第3話 染める力の使い方
「いてっ」
頭に何かが刺さった痛みで、はっと目が覚めた。広げたノートにはシャーペンで書かれたミミズが罫線を無視して一面にのたくっていて、もはや解読不能。どうやら数学の授業があまりにもつまらなくて寝てしまっていたらしい。担当の市田先生が、こちらをじっと見ている。
「どうした、草壁」
「……何でもないです、ウッ」
居眠りはバレていなかったらしい。しかし、先生が背を向けた瞬間に追撃の何かがヒット。どうやら今度は消しゴムのようだった。これも年中行事とはいえ地味に腹が立つ。
ああもうクソが……そう心の中で悪態をつくのと同時に先生がもう一度こちらを振り返り、私をギッと睨みつけた。
「おい、草壁」
「すみません。消しゴム落としちゃいました」
まあこれは超能力科あるあるだけど、気に入らないやつの頭めがけてこうして紙くずや消しゴムを飛ばす嫌がらせが横行しがち。適当に投げれば当たるかは博打になるけど、念動を使えばほぼ確実に当てられるからだ。
しかし、超能力を他者を攻撃するために使ってはいけないというのは『超能力者と社会倫理』で以下略……と思いながら、足もとに落ちている汚れた消しゴムと、小さな紙飛行機のようなものを拾い上げる。
ノートの切れ端で作られた紙飛行機は、思わず先端の角度を測りたくなるくらい鋭く仕上げられていた。これはおそらく人間を刺すことを目的に作られたもの。麗しの王子に粉をかける【不詳】を絶対に仕留めてやる、という制作者の怨念のかたまりである。ていうか、手先がこんなに器用ならもっと他のことに活かしたほうがいいと思う。
犯人の正体は明らかだ。無表情で呪文のように数式を唱える先生の話に面白いことなど何ひとつないのに、前の方で明らかに肩を揺らしているやつが一人。忘れずに後ろも振り返ると、右斜め後方にもニヤニヤしているやつが一人。
やっぱりさっきの二人組である。ああ、いつまでも名無しなのも申し訳ないので、仮に念力女A、念力女Bとしておこう。彼女たちにも名前はあったはずだけど、私を名前で呼ばないヤツの名前なんていちいち覚えちゃいない。
「大丈夫? お腹痛いの?」
イライラしていたのに気づかれたのか、隣席の王子様が心配そうな顔でささやいてきた。確かに胃が痛いのに違いはないけど、そうことじゃない。
「違う」
王子はなんとも気まずそうに俯いてしまった。しまった、八つ当たりしてしまった。あとで謝ったほうがいいかなと、なんとも形容しがたい気持ちでため息をついた瞬間、
「いてっ!」
今度は頭に結構な衝撃が走った。コツンではなくゴツンと言っていい強さで、びっくりして危うく舌を噛みそうになった。今までの二発と明らかに威力が違う!! 何を当てられた!?
「草壁!! いいかげんにしろ!!」
「……すみません」
先生に謝りながら床を見ると、親指の先ほどの大きさの石ころが転がっていた。
ああ、これはもう冗談じゃすまない、と思った。自由落下させるだけならまだしも、能力を使ってすこしでも加速させれば本当に頭が割れかねないやつだ。怪我させるのは反則だろ、調子に乗りやがって。
……私は、嫌がらせをするような奴らと同じところに落ちたくないから、今までは何をされても無視するか我慢してた。
でも今日はやり返してやる、そう心に決めた。今ここで二人を先生に突き出しても、しらばっくれられれば終わり。市田先生は超能力者ではないからなおのことだ。
ならば、目には目を、歯には歯を、能力には能力を、だ。
先ほど飛んできたものを持ち主にそっくりそのまま返したいところだけど、あいにく私には念動は使えない。だから、自分にできることをする。まずは自分の教科書をじっと眺めた。別に数式を覚えるためではない。文字色と紙の色を正確に叩き込んでいるのだ。
目を閉じ、先ほど覚えた色を思い浮かべる。いつもはそこまで深く考えないけど、今回は離れた二ヶ所を同時に『染める』。関係ない子を巻き込むわけにはいかないから慎重にならなければ。
よし、色は満ちた――目を開くのを合図に、私の意識を満たしていたアイボリーホワイトが外側に溢れる。文字のブラックが、紙と同じアイボリーホワイトに染まる。
『くらえ、必殺
――なんちゃって。
「きょ、教科書が真っ白!!」
「うそ!! 私も!!」
二人が突然――私にとっては違うけど――大声で叫んだ。
そう、ヤツらの教科書の、黒いインクで印刷された部分を紙と同じ白に染めてしまった。だから見かけ上はほとんどの文字や図形が消えてなくなってしまったというわけだ。まさに、全部消しである。
先ほどから私が声を上げるせいで、すっかり怒りの閾値が下がっていたらしい先生が、大きな足音を立てながら教壇から降りてきた。
ここでヤツらの教科書にもう一度狙いを定め、文字を元の色に戻す。元の色がわかっているときは、戻すのも簡単にできる。
ちなみに色をいじった痕跡なんかはどう調べても出てこないらしい。これは以前、偉い科学者さんたちが言っていたから間違いない。
こんなふうに、私は自由自在に物体や生物を染めたり戻したりできる。ロマンチストな私の母が「素敵、魔法みたい」と目を輝かせた能力――『染色』はそういうものだ。
「おい!! 何だ!!」
さて、数学の市田先生はめちゃくちゃ神経質で、淀みない授業をすることに何よりもこだわっているらしく、自分のペースを邪魔されるのを大変嫌う。だから、ちょっとしたことでも気にしていちいち注意してくるのは先ほどの通り。
……そんな先生の授業で、すべての流れを止めるような大声を上げたらどうなるか。
これから起こることを思うと口元がひきつるのを我慢できなかった。なるほど、ヤツらはいつもこういう愉快な気持ちなわけだ。できればこんなことは知らずにいたかったけど。
額に青筋を立てた市田先生は、怒りに任せたように近くにいた念力女Aの教科書をひったくる。眉をギュッと寄せて中身をバラバラとめくって検め、次はBのところへ行き、同じようにする。そして、Bの教科書を机に叩きつけると、目を三角にして吠える。
「二人しておかしなことを言うな!! なんともないじゃないか!! 授業を妨害するなら廊下に出てろ!!」
先生に叱られ、AとBは問答無用で廊下に追い出されてしまった。でも、スカッとするどころかなんだか言いようのない感情がゴロゴロして、ものすごく後味が悪かった。
嫌がらせに対して証拠を残さず仕返しができたわけだし、普段の鬱憤を晴らせたのに。ヤツらの行いは腹に据えかねていたはずなのにおかしなことだと思ったけど、深く考えるまでもなくその理由に行き当たった。
そうだ、私は自分を、自分の力を好きになれなくなったら、終わりなのだ。確かにバレやしないけど、人を懲らしめるために使うのは違う。そんなのは好きじゃない。
「すみません、今のは私がやりました」
私がそう言って席を立つと、教室は大きくどよめいた。
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