第19話 意外な素顔と告白と

 昼休み。


 朝訓練の後も鍵山くんにベッタリと張り付かれていたので、このままお昼も一緒に、というのを覚悟したけど、幸いなことに杞憂に終わった。


 なぜなら、彼は昼休みが始まると同時に、気まぐれな猫みたいにどこかに消えてしまったからだ。拍子抜けしたけれど、疲れていたし、行きたいところもあったので助かった。


 私はいつものようにお弁当と水筒、膝掛けを無理やり詰めたランチトートを持って、ひとりで教室を出た。翠川くんは用事があるので今日は別行動だ。


 いつものベンチに着くと、ひとりでお弁当を広げて手を合わせる。


「ごちそうさまでした……やっぱり、少ないなっ」


 中身を減らしてもらったお弁当は、あっという間にお腹の中に収まってしまった。少し、いやだいぶ物足りないけれど、我慢我慢。


 とにかく土曜までに体を絞らなきゃいけないから、朝訓練の後のブースターの量も少なめにした。あれも結局のところ糖分だから、あんまり飲みすぎると太ってしまう。これからも気をつけないと。


 この頃は雨続きだったから、地面はまだほんのり湿っている。でも、空を見上げればすっきりとした色が広がる。頬を撫でる風は冷たくて、季節はいよいよ秋から冬に移り変わろうとしているのを感じる。


 ここでご飯を食べるのも、そろそろお休みかもしれないなと思う。翠川くんと友達なのは秘密である以上、冬になったら教室か食堂で、毎日ひとりでご飯を食べるしかないだろう。


 単に彼と出会う以前の状態に戻るだけ。なのに風をさらに冷たく感じて、ツンと胸が痛む。やっぱり寂しくてたまらない。


 ずっといっしょがいいけど、そういうわけにもいかない。自分が傷つくのはいいけど、翠川くんに迷惑をかけたくないから。


 はあ、寒い。どうにもしんみりしてダメだ。早く次の目的地に行こうと、空になったお弁当箱を手早く包み直して立ち上がった。


「もしかして草壁か?」


 その時、私の名を呼んだのは翠川くんでも、鍵山くんでもなく、数学の市田先生だ。


 ふたりよりもすこし長身。きっちりと濃紺のスーツを着込み、銀縁眼鏡を控えめに輝かせているのが、いかにも真面目な人といった雰囲気だ。


 いつもは眉間に深い皺を寄せ他人と関わることを拒んでいるようなイメージだけど、今は柔らかな陽の光のおかげか、どこか穏やかな顔に見える。


「先生、こ、こんにちは」


「……こんにちは」


 先生は律儀に挨拶を返してくれたので、ちょっとビックリした。意外だったのはそれだけではない。こんなひと気のないところで出くわしていちいち声をかけられたこともだけど、教室で見るのとは全く雰囲気が違ったのだ。


 失礼ながらおじさんだと思っていたのに、よく見るとずっとずっと若かった。もしかしたら二十代半ばくらいなんじゃないんだろうか。


 灰色がかった黒髪には、白髪がひとつも見当たらない。煤竹色の瞳も白目も明るく澄んでいて、肌つやも良く目鼻立ちもはっきりしている。眼鏡を取って、伸びっぱなしなのかなという髪型を変えたら、結構かっこいいかもしれない。


 先生は、居心地が悪そうに微かに眉を寄せ、私の視線を追い払うように咳払いをひとつ。ジロジロ見てしまって失礼だったと、私も慌てて襟を正す。


「……ところでどうしたんだ、こんなところでコソコソと」


 先生はなんとも訝しげな顔で言った。先生こそなんでこんなところにいるんだろうと思ったけれど、少し考えてみると血の気が引いた。


 そうだ、きっと先生は、私が人目につかない場所で、ふたたび悪事を目論んでいると思っているのだ。


 そんなつもりはないけれど、私には能力を使って市田先生の授業をめちゃくちゃにしてしまった前科があり、他の先生たちからも目をつけられている。疑われるのは致し方ないことだ。


