第2章・読める君と謎の君
第13話 新たな『君』は謎の君
ああ、朝訓練がないという幸せ。
いつも通りの時間に起きて、ゆっくりと朝ご飯を食べる。いつもは手早くトーストだけで済ませてしまうけど、今日はお弁当を作っている母の横でハムエッグを焼いた。
私は黄身はやわらかめの半熟にするのが好み。バッチリの焼き具合になったら、トーストの上に乗せていただきます。
固まりきってない黄身をこぼさないように気をつけてハムエッグトーストを頬張っていると、母がお弁当を包みながら窓の外を見ている。
「色葉ちゃん、今日は駅まで送っていってあげるわ」
「
私の住んでいるあたりも今日は雨降り。母とお揃いの癖毛が輪をかけて落ち着かない、というか爆発気味なのはそのせいだけど、今日は全然イライラしない。だって朝訓練がないから。ふふふ。
母が運転する車で家を出て、いつもより一本遅い電車に乗った。
混雑のせいで、さっき一生懸命なだめた癖毛がまたくちゃくちゃになる。いつもなら歯ぎしりするけれど、今日は身も心も軽くて、あたりにひしめく暗い色のスーツをふわふわのパステルカラーに染めてしまいそうになる。
だって、朝訓練がないから!!
「おはよう、草壁さん」
学校のあるあたりも雨降りだった。あいにくの天気にも負けず賑やかな教室に入った私を、今日も笑顔で迎えてくれたのが、隣の席に座る友達の翠川くん。朝イチに見る顔が不機嫌星名でないなんて最高すぎる。
今も学園の王子様とみんなが呼ぶに相応しい、一切の翳りのない微笑みが私にだけ向いていた。まったく、本当に完璧な朝だ。
つい昨日のお礼を言いそうになったけどまた後で。もし誰かに聞かれてしまったらとんでもないことになってしまう。彼とふたりだけの秘密が増えていくたび、心に色が溢れていく。
無理筋の恋だとはわかっているけど、片想いの今くらいは無邪気に幸せな気持ちでいたい。
「翠川くん、おはよう」
私が挨拶を返すと、翠川くんは嬉しそうに目尻を下げてくれる。なんて素敵な笑顔なんだろう。心洗われるだけではなく、花が乱れ咲くようだ。私も今やすっかり彼のとりこというやつらしい。
三日前の私に教えてやりたい。私は隣の席の王子に恋をすると……きっと信じないだろうけど。
とにかく嘘みたいに浮かれきった心にはすでに目いっぱいの恋の色が満ちていて、ちょっと揺らされたらこぼしてしまいそう。
今、教室を水色に染めてしまったら、今度は何事件と呼ばれるんだろうか……なんて考えていたら、翠川くんがまだこちらを向いていることに気づく。
「今日は転校生が来るらしいよ」
「へえ、こんな時期に?」
「うん。さっき誰かが……言ってた」
「そっか」
今は十一月の半ば。色々と事情があるんだと思うけど、転校生が来るにはちょっと半端な時期である。いくら周りに興味がないでお馴染みの私でも、さすがに気になってしまった。
ESP適性がなくても、思いっきり聞き耳を立てれば周りのやり取りをちょっとくらいならキャッチできる。
よし。目を閉じてじっと集中し、ざわめきの中からそれっぽい情報を見つけて拾っていく。
さっき職員室で見た。まあまあカッコよかった。タイプだな。オシャレだったよね。関西から来たんだって――とりあえずパズルは組み上がった。
なるほど、転校生は男子だ。うちのクラスは男女比が一対四なので肩身が狭くなければいいなと思うけど、男子だと女子が多い方が嬉しいものなのかな、わからない。
ややあって、前方のドアから先生が姿を表した。ホームルームの始まりを告げるチャイムまでは、まだ少し時間がある。
「みんな、ちょっと早いけど席着け。今日は転校生を紹介するからな」
先生の後について入ってきた人物は、先ほど推測した通り、男子だった。【不詳】の私が関わり合うことがあるかはわからないけれど、一度は観察しておくことにした。
おそらく脱色してるんであろう胡桃色の短髪に、整った目鼻立ち。細身の均整の取れた体型。翠川くんは鉛筆みたいに細っこいけど、それよりはややしっかりしている。
ボタンをひとつはずしたシャツに緩んだネクタイ。ズボンも少し大きめなのか、腰で履いているのか、裾がだるんと弛んでいる。私に言わせれば、ワルっぽい着こなしである。
さらに、左耳には銀色のピアスが、首元には銀色のチェーンが光っている。これらは別に校則違反というわけではないけど、このタイプの男子はこの学校には少ないので、新鮮に見えた。手袋をしていないから、テレパシストではないんだろう。
目をキラキラさせて、人懐っこそうな笑顔を浮かべているけど、体のしきりに動かしていてどこか落ち着かない。初めての場所に緊張しているというよりは、早く話したくてたまらない、といった感じに見える。
ふと思った。翠川くんを気弱で穏やかな性質の犬に例えるなら、転校生はやんちゃで好奇心旺盛な猫といった感じか。翠川くんになびかないような子でも、彼にはちょっと興味を持ちそうな気がする。
「あー、彼が今日からこのクラスの一員になる鍵山だ。
先生に話を振られると、転校生は軽く数度頷いた。そのまま一歩出ると、教壇からの景色を楽しむように視線をゆっくり左右に動かした。
「えーっと、
どっと笑いが起こる。転校生……鍵山くんは続ける。
「でも、ここには可愛い子いっぱいおるから来てよかった。あ、誕生日は十月十二日で、血液型は分かりません。彼女はそのうち募集しよかな。そんな感じです、よろしく」
鍵山くんはなんとウインクで自己紹介を締めた。アイドル気取りかよとちょっと引いてしまう。しかもこんな場で『可愛い子が』とか、『彼女募集』って。なんてヤツだ。ここはそれを目的にして来る場所じゃないだろう。
調子良くヒラヒラと手を振る姿に、一部の女子はわあっと歓声を上げたけど、仲間が増えるはずの男子の反応はいたって冷静で、まだ様子見といった具合だった。
翠川くんはどうかなと顔を横に向けると、バッチリ目が合ってしまって、ドキッとする。
綺麗な色の目がほんのり潤んでいるように見える。どうしてこんな時まで私を見ているのだろうか。今は前を見ていたほうがいいと思うのだけど。
身長は、好きな食べものは、彼女はいたことあるか……なんて質問が女子たちから矢継ぎ早に飛んで、鍵山くんはそれに時々『ナイショ』を挟みつつもスラスラと答えている。
そういえば、翠川くんの身長は何センチで、誕生日はいつなんだろう。嫌いな食べ物が野菜なのは知ってるけど、好きな食べ物はなんなんだろう。血液型は?
翠川くんとの会話も聞き役に徹していることが多いからか、一緒にいるのに知らないことだらけだ。私も彼のことを知りたい。今日は勇気を出して聞いてみよう。たとえ友達だとしても、そのくらいは聞いてもおかしくはないはずだ。
今日は雨降りだったことを思い出して、肩が落ちる。人目を避けて毎日がピクニックの私たちは、雨の日は一緒にご飯を食べられないのだ。ずっと水色だった心に、灰色の影がドンと落ちる。
「ああ、そうだ草壁。今日の昼休み、鍵山に学校を案内してやってくれ」
しょんぼりしていると、なぜか担任はこんなことを口走る。
「はい?」
「頼んだぞ」
有無は言わせない、といった感じだけれど、先生がわざわざ【不詳】を指名したとなれば教室は当然ざわつく。こういうのは普通、委員長とか副委員長にお鉢が回ってくるものだし。
私は前期で美化委員をしていたので、今はなんの役も当たっていない。部活もしてないし暇といえば暇だけど、そんな子は他にもいる。いつもは進んで除け者にするくせに、こんな時だけ名前を呼ぶなんて嫌がらせの一環か? 微妙にありえる。
……うん、絶対引き受けてなるものか。ここで役目を引き受けたところで立場が良くなるわけでもなし、損しかないだろう。
「すみませんが、私……」
キッパリ断ろうとした私を遮るように、翠川くんがまるで弾けるようにして立ち上がった。
「どうした、翠川?」
突然のことにいっせいに注目を浴びた彼は、戸惑うような顔を見せる。でも、雑念を振り切るように一度天井を仰いでから、前を見据え、吠えるように言った。
「くさっ、いや、先生!! ぼ、僕が案内します!! こういうのはっ、男子同士がいいと思います!!」
王子の咆哮を聞いたAは、勢いよく振り返った。ひん剥いた目からは今にも目玉が落っこちそうなうえに、顎が取れちゃいそうになってる。振り返ればBも、その他数名も。みんな、せっかくの美人が台無しだった。
でも、そんな顔になるのも仕方ないと思う。だって翠川くんがこんな大きな声を上げたことはないし、彼もただの図書委員で転校生の世話を引き受けるような立場にないからだ。
男子同士、仲良くなりたいのかもと思ったけど、とてもそんな感じではない。理由はわからないけれど、まるで重い使命を背負い込んだように黒手袋に包まれた手を硬く握り締め、小刻みに震えていた。
理由はわからないけど、この様子は尋常ではない。それなのに担任は気にする様子も微塵も見せず、かぶりを振った。
「いいや、草壁だ」
「あの、どうして僕じゃダメなんですか!?」
はねつけられても、語気を弱めることなく食い下がる翠川くん。担任は、その言葉を待ってましたと言わんばかりにニヤッと笑った。
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