第3章・染める私の真実
第23話 謎の君はどこへ?
ガタガタと夜闇を切るように進む電車の中で、私はじっとスマホとにらめっこしていた。いつもなら動画を楽しんでいるいるところなんだけど、今日は電車、事故、あたりのワードでニュースサイトやSNSを検索し続けていた。
もしかしたら、誰かひとりくらいはあの出来事を見ていて、ネットに書き込んでいるのではと考えたからだ。
「どこにもないか……」
思わず声に出してしまったけれど、呟きは帰宅ラッシュの賑わいに溶けて消える。
それっぽいネットニュースや書き込みはひとつもなかった。ならばと
やはりあの時、ホームは部活帰りの附属校生徒、大学生でそれなりに混み合っていたのに、鍵山くんが電車に飛び込んだことには誰も気づかなかったらしい。
ホームの下を覗き込もうと地べたに這いつくばる私に声をかけてきた駅員さんも最初はびっくりしていたけれど、「そんなことになって見逃すはずはありません」と言っていた。一応
調べてもらったけれど、線路にはなんの痕跡もなかったらしい。
と言うことは、あの出来事は本当に私の見間違いだったのだろうか?
しかし、鍵山くんは私の目の前から確かに消え失せているのだ。混乱して、思考は堂々巡りする。
それからも色々と調べているうちに、人が電車に跳ねられた後にどうなるのかを知ってしまった。そのせいで何も喉を通らなくて、夕食はそこそこで切り上げることになってしまった。両親にはいたく心配されたけど笑ってごまかした。
お風呂を済ませて、早々に自分の部屋に引っ込む。ドアを開けると、そこには花が咲いたように色が溢れている。自分の好きな色を無秩序に並べたこの部屋には、両親も友人も目がチカチカするとドン引きするけれど、私にとっては一番落ち着く場所だ。
水色のベッドに転がり何度か深呼吸をしていると、心が徐々に凪いでいく。すこしずつ、ぐちゃぐちゃだった頭の中が整理されてきた。
「そうだ、柚木さんに聞けばいいのか」
超能力者管理機構の柚木さんは、確か私と鍵山くんの両方を担当している人物だ。もしかしたら鍵山くんの行方についてなにか知っているかもしれない。飛びつくようにスマホを掴んで電話帳アプリを開き、番号を呼び出そうとしたところではっとした。
いつのまにか時間は午後十一時過ぎになっている。何時に仕事が終わるのかは知らないけれど、友達相手でもないのにさすがに非常識な気がする。画面を閉じた。
「よし、寝よう」
明日になればきっとわかるはずと、部屋の明かりを消した。
『いーろはちゃん』
しかし、布団をすっぽりかぶってなんとか眠った私を、真っ赤な悪夢が幾度となく襲ってきた。
夢の中の鍵山くんもいつもと同じように笑っているけど、すぐに血飛沫の中に消えてしまう。何度か助けようとしても手が届かず、何度も何度も鍵山くんは消えてしまって、風船が割れるみたいに夢が途切れる……というのを繰り返した。
当然、ぐっすり寝られるわけがなかった。朝四時半、五分後に鳴るはずだったアラームを解除すると、ノロノロと制服に着替えた。石でも詰められたみたいに重いままの頭を抱えて一階に降り、今度は洗面所で鏡に向かう。
明らかに顔色が白くて、目の下には青いクマが浮かんでいる。それに、私の心を表しているのか癖毛もどこか元気がない。扱いやすいのは助かったけど、ちょっと調子が狂う。
メイク乗りも悪いので、身支度もそこそこにリビングへ。
「おはよう、色葉ちゃん。すぐに朝ごはん用意するわね」
いつものように先に起きてくれていた母は、朝の光みたいに笑いかけてきたけど、すぐに表情を曇らせた。
「ごめん、ちょっと食欲がなくて。飲み物だけでいいや」
目の前に置かれた冴えた橙色の野菜ジュースを一気に飲み干しても、頭にかかったモヤは全然飛ばない。大きなため息をつくと、母が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「ちょっと、色葉ちゃん……顔色悪いわよ。昨日もほとんどご飯食べてないじゃない。今日はお休みしたほうがいいんじゃ」
「……だめ、今日はどうしても行かなきゃいけないの。ちょっと変な夢見て目覚めが悪いだけ。お腹減ったらコンビニでなんか買うから、大丈夫」
ボロ布を縫い合わせるようにして、なんとか笑顔を繕った。本当はどうにも食べられそうにないけど、余計な心配をかけたくなかった。