「ああっ! その件については反省しております!! もう二度と悪いことは考えませんから」


「いやいや、そうじゃない。もしかしてまた他の生徒から嫌がらせされているんじゃないのか? それに外を染めた騒ぎも、翠川に何かされたからなんじゃ……」


「あわわ」


 なんと。ただの数学の教科担当に過ぎないのに、先生は私のことを気に掛けてくれていたらしい。イチョウを染めた時に翠川くんと一緒に捕まったことを知っていたのか、事実を誤認されているけれど。


「声を上げたところで他の先生はなかなか動いてくれないだろう。こういうのは能力の優劣じゃないと思うのだが、超能力者というのはまったく……ああ、すまないな。君らを貶す意図はないのだが、大人たちがな」


 市田先生はなんとも気まずそうに言ったけれど、正直、私もちょっと気まずかった。だって、授業のペースを乱されるのを何よりも嫌うことから、先生のことを自己中神経質男だと思っていたからだ。認識を改め、心の中で謝った。


「ご心配をおかけしてすみません。ここには好きで来ているだけで、決してひと気のないところに呼び出されたとかそういうわけではないです。翠川くんはむしろ私によくしてくれているくらいなので」


 翠川くんと仲がいいことは黙っていたかったけれど、仕方ない。ここをはっきりさせておかないと、翠川くんが騒動の黒幕と先生に疑われたままになってしまう。私なんかを気遣ってくれる優しい人だから、それだけは避けたかった。


「……そうか、わかった。何かあったら知らせてくれ。できるだけ力になるから」


「あ、ありがとうございます」


 お礼を言うと、先生は顔をふっと緩ませた。それは決して笑顔とは言えないけれど優しげな表情で、不覚にもほんのちょっとだけ胸をくすぐられてしまった。



 ◆



 市田先生とは別れ、私がやってきたのは図書館。食堂や購買と同じく両科の校舎の間にあり、聞くところによると、学校図書館としてはかなり大きな規模らしい。


 扉を開けて中に入る。窓が大きく明るい室内には、本がぎっしりと詰まった棚がいくつも並んでいる。それでも、天井が高く取られているので圧迫感を感じない。


 いくつも並べられた閲覧席は半分ほどが埋まっていて、それぞれ勉強に集中したり、読書に耽ったりしている。ちなみにここも超能力科と普通科共用の施設なので、両科の生徒の姿が見られる。


 図書館だけにおおむね静かだけど、わずかに賑やかなところも。入って右手にある貸出カウンターの前には、決して短くない行列ができていた。ちなみに並んでいるのは女子生徒ばかりだ。


 純粋に本を借りるのが目当ての子ももちろんいるだろうけど、多分ほとんどの子はそうじゃない。まあ、私だって本が目当てなわけじゃないから、あの子たちのことを笑えないけれど。


「目が合っちゃった!」


「かっこよかったあ」


「あー、私も超能力科行けたらなあ」


 すれ違った子からこんな声が聞こえてくることから分かるとおり、行列の先にいるのは図書委員の翠川くん……まあ、姿は見えないけれど。彼が当番をやる月曜の昼休みには、図書室に彼目当ての女子生徒が多く訪れ、異様な熱気に包まれるのだ。


『図書委員ってめちゃくちゃ大変なんだよ。本を借りに来る子があんなにいるなんて知ってたら、他の委員会にしたのにな』


 これは出会ったばかりの時の翠川くんの愚痴。野菜を食べている時みたいな顔をしてたっけ。私も図書委員にはまったりしたイメージがあったから、不思議に思って様子を見にきてみれば、という感じだった。


 相変わらずアイドルの握手会みたいだなあ、と苦笑いしながら、私は新刊コーナーから綺麗な色の文庫本を一冊取って、端の方の席に座った。パラパラとめくってみると、どうやら高校生の話みたい。裏表紙にあるあらすじを確認してみる。


『高校生の主人公が付き合い始めた相手は、実は宇宙人だった。彼は近々ある理由で地球を離れることになったのだが、それは寿命の短い人間にとって、永遠の別れを意味すると告げられ……』だって。どうやら今流行りの、ファンタジーやSFの要素も混ぜたもののようだ。


 ちょっと面白そうだけど、別れだなんてあまりにも縁起が悪すぎる。これは今読むべきじゃないなと本を閉じ、カウンターの方に目線を動かす。数分経っても女子の列は全く途切れることなく、ここからでは首を限界まで伸ばしても翠川くんの姿を見ることはできない。


 でも、それでもいいと思う。隣にいられなくても、話はできなくてもせめて同じ空間にいたいと思ってここにきたのだから。バーコードリーダーの電子音が響くたび、翠川くんが一生懸命頑張ってるのが伝わってくるのが嬉しい。


 この私がそんな恥ずかしいことを考えてしまうなんて、自分でもちょっとびっくりだ。


 そうだ、あとで『図書委員お疲れさま』のメッセージを送ろう。それから土曜日に、どこに行くかを話し合おう。昨日も少しやりとりをしたけれど、お互いに初めてのことで気を使いあってしまって、具体的なことはまだ何も決まっていない。


 目を閉じると、まぶたの裏いっぱいに水色が広がる。とにかく、土曜日が来るのが楽しみでたまらなかった。乗り越えなきゃいけないことはたくさんあるけど、そんなのどうってことない。めいっぱいオシャレして、楽しく過ごしたい。


 私にとっての幸せな恋の色に浸っていると、まぶたと頭が重くなってきた。静かにしている分には怒られないだろうから、ここで少し寝ようかな、なんて思った時だった。


「色葉ちゃん、みっけ。めっちゃ探したんやで。いつものところにもおらへんし」


 反射的に、目がガバッと開く。場所が場所なので、さすがの彼も少し声量を落としているけれど、忌々しい猫撫で声は私の鼓膜を強かに揺らす。


 隣の椅子にいつのまにか鍵山くんが腰掛けていて、私を覗き込むように身を乗り出していた。


 ていうか、音も気配もまったくなかったよね……びっくりしすぎて悲鳴も出なかった。机の上に載せていた本のことを思い出し、慌てて隠そうとしたけど間に合わず。鍵山くんはあの本を手に取ると、パラパラめくって目を通している。


「あっ、ちょっと、返して」


「へえー、色葉ちゃんって、こういう悲恋がお好みなん?」


「ちがっ!!」


 沸騰しかけたけど、周りにいる人の目が一斉にこちらに向いたので一度深呼吸する。鍵山くんがニコニコと笑っているのに頭の血管が切れそうになったけど、必死で心を落ち着かせた。


「違う。表紙が好きな色だったから、適当に取っただけ。別に恋愛ものが読みたかったわけじゃない。そもそも私、そんなことに興味ないから」


 腹が立って睨みつけても、鍵山くんはあくまで無邪気な笑顔を崩さない。私から目を離すこともない。


「いやいや、ずーっと誰かさんのこと考えてるよな? ほんまやりきれへんわ。色葉ちゃんのこと幸せにしてあげられるんは、俺しかおらへんのに」


――いや待って? この人何言ってるの? 誰かのことを考えてると言ったのもだし、そういえばさっきも、


「こんなところで変なこと言うのはやめて!!」


 ? 突然のことに頭が混乱するよりも先に、また胸の奥が変になっていくのを感じた。冷たい手が忍び込んできて、名前のわからない色に塗りつぶされてしまうような感覚に支配される。


 もちろん、これはときめきじゃなくて恐怖に近い。それこそ言葉の通じない宇宙人を相手にしているみたい。


 近くの席に座っていた子たちがざわつきだした。誰か助けてほしい、と思ったその時、私の横に誰かが立つ気配がした。


「……鍵山、いいかげん静かにしろ。草壁さんも困ってるだろ」


 まさか……聞き覚えのある声に恐る恐る顔を上げると、そこにいたのは困り顔の子犬なんかじゃない。


 真っ直ぐに鍵山くんを見る凛々しい横顔はまさに、庶民を救うため勇猛果敢に敵に立ち向かう王子様そのものだった。

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