第14話 イタズラ好きの猫のような
「鍵山も【不詳】なんだよ。今後、草壁と訓練で一緒だから、親しくなっておいた方がいいだろう」
「えっ……」
勢いを失った翠川くんはすっかり小さくなり、石ころのように黙り込んでしまった。
そして、私も言葉を失っていた。【不詳】は超能力者として登録されているうん十万人のうち、たった十数人しかいないという。同い年の人がいるだけでもちょっとした奇跡なのに、同じ学校にやってくるなんて。
「そういうことだ。草壁、よろしく頼むな」
この一言で、教室の中はさっきまでの盛り上がりが嘘のように白けた雰囲気に変わった。鍵山くんに我先にと質問をしていた子たちですら、「なーんだ」「なら別にいいや」と落胆を隠そうともしない。
彼女たちの中で、鍵山くんの存在はは透明になってしまったらしい。
でも、鍵山くんは怒ることもなく、かといって悲しそうにするわけでもなかった。
「まあ、そう言わんと仲良くしたってよお」
あくまでも人懐っこい笑顔を崩さない彼に、私は小さな違和感を覚えていた。
【不詳】というのは、超能力を持ちながらも、出来損ないとされてしまっている能力者。
ESPやPKの中にだって能力の種類や強さで序列みたいなのがあるらしいとはいえ、どこにも入れない【不詳】はそれ以下の存在なのだ。
まず大人たちが厄介者扱いをし、平然と貶めるような発言をする。当然それに子供たちは乗る。私はこうしてクラスどころか学校中から鼻つまみ者として扱われるようになった。
この人もおそらく似たような目に遭っているはず。でも、その瞳にはなぜか暗い影がない。どうしてなのだろう?
改めて頭の中で計算をする。仲良くなれそうなタイプじゃないけど、同じ立場の者同士として知人くらいになっておいても、と思った瞬間だった。
「
その声色は、まるで旧知の人間を呼ぶかのようだった。あまりにも自然だったので、呼びかけられたのが自分の名前だということにすぐに気づけなかった。
鍵山くんはゆっくりと私の目の前まで歩いてきた。教壇の上の先生は、普段は糸みたいに細い目をしきりにしばたたかせている。
「えっと」
頑張ったけど、それ以上の言葉が出てこなかった。胸がざわめいたのは、別に運命を感じてときめいたからなんかじゃない、単に動揺しているのだ。
――だって、私の名前、どうして知ってる?
先生は『草壁』としか言ってないし、今の表情から推測するに特に教えてもいないのだろう。
鍵山くんのイタズラ好きの猫みたいな目が、じっと私を捉えて離さない。
逃げたくても、吸い付いてしまったみたいに目をそらせない。
特に珍しくもない薄茶色の瞳の奥に、青とも紫ともつかない不思議な色の光がちらついている。単に何かが映り込んでいるだけだろうけど、私は今まで感じたことのない変な感覚に襲われていた。
心臓は変わらず激しく動いている。でも、今おかしいのはその裏側というか、もっともっと奥だ。もし魂というものが本当にあるとしたら、それを直接覗き見られている、いや、触れられているような。
冷たい手のひらの上で、コロコロと転がされているような感じ。
「色葉ちゃん」
鍵山くんはもう一度私の名前を呼んで微笑んだ。それはとても大人びて優しげに見えたけど、私の頭の中には『怖い』という言葉が浮かんでいた。
「おいおい、朝からお熱いなあ。そういうのは後にしてくれ。ホームルームの続きやるぞ。鍵山は空いてる席に着け。一番後ろの端だ」
先生がすっとぼけたことを言うと、鍵山くんは先ほどの表情から一転、小さい子みたいに口をつんと尖らせた。
「えー、色葉ちゃんの隣がよかった」
反論するのかと思いきや、彼の口から飛び出してきたのはただのわがまま。そんなの通るわけないでしょうと思ったのだけど、担任は思案するような様子を見せ、
「そうか? ……そうだな……うん。若宮、草壁と席替われ」
あろうことか、担任は空いた席の隣に座る若宮さんに声をかけてしまったのだ。すると彼女はぽっと赤くなり、無言で自分の荷物をまとめはじめた。なるほど、彼女も翠川くんのファンだったのだ。
「あああっ、えええっと」
「おい、草壁も早くしろ」
どうしよう。このままでは、私の大切な場所が奪われてしまうのに、どうしたら良いのかわからない。頭の中が真っ白に凍りついてしまう。
――私はこの席がいい!! 翠川くんの隣がいい! 隣じゃなきゃ嫌だ!!