今日から翠川くんが登校してくるし、鍵山くんのことも気になるから休むわけにはいかない。用意してもらったお茶とお弁当を丁寧に手提げカバンに入れて、気力を振り絞るようにして玄関に行き、靴を履いた。
「え、まだ早いんじゃない? もし急ぐなら駅まで送るけど」
母が玄関まで追いかけてきた。確かにいつもより十分以上早いけれど、一刻も早く学校に行って自分の目で確かめたかった。
「いい。身体動かしたいから、歩いて行く」
「色葉ちゃん……」
しんどいけど、ダイエット計画は継続中だ。けれど、母まですっかり顔色が
「ごめんね、大丈夫だから。いってきます」
すっかり泣きそうな声の母に向かって必死で笑顔を作って、家を出た。
街灯が点々と灯る平坦な道を、まるで身体を引き摺るように進む。十一月の午前五時は、まだまだ夜の闇の中にある。真っ黒い西の空に、銀色の一際明るい星がまたたいていた。それが鍵山くんのピアスと重なって、また駅での光景があかあかと蘇った。
空気はピンと糸を張ったみたいに冷たくて、吐く息はわずかに白く染まる。冬が、もうそこまできている。身が縮むような思いがしているのは、寒さのせいだけではないけれど。
ようやく駅に辿り着き、改札をくぐる。いつもより長い距離を歩いたような気がした。ホームには誰もいなかった。普通電車しか停まらない小さな駅だし、朝の五時なのでいつもこんな感じだ。ベンチに腰掛けるとそのまま眠ってしまいそうなので、立ったまま待つことにした。
電車の到着を知らせるアナウンスが響く。ほどなくして闇を前照灯で割きながら電車がやってきた。
じっと線路を見つめていると、すぐ目の前を光の帯が流れていく。さっきまで繰り返し見た夢が蘇って、血飛沫を浴びたような錯覚に悲鳴をあげそうになる。
気がつくと、立っていたと思っていた場所より数歩前にいた。どうやら強い眠気のせいでふらついて、いつのまにか線路に吸い込まれそうになっていたらしい。
危なかった。今度は自分がと思うと血の気が引いて、走ったわけでもないのに息が上がる。胸を押さえると、心臓が早鐘を打っているのを感じる。ちゃんと生きていることにホッとする。
とにかく、今は無事に学校に辿り着くことだけを考えなければ。私はめいっぱい気を引き締めて、電車に乗り込んだ。
◆
そこから二時間ほど経ったわけだけど、眠くてぼうっとしているうちに、いつのまにか学校に到着していた。まるで
校舎内に入ると、少し早い時間なので昇降口に生徒はまばら。込み上げてきたあくびを噛み殺しながら、下駄箱から取り出した上履きを一度ひっくり返して、数度振る。
画鋲や虫の死骸を入れられる嫌がらせをされてから習慣にしていることだ。危険物なし。よし。
靴を履き替えて、一歩踏み出したときだった。
「おはよー、色葉ちゃん」
……あまりにもタイミングが良すぎる。寝不足のせいで幻聴が聞こえているのだろうかと、耳の穴をグリグリほじっていると、今度は後ろから肩を突かれた。
「色葉ちゃん、おはよってば」
素早く前に回り込まれたのを感じた。見上げた先には、お気に入りのおもちゃを見つけた子供みたいに微笑む鍵山くんがいた。
「で、でででで、出た!!」
派手に裏返る声。昨日の夜からろくに声を発していないからだ。
「どしたん? そんな幽霊に会ったみたいな顔して……あ、触ってしもうた。ごめんな。警察はやめて。ほんまにごめん」
鍵山くんは呆然とする私に謝りつつも、ケラケラと楽しそうな笑い声混じりだ。ここまで騒いでもわずかに行き交う生徒たちは私たちのことを気にもしていないから、私まで一緒に幽霊になったみたいだった。
彼に足があるかを素早く確認する。ある。ということは、目の前にいるのは確かに生きてる鍵山くんである。
「なんでっ、生きて……昨日線路に落ちて、電車にはねられ……」
「何のこと?」
「え」
あまりにもあっけらかんとした態度だ。口が塞がらなくなった私に、鍵山くんは目を輝かせながらジリジリ距離を詰めてくる。
「へえ、一晩中ずっと俺のこと考えてくれてたんや。嬉しいな」
無邪気に笑う彼が言うことはどうしたことか図星ではあるけど、相手のペースに飲まれないように必死で防御の姿勢をとる。
「っ、そんなわけないでしょ!? だって、突然、きえ、消えたから!!」
「……ん? ああ、急に腹痛くなって、トイレにダッシュしてん」
「はい?」
「だって、電車ん中で漏らしたら嫌やん」
当然とばかりに言われ、呆気に取られてしまった。それじゃあ私が見たのは何だった?
