夕闇の駅と、真夜中の某所
私は、陽の落ちた道を駅に向かって歩いていた。送っていくと言われたけれど、歩いて五分もかからないと言われたし、翠川くんには明日に向けてゆっくり休んで欲しかったので、丁重にお断りした。
『長いこと寝ついてた子だから、色々と下手くそなの。ちょっと変わってるって思うかもしれないけど、どうか懲りずに仲良くしてあげて』
帰りがけ、そう言って笑うお母さんに向かって、小さい子みたいにぶうと膨れていた翠川くん。だからと言って嫌ったりはしないから、どうか安心してほしいと思った。
駅に着く頃、お腹の虫が小さく鳴いた。さっきお茶菓子をいただいたけど、お昼はほんの少ししか食べていない。駅前のコンビニから出てきたウチの生徒が何かを頬張っている。漂ってくる匂いに食欲が湧き上がってきたけれど、思いっきり押さえつける。
そうだ、明後日までに、私は少しでも痩せて綺麗にならなきゃいけない。まんまと肉まんの匂いに誘惑されている場合ではない。
気を引き締めて再び歩き出し、人波に乗って改札を潜ったところで、後ろから肩を叩かれた。
振り向くとそこには胡桃色の髪。銀色のピアスが弾く光が目に刺さった。
「いーろはちゃん」
「え、どうしてこんなところにいるの!? もう五時半だよ!?」
「補習受けとったんや。サボっとった分」
鍵山くんは眩しいもので見るみたいにぎゅうっと目をすがめる。とっくに帰ったとばかり思っていたのに、よりによってこんなところで出会うなんて嫌な運命の巡り合わせだ。
電車の方向が一緒だったらどうしようと唸るわたしに、鍵山くんはなんともご機嫌そうに微笑みかけてくる。
「何!?」
「なあ、今日、なんかおかしなことあったんちゃう?」
「ど、どういうこと?」
「知らん場所に行ったはずやのに、みたいな」
「えっ……?」
彼が言うように、気のせいにしてはあまりにも濃い既視感を翠川くんの部屋で感じた。そしてあの大きなクマのぬいぐるみにも。
……私はいつ、どこで見たんだろう。
いや、違う。そんなことよりもなによりも、鍵山くんはなぜそれを知っているかのようなことを言うのだろう。
「やっぱり。ああ、もうそろそろ気づかへんかなあ」
「な、なんのこと?」
鍵山くんは周りの喧騒からは切り取られたかのような昏い空気を纏い、悠然と笑っていた。彼の力を初めて目の当たりにしたあの日のことを思い出す。冷たいものが足元から駆け上がってきて、先ほどまでの楽しかった気持ちが一気に霧散した。
「まあいいわ。きっともうじきその時は来る。ほな、俺はこっちやから。またな」
私が乗るのとは反対方面行きのホームを、電車が通過するというアナウンスが入る。鍵山くんはパタパタと手を振って、いつもと同じ軽い足取りで反対方面行きのホームへ歩いていく。すでにできている乗車待ちの列を避けて、まっすぐに、線路の方へと。
「ちょっと待って!! 次の電車ここに止まらないよ!? あぶない!!」
列車の接近を表すアナウンスに続き、耳をつんざくような大きな警笛が響いた。それなのに彼は、私の制止なんか聞かず、ホームに滑り込んできた電車に飛び込んでしまった。
「鍵山くん!!」
唖然とする私の目の前を、轟音を上げながら電車が通り過ぎていく。大勢の人の前で起こったことだというのに、なぜか誰も慌てたりしていない。それどころか、とつぜん大声を上げた私を、駅員さんも周りの人も訝しげな目で見ていた。
ホームの淵に駆け寄って、膝をついて下を覗き込む。そのまま左右を見渡す。しかしいくら目を凝らしても、鍵山くんが落ちたはずの線路には誰もいないし、痕跡も、変わったものも、何もない。
「え、えっ……?」
駅員さんが駆け寄ってきて声をかけられたけど、何を言われているのか理解できなかった。真っ白な頭で見上げた空には、鍵山くんがつけているピアスみたいな、銀色の一番星が瞬いている。
……彼はまるで幻のように、夕闇の駅から忽然と姿を消してしまった。
◆
色葉ちゃんをちょっと驚かせたろうと思って、無茶して派手なパフォーマンスをしたのがたたったのか。
いつものようにピョンピョン飛んでうちに着いた途端、めちゃくちゃな眠気に襲われてぶっ倒れ、目が覚めたのは夜中の一時。
慌ててシャワーを浴びて、今は一時半。当然目が冴えて、夜食かお茶かと考えながら台所に行くと、暗いリビングでくつろいでいた同居人が、驚いたように頭を低くした。
「あっ、
三日ぶりに顔を合わせた彼は、ソファーに深く腰掛け、小さな読書灯の灯りだけで難しそうな本を読んでいたらしい。
目え悪くするからやめろとオヤジにも言われとるのに、こっちの方が頭に入るからと出会った頃からずーっとこれ。急に明るくして目が眩んだら気の毒やから、台所の電気だけつけた。
「殿下も起きていらしたんですね」
湯を沸かす準備をしていると、糸みたいな目になった兄やんが台所に入ってきた。やっぱり照明が目にしみてるらしい。
殿下……不本意やけど、俺は仲間にそう呼ばれている。別に高貴な生まれでもなんでもないんやけども、色々と理由があって。そのうえ兄やんは十歳は年上やけど、こんなふうに俺に敬語を使う。昔は違ったけど、ある時からそうなった。