思わず本音を出しそうになったけれど、すんでのところで喉の奥に押し込めた。
これを表に出してしまえばどんな仕打ちを受けることになるかわからないし、私だけならともかくまた翠川くんにも迷惑をかけてしまうかもしれない。
観念して荷物をまとめるしかなかった。
去り際、翠川くんと目が合った。なぜか顔を苦しげに歪ませて、悲しさと悔しさが混ざったみたいな表情をしていた。でも、その心の中が何色なのかは、テレパシストではない私にはわからない。
最高で完璧だったはずの朝に、私は大好きな人の隣の席……とびっきりの特等席を失ってしまった。
◆
そんなこんなで、二限目の授業が終わった。
まあ、最後列からの景色は別に悪くはなかった。目が悪いわけではないので黒板もちゃんと見える。
そのうえ念動女たちの挙動が見えるので防犯面でもバッチリだし、教壇から遠く、うっかり居眠りしちゃっても安心である。出入り口が近いので、トイレにも真っ先に行けてたぶん便利。意外と快適……ではあるんだけど、
でも、隣に翠川くんがいない。これでマイナス五千点、どんな長所があったところ全て打ち消されて、そのうえ気分がどん底まで落ちてしまうほどだ。
その翠川くんがこちらをしきりに気にしてくれていそうなのが、不幸中の幸いだった。私も彼と同じように、触れなくても読めるテレパシストだったらよかったのに。そうしたら席が離れてしまっても、心で話せるかもしれないのに。
「いーろはちゃん」
ムニムニと、何かが二の腕に食い込んでくる。またも念力女の仕業……ではない!!
「なあ、色葉ちゃんてばあ」
猫なで声にカッとして振り向くと、鍵山くんがご機嫌そうに笑っていた。先ほど感じた底知れなさは消えていたけど、今日初めて会った女子にボディタッチなんて、男の風上にも置けぬわ。
彼は今、私のすぐ隣にいる。急な転校のせいで教科書がまだ全て揃っていないと言われ、しかもそれは一限目からだと言うので、朝から机をくっつけて授業を受けざるを得なくなった。
……まあ、物理的な距離が近いせいで、鍵山くんの馴れ馴れしさ度合いはぐんぐんと上昇し、今に至るわけだ。
心のシャッターがガラガラピシャン。はい今日は閉店です。
「何?」
「いやあ、女の子てやっぱりどこ触っても
鍵山くんのゆるんだ笑顔は、私の神経をざらりと逆撫でする。
「あの!! どうして名前で呼ぶ!? あと、いちいち触らないでくれる!?」
二の腕が太いの、超絶気にしているのに!! コンプレックスを直接刺激され、怒りが頂点に達する。てかやっぱりってなんだ、女の子とよろしくしたことがあるのか。なんだよ朝っぱらから。このハレンチ男め!!
「……そない大きい声出して、お堅いねんなあ。てか、柚木さんからなんも聞いとらんの?」
「えっ、柚木さん?」
ごく最近、柚木さんの顔が頭に浮かんだことを思い出したけれど。どんなきっかけでだっけ。
「ちゃんと電話かけて話すって言うてたんやけど。いきなり俺と会ったら、びっくりするやろうて」
電話? あっ!! 昨日の連続着信はそれか!! と気づくも時遅し。
私の名前を知っていたのは、柚木さんから聞いていたからなのか。だったら仕方ないか。
……仕方なくないわ。いきなり名前で呼ぶとかないわ。初対面でこの距離感もないわ。何もかもがないわ。あらかじめ聞いていたとしても、こんな行為は許されないわ。
ああ、ほんと、どうしてこんなことになってしまったのか。
完璧な朝から一転、大好きな翠川くんと引き離された挙句、厄介者を押し付けられた私の気分はありとあらゆる色を混ぜ合わせたドブ川みたいな色。なんだか頭の中が腐ってしまいそうだった。
私はたまらず机を叩いた。
「教科書は届くまで見せる!! 学校の案内もちゃんとする!! だから今後一切私に触るなっ!! 次触ったら迷わず警察を呼ぶ!!」
「わかったわかった」
『110』へ、ひと押しで発信できる状態のスマホを突きつけても、相変わらずヘラヘラとした態度を崩さない鍵山くん。こちらの本気は何ひとつ伝わってなさそうで、胃に穴が開きそうになる。
「役立たず同士お似合いじゃない。付き合っちゃえば?」
「あんたみたいなのでもいいって男がいてよかったじゃん」
ぐぬぬと唸る私の前にAとBが現れ、クスクス笑いを浴びせてきたけど無視した。
「やった。俺たちお似合いらしいで、色葉ちゃん」
「……全然よくないっ!!」
嬉しそうに笑う鍵山くんを見ているとだんだん力が入らなくなり、頭を抱えるしかなかった。
癖毛が怒りと湿気で大暴れしているのに気づき、さらに心が濁った色になる。髪を手で必死に撫でつけながら、なんとかして元の席に帰りたい、心からそう願った。
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