「いや、でも、だって、線路のほうにまっすぐ行ってたじゃない!! それで、通過電車に……どうして」
「……ふうん。じゃあ、なんで俺はピンピンしてるんやろ。確かに頭は硬い方やけど、電車にぶつかって無事でおれるほど丈夫やないで」
鍵山くんは、コツンコツンと得意げに自分の頭を叩いてみせる。
「だから、それがどうしてか聞きたいの!!」
「じゃあ、俺はどんな方法を使って君の目の前から消えたんやろね?」
「それは……」
口ごもるしかない。運動神経がそれなりに良ければ、目の前から消えるように走り去ることもできるのだろうか。自信たっぷりに言われると、自分が見たものにだんだん自信がなくなってきた。
「まあ、なんでも自分の意のままになるっちゅうのは、君にも経験あることやろ」
「はい? な、ないけど」
「……ほんまに?」
鍵山くんがすうっと目を細めると、まるで拭き取られてしまったみたいに周りの音が掻き消える。代わりに自分の心臓の音が耳の中でドコドコとうるさいくらいに響いた。
――またあの感覚だ。薄茶色の瞳に捕まって、胸の奥が、魂が、大きくざわめく。心の中をなにもかも覗き見られているみたいな、不安な気持ちになる。
なんでも自分の意のままになるなんてとんでもない。私には染めることしかできない。普通の超能力者にできることができない、ただの落ちこぼれなのに。
……そのはずなのに、頭の中には小さな違和感のかけらが落ちていた。拾ってみたけれど、そして考えてみたけれど、それが何なのか私にはよくわからなくて。
鍵山くんは、戸惑う私を見てゆっくりと眉を寄せていく。
「……ごめんな。何とかして自分で気づいてもらわんとあかんねや」
そこにいたのは、今まで見たことのない、切なそうな、縋り付くような表情の鍵山くん。ちょっとドキッとしたけれど、すぐに我にかえった。今にも頬に触れられそうになっているのに気がついて、すかさず手で追い払う。
「やめて。だから、気づくって何に?」
「自分が何者なのか、やで」
またそれか。この間から何かを聞けば答えはそればかりで、ちょっとうんざりしている。私は私で、他の何者でもないのに。
鍵山くんはヒラヒラと手を振りながら私に背を向け、教室とは逆の方に向かって歩いて行ってしまった。職員室にでも行くんだろうか。一応それを見送るように見つめてから、私も歩き出した。
彼の言うことは全然わからない。そういえば、何の能力者なのかもまだ聞けていない。聞けばはぐらかされて、挙句に『自分で気づけ』と言われてしまう。
歩きながら窓の外を見ると、白鼠色の雲が空をまんべんなく覆っている。今のすっきりとしない気持ちをそのまま投影したみたいな色。
視線を下へ。訓練棟の方には朝の訓練に向かうのであろう生徒が見えるけど、こちらの校舎の廊下にはほとんど生徒がいない。授業が始まるまでまだ一時間近くあるから不思議ではないけれど、うちのクラスだけはすでに騒がしいことに気づく。
あれ? 今日何かあったっけ……不思議に思いながら教室に一歩足を踏み入れた瞬間、肩に強い衝撃が走った。
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