第5話 再衝突、私の矜持
「……さっきはよくもやってくれたわね」
「なんか、翠川くんにちょっと気に入られてるからって調子乗らないでよお。ブスのくせにマジでムカつくんですけどお」
そこに待ち受けていたのは、念力女AとB。二人して唇を釣り上げて嫌らしく笑い、片方はバケツを片手に持っている。ずぶ濡れの私を見て優越感たっぷりの顔をしているのを見てたら、目の前がじわじわと真っ赤になる。
我慢しろ、怒ったり泣いたりしたらヤツらの思うツボだ。ピエロになってやる必要はない。
そう念じ、いつも通りじっと歯を食いしばったけど、とうとうグラグラ煮えていた釜の蓋が吹っ飛んでしまった。ほんと、さっきといい今といい、私はいったいどうしたのだろうか。
やっぱり今朝、王子様に話しかけられてからちょっと調子がおかしいらしい。
「……うるせえな」
「はあ!?」
「どっちが先に手を出した? 紙屑消しゴムだけならまだしも、石までぶっ飛ばしやがって。冗談じゃないわ。あーあ、見た目だけ綺麗でも、中身が汚ねえんじゃ意味ねえわな。あんたらみたいなのに追っかけられてる王子が気の毒だ」
……はあ、言ってやった。ちょっとスッキリしたかもしれない。AとBはまさか私が反論するとは思わなかったのか、窯で茹でたタコみたいに真っ赤になった。
「何ですって! 石なんか知らないわよ!! 役立たずのくせにベラベラと偉そうに!!」
私の挑発に激昂し、Aが思いっきりバケツを振りぶったのを、
「
Bが慌てた様子で制した。
しかし、すでにAの手を離れたバケツが私の頭にゴツンとヒットし、さらにはそこらじゅうに響くくらい大きな音を立てて床に転がった。まあ、中身は空だから当たったところで別に痛くはない。
……けど、『役立たず』という言葉がさっきの尖った紙飛行機みたいに心にぶっ刺さってしまった。
悔しいけど本当にその通りだ。手を触れずとも物体を自由自在に動かすことのできる念動は、どこに行っても皆さんの役に立てる素晴らしい能力。憎っくき相手だけどそれは認めざるをえない。
いっぽう、私には何でも染められるけど、まあそれだけ。これが誰の何の役に立つのかと言われたら、はっきりとは答えられない。私は自分の力が面白くて楽しくて好き、それにお母さんも喜んでくれる。友達だって……いや、それはもういい。
「おいおい。お前たち、どうしたんだ? 何で草壁はずぶ濡れなんだ?」
「手が滑っただけですう。別にわざとじゃなくって。ねえ、亜子」
たまたま通りがかったのかクラス担任が駆け寄ってきて、一触即発状態だった私たちを引き離した。
けれど変わり身の早いBは身をくねらせながらしれっとうそぶくし、担任はずぶ濡れになっている私を目の前にして、なんとなく面白がっているような顔をしている。
「ほんと女子は難しいなあ、まったく。あのな、確かに草壁の力は役に立たないけど、だからっていじめていいわけじゃない。市田先生に聞いたぞ。草壁もくだらないことで怒るな。まあ、こういうのはお互い様だから。話し合えばきっと分かり合える。放課後に三人で指導室にこい。わかったな」
やっぱり。私たちが揉めてることはちゃんと把握しているくせに、相変わらずヘラヘラとしていて真剣さなんてかけらもなかった。
なぁにが話し合いだ。なーんにもわかってないくせに。
だいいち、私は学校が終わったらまっすぐ家に帰りたいんだ。でないとお母さんが作ったおいしい晩ごはんを出来立てのうちに味わえないじゃないか。
クラスで起こったいじめを見事に解決して自分に酔いたいのかも知れないけど、そんな茶番に付き合ってやる時間はコンマ一秒だってない。
ああ、馬鹿らしい。全文消しだ、全部消し。
「自分でやりました」
「えっ、バケツが当たって濡れたんじゃないのか?」
「手を洗おうとして失敗しただけです。失礼します」
「そ、そうなのか? 俺の勘違いだったか」
……そんなわけあるか。この人には何も期待してなかったけど、やっぱり何もわかってない。何もかもを諦めて踵を返した。予鈴が鳴ったけど無視して、校舎の外を目指した。
そうして、私は翡翠色のベンチに逆戻りした。濡れたブレザーをベンチの背に広げて掛け、崩れ落ちるように腰を下ろすと、ベンチが痛々しくきしんだ。なんだか慰めてくれているような気がした。そよ風がイチョウの枝を撫でるたび、黄葉が秋の日差しにきらめく。
ずっと見ていたいくらい綺麗な光景だけど、これから冬が来るのかと思うと、少し寂しくもある。
別にひとりでも平気、だって、私は自分の力に誇りを持ってるから。何を言われても大丈夫。そう思っていたのに、なんだか今日はダメっぽい。なぜだか無性に悔しくてたまらない。
そもそも私がいったい何をしたと言うんだ。ずっと黙って嫌がらせに耐えてきたのに、たった一度仕返しをしただけで『お互い様』? ずっと傷つけられ続けたのに『くだらないこと』?
