍵山くんがやってきたのは訓練棟、PK用フロアの一番奥にある通称『落ちこぼれ部屋』。元は物置だったのを無理やり作り変えたと噂がある、私専用みたいだった部屋。でも今日からはここで彼と一緒に訓練だ。


 窓はなく、広さはホームルーム教室の四分の一ほど。真ん中に置かれた横長の机が三つのブースに区切られていて、そこに一名ずつ座るようになっている。


 席は自由なので、いつものように一番右の席に座ると、鍵山くんはその隣に。ひとつ空けて欲しいのが本音だったけど、それは口に出さないでおく。


 ブースにはそれぞれ脳波測定用のヘッドセットを繋ぐコネクタと小型モニターが取り付けられている。向かって正面にはホワイトボード。その前に先生が使うモニター内蔵の机と椅子がある。


 PKの訓練用の部屋なので、事故を防ぐため机や棚は壁や床に固定、椅子も机にしっかり連結されている。他にも壊れやすいものは一切置かれておらず、窓がないのもそのせい。


 特にガラス窓と念力の相性は最悪で、校内でガラスが割れる音を聞く機会は多い。超能力者だらけの学校あるある、である。


 ヘッドセットのコードを挿したところで隣の席を見ると、鍵山くんは訓練の準備をすることもなく、机に肘をついてじっとこちらを見ていた。勝手がわからない……なんてことはないだろう。


「鍵山……くん? 早く準備しないと先生来るけど」


「なあ、色葉ちゃんは自分の能力ちから好き?」


 また、やぶからぼうだ。目をしばたたかせた私を見て、鍵山くんはまたあの不思議な雰囲気を漂わせていた。


 今度はとらわれてなるものかと、気を引き締める。


「いや、単にここでは誰にも認められないってだけの話で、私は自分の力が好きだけど」


 そのせいで理不尽な目に遭ったって、私は自分の力が好きだという気持ちを一度だってなくしたことはない。


「そかそか。なるほど、ええね」


 私の答えを聞いて満足そうに頷いた鍵山くんは、目線を前方に持って行った。その横顔を見てふと、まだ知らないことがあるのを思い出した。


「ねえ。そういえば鍵山くんの能力って何? 【不詳】って言ってもいろいろあるでしょ」


「ああ―……じゃあ、見てみる?」


「え?」


「ええよ」


 またごまかされるのかと思ったけど、鍵山くんはあっさりと頷いた。彼はおもむろに自分のペンケースのファスナーを開け、口を大きく広げた。


 いったい何が起こるのだろうと、身構えた。どんなものを見せられても驚かない自信がある。だって、自分がそうだからだ。【不詳】とはそういうものだ。


 しかし次の瞬間。目の前で予想だにしなかったことが起こり、息を呑んだ。


 彼のペンケースから筆記具が次々飛び出し、ふわっと机の上に着地、行儀よく並んだ。そしてそれぞれがタップダンスを踊るように跳ね、リズムよく音を立て始める。


「……どう? おもろいやろ」


 何も言えなかった。面白いも何もこれは、どう見ても念動じゃないか。


 筆記具はどれもが軽いけど、複数の対象を一度に、しかもバラバラに動かすのは難しいことだ。あの念動女たちですら、一度に一個しか飛ばしてこないのはそういうこと。


――なにより、彼は【不詳】のはずなのに!!


「ど、どうしてこんなことができるの!?」


 まるで私の大声に驚いたみたいに、筆記具がパタパタ折り重なるように倒れる。鍵山くんは薄ら笑いを浮かべていた。


「……たぶん色葉ちゃんにもできるで。


 いちだん低い声に支配されたように、ズクン、と心臓の裏側がうずいた。今までも何度か味わった感覚だけど、今回のは今まででもっとも大きい。


「……どういうこと?」


 私を見つめる鍵山くんはまた、目の奥に怪しい色の光を灯している。


「つまりな、、ってことや」


 彼は優しげに微笑んでいるけれど、たまらなく恐ろしく見えた。四方から壁が迫ってくるみたいな、妙な圧迫感が喉を締め付ける。


 自分が何者なのか? 自分の能力が本当は何なのか?


 そんなの、私は落ちこぼれの超能力者で、この力も染めることしかできない能力。役に立つこともあるし面白いけど、しょせん変な能力でしかない。


「なにそれ……意味がわからない」


 彼の目の色が元に戻った……ような気がした。


「ごめんな。これ以上のヒントはあげられへんねん。ナイショナイショや」


 部屋の中の空気も緩み、鍵山くんは何事もなかったかのように散らかった筆記用具をスイスイと集め、ペンケースにしまっていった。


「そんなに難しい顔して。可愛いのが台無しやでえ」


「別に……」


 彼の猫撫で声が耳にまとわりつく。やっぱり苦手だ。何を言われても明るく受け流せる図太さや人懐っこさはは見習いたいけれど、何かしらの裏があるのが明らかな人間は、やっぱり怖い。


 ああ、早くここから逃げ出したいとモゾモゾしていると、ようやく扉が開き、星名先生がゆらゆらと入ってくる。反射的に時計を見てびっくり、なんと五分遅刻だ。


 今日は私の他に鍵山くんがいるけど、先生は構うことなくいつも通り。今日も自分の指先が一番気になるといった感じに見えなくもない。


 大人ってこんな感じでも大丈夫なんだと思うと、安心するような、でもこうはなりたくはないというか、ちょっと複雑な気持ち。


 先生は気だるげに、今日も念動力の訓練に取り組むことを説明すると、私たちに鳥の羽を一枚ずつ配った。


「たまには気分を変えましょ」と言って。


 私は黙って渡された羽を見つめた。なんの鳥のかはわからないけど、たぶん風切羽というやつだ。すっとまっすぐで、色は灰色。大きさは十センチほど。もちろん重さはほぼ感じない。


 確かに、今日はなんだか気分が違った。


 さっきの鍵山くんの話は意味が分からないとしても、その気になれば【不詳】にもできるんだと目の当たりにしたわけで。


 なんというか、今日こそはできるかもと思ったんだけど。




「……草壁さん、染めろとは誰も言ってないけど」


 しかし、結果はご覧の通りという感じだ。星名先生はまたもや長い巻き髪を弄びながら、呆れたように言う。


「はい……」


 鳥が羽を広げ、大空を飛ぶようなイメージをもって羽を見つめていたら、渡された羽は綺麗な紺碧色に染まってしまった。どうしても色のイメージを切り離せない。


「鍵山くんも、今日はそこまで」


 私は隣の席を見つめた。


 そこでは鍵山くんが珍しく必死な様子で、背中を丸め口をへの字に曲げ、鳥の羽を睨んでいる。しかし羽は机に貼り付けられているかのように微動だにせず、ましてや染まりもしない。


 鍵山くんは諦めたように背筋を伸ばすと、わざとらしい巨大なため息をついた。


「ああーっ、いやあ、やっぱり【不詳】には無理やわ!!」


 お笑い芸人のようにビシッと額を叩いてから、ワハハと大笑いする鍵山くんを、星名先生の冷たい目が突き刺す。もし私ならムカついて睨み返すところだけど、彼は何がツボだったのか、肩を振るわせて笑っていた。


「ほんとに、ふたり揃ってやる気がないのね。今日も時間の無駄だったわ」


「いやいや先生、やる気はありますて。でもあかんもんはあかん。なあ、色葉ちゃん」


「でも、鍵山くん。さっきは――」


 先生に笑いながら食ってかかった鍵山くんに、


――さっきはできてたのにどうしたの?


 と言おうとしたけれど、その先が言えなかった。


 不思議なことに唇がくっついて剥がれない。唸り声しか出ない。


「何? どうしたの草壁さん?」


「んんんっ」


 混乱でいろんな色がぐちゃぐちゃに混ざる頭の中で、さっきの『ナイショナイショ』というセリフが、不自然なまでに大きくこだましていた。

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