「ああ……今からお茶淹れるけど、兄やんも飲むか?」
「そ、そんな、殿下にお気遣いをいただくわけには!!」
「……ええよ、自分のついでやから。そんな固くならんと、あっちで座って待っててや。ここは眩しいやろ」
兄やんは素直にリビングに戻ったけど、読書には戻らずずっとこちらを見つめている。本来パッチリした目は相変わらず細いままで、せっかくのイケメンが台無しやけれど。
「あの、前から申し上げておりますが、兄やんはやめていただけますか。殿下は我々の……」
「じゃあ、
「……しかし、それでは示しがつきません」
ああ、真面目なんよなあ。
カップを二つ取り出して、湯を注ぎ、ティーバッグを一つずつ沈める。夜中に紅茶はまずい気もするけど、細かいところはまあええか。
茶色くなった水面に映る顔は、昔とそんなに変わってない。
けども、俺が階段を上がるたび、周りの見る目が変わってしまった。兄弟同然に育ったはずの計都くんも、ほんの何年か離れとる間に、周りに言われるがまま俺なんかに頭を下げるようになってしまっていた。
「寂しいこと言わんとって。ここには俺とオヤジしかおらんのに、なーんも気にすることないやろ。それに能力が優れているものこそが、みたいなのは好かんのよ。計都くんは年上やし先輩で、恩人でもあるんやから。こちらが敬うのは当然や。はい、どうぞお召し上がりください。なんて」
「すみません、いただきます」
やっぱり敬語を崩す気はないらしい。リビングテーブルの上に、湯気立つカップを二つ並べ、計都くんの隣に無理やり座った。
「なあ、せっかくまた一緒に暮らせるようになったんやから、俺のことも昔みたいに名前で呼んでよ。なあ」
「わかりました……」
やっとカップを手に取った計都くんは、観念したように肩を落とした。
「なあ、図書館で王子に手出ししたんは計都くんか?」
「申し訳ありません。すばる様、に楯突いていたので」
「やめてくれ、すばるくん、で。あと、王子には手出し無用やで」
「……ご命令とあらば。しかし、呼び方は譲れません」
「……んんっ。ほっまにお堅いなあ。まあ、ええわ。王子はただのテレパシストとはいえ規格外や。一日中俺にアクセスしてきおるし、その度に腕を上げとる。向こうもお姫様を取られまいと必死みたいや。破られてしまうのも時間の問題かもしれん」
女の子みたいな顔でぼんやりしてそうに見えて、案外切れ者らしい。侮っていると足下をすくわれることになるかもしれない。
「ならば、なおのこと早く排除すべきなのでは」
王子にこちらの計画を察知されてしまうと厄介なのは確か。やから、計都くんの言うことはもっともやけども。
「いいや、王子を潰して、色葉ちゃんが俺たちの敵になるだけならええで? それは
計都くんは絶句した。そんなことまで想定してなかったのか。とにかく、せっかく出会えた
「……扉は開きそうですか?」
腕を組み、唸る俺に向かって計都くんが恐る恐るといった様子で口を開く。
「んー、こっちも厄介やなあ。ヒントはあげてるんやけど、自分には染めることしかできへんって思い込みがあまりにも強すぎる。何かしらの違和感は全部『気のせい』で済ませてて、自分の力のせいやとはつゆほども思ってへん。それに俺のこともただのキモくてウザいヤツやと思っとる。可愛い子に嫌われるんは悲しいで」
「なんか、雑念が混ざってませんか」
「わはは、思春期の男子なんて雑念の塊やん。経験あるやろ?」
「ありません」
「うわっ、真面目。心配なるわ」
計都くんのことはともかく、色葉ちゃんとは純粋に仲良くもなりたいのに、近寄れば近寄るほど遠ざかられてしまうのがなんとも歯痒い。触ったら警察を呼ぶとまで言われたし。
ほんま、真面目な子を相手にどう出たらいいのかさっぱりわからん。計都くんの方が上手くやりそうな気もするけど、さすがに生徒に手出しするのはまずいか。性格が逆やったらよかったのに、と思う。
「とにかく、こればかりは、ご自分で気づいていただくしかありませんしね。でなければ、扉は決して開かない」
「せやな。まあ、明日は一波乱起きるから、押せそうなら押してみるわ。ああ、でもほんと王子が邪魔やな。あと一日学校休んでくれたらええのに。ままならん!!」
――学校を出た時から、取り巻きにずっと後をつけられていたなんて色葉ちゃんは考えてもいないやろうな。かわいそうやから取り巻きを止めてやってもよかったけど、これ幸いと思って利用させてもらうことにした訳やけど。
なんせ目的のために手段は選べない。なぜなら、時間はあまり残されていないから。
「……はやく自分の輝きに気づいてくださればいいですね」
計都くんが微笑んだ。彼女を目覚めさせることは、彼の望みでもあるだろう。
「ほんま。やっと会えたんやもん。彼女はいずれ、我々の新しい道標になる運命の人……織姫星なんやから」
――地上に降り立った、強く強く光る星。
これを逃したら、次はいつ生まれてくるかわからない。だから光が消えてしまう前に、必ずこの手で掴んでみせる。
いずれ世界を、新しい色に染めかえるために。
〈第3章に続く〉
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