だんだん真っ青な空が腹立たしく見えてきた。そのぐらい惨めな気持ちだった。
ああ、何もかも真っ黒に染めてやりたい。あいつらの顔も、体も、服も、学校も、この空も。みんなどんな顔をするだろうか。
目を閉じると、まぶたの裏が、心が、腐り落ちていくように黒に染まる。ドロドロして冷たいものが体の芯を通っていく。
次第に、頭の中に、心の中に、冷たくてドス黒い黒が満ちていく。目を開けば、見渡す限り全部真っ黒に染まるだろう。
染めたものを元に戻せるのも私だけ。元に戻してあげなければどうなる? そうしたらみんな私に頭を下げるだろうか。私を散々バカにしたことを、謝ってくれるだろうか?
でも、私は真っ黒になった景色をどんな気持ちで見つめることになるのだろうか。
――ふと思い出したのは、能力に目覚めた時のことだった。
熱心に絵を描いていた私は、お気に入りの色のクレヨンが短くなってしまったことが悲しくて、手付かずのまま残っていた白のクレヨンを手に取った。『ああ、これがみずいろになればいいのなあ』と願って、じっと見つめた。
白だってもちろん素敵な色だけど、その時の私には『何にもない』色でしかなかった。するとどうだろうか。魔法のようにクレヨンの色が水色に変わったのだ。それだけではなく、家中が水色に染まっていた。
不思議な光景に胸がワクワクして、さらには他にはない能力だと聞かされて心が躍った。
両親もとても喜んでくれた。お母さんなんか、洋服や、家の外壁の色を変えてくれと言うようになった。気分が変わって素敵でしょうととても楽しそうに言うから、おやつを食べながら話し合うのが私にとってとっておきの幸せな時間なのだ。
ああ、そうだ、次は何色にしよう。
……この力を使えば、これからはいつでもどこでも自分の好きな色に囲まれて生きていけると、夢と希望に満ち溢れていたじゃないか。
やっぱり私しか使えない能力を、誰も幸せになれないことに使ってはいけない。
だって周りの人に『これは悪いものなのだ』と思われてしまえば、本当の役立たずの能力になってしまう。
私は、自分を、自分の能力を好きでいたい。
だから、悔しくても、我慢だ。
そっと目を開くと、飛び込んできたのは空の青、イチョウの黄色。ベンチの翡翠色。溢れかけていた黒をちゃんと抑え込んで、能力の使い方を間違えずに済んだのにほっと息をつく。
肺の中を入れ替えるように、何度も何度も、大きく深く息をつく。降り注ぐ秋の日差しはとても暖かくて、濡れて冷えた体を包み込んでくれる。
昼寝ができなかったせいで、まぶたが重くてたまらない。時計を見るとあと一分ほどで授業が始まってしまう時間だった。サボっちゃうことにして、ベンチに深くもたれかかった。
頭の中や胸の中のモヤモヤも全て眠気に覆われてしまって、私はチャイムが鳴るのを聞くことなく眠りに落ちてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます