第24話 青い炎が揺れて

 肩に雷でも落ちたかのような衝撃をうけ、お弁当が入った手提げバッグを落としてしまった。


 私は数名の女子生徒に取り囲まれていた。同じクラスだったり、他クラスだったり。学年すら違う子、果てには普通科の生徒までいる。


「った……」


 まるで覆い被さってくるような殺気に身の毛を逆立たせながら、手提げバッグをなんとか拾う。手は動くけど、肩は軋むようにズキズキと痛い。


 床には黒板消しが転がっていて、Bが鬼のような形相でこちらを睨んでいる。


 これがどういう事態なのか、全てを察した。


「ねえ、どういうことなのよ!!」


 歩みでてきたAに突き付けられたスマホの画面には、翠川くんの家に入っていく私の姿がはっきりと映っている。


 熱心な取り巻きが翠川くんの家を把握していないわけがないわけだ。彼はここ数日学校を休んでいたから、誰かが気になって見に行ったところに意気揚々と私がやってきて……というところだろうか。


「……見たままだけど、だから何?」


 彼と友達なのがバレるのも時間の問題だとはわかっていた。このとおり面倒なことだけど、私は別に悪いことなんかしていない。意気投合して友達になっただけなのだから、堂々と胸を張ればいい。いつも通りの態度で返してやる。


「どうしてあんたなんかが!!」


「手を出すなんて最低!!」


「抜け駆けしやがって!!」


「そうだよ!! ずるい!!」


 けれど、この冷静な態度が彼女たちの逆鱗に触れてしまったようだ。取り巻きたちの勢いは想定よりもずっと強く、みるみる窓際まで追いつめられていく。


 入ってもいないファンクラブの不文律なんて知ったこっちゃないと言い返す隙もなかった。突き飛ばされて窓に背中を打ちつけた拍子に手提げバッグを再び落とし、今度は中に入っていたお弁当箱が転がり出た。


 私を隅に追いやったのと同時に全員が一歩引く。その隙にお弁当箱を拾おうとすると、頭上にバケツが飛んできて中身を頭からひっかぶった。


 今度は間違いなく念動だ。声を上げたら負けだと耐えたけれど、すえた臭いのする液体が髪から滴り落ちてくる。それに、ベタベタとまとわりついてくる感触がひたすら不快だ。


 朝っぱらから、いったい何を混ぜたんだよ――睨みつけた私に答えではなく、返ってきたのはせせら笑う声。


「役立たずにはそれがお似合い」


「転校生にもチヤホヤされていい気になりやがって」


「ブスのくせに男を天秤にかけるようなことするからじゃない」


「身の程知らず。全然釣り合わないっての」


 足が滑って立ち上がれない私に、罵詈雑言が容赦なく吐き捨てられる。大丈夫、心はまだ折れてない。負けてなるものかと、歯を食いしばった。


「釣り合いか」と聞くと、勝手に笑いが漏れる。私だって、私は彼に似つかわしくないと思っていたこともあったけど、それは間違っていることに気がついたから。


「釣り合わないってどっちがだろうね。今の顔、鏡で見てみたら?」


「はあ!?」


 誰かの見た目を好きになることを否定はしないけど、コイツらはきっとそれだけじゃないか。


 私は、翠川くんが美しい見た目でなかったとしても、真っ直ぐに見つめてくれる瞳が何色だったとしても、きっと彼のことが好きになっていた。


 私に彼の心を読むことはできないけれど、差し伸べてくれる手がいつでも温かいことを知っている。だから、入れ物はなんだっていい。野獣でもカエルでも、なんでも来いだ。


 だって私が好きなのは、おかしな能力を持った私を受け入れてくれた、翠川史穏の心。


 それに彼も私をと望んでくれている。まだちゃんと気持ちを伝え合ったわけではないけれど、繋がっていることはわかっている。


 だから、私は誰にも負けない。いや、ここで負けるわけにはいかないのだ。


「だから、今のそのブッサイクな顔を、翠川くんに見せられるのかって聞いてんの!! 見た目だけ飾っても、中身が汚いんじゃ王子様には釣り合わないんじゃないの?」


 思いっきり声を張ると、取り巻きが揃って目を三角にした。【不詳】に言い返されたことが相当気に障ったのか、揃って顔が朱色になっている。


「なんですって!!」


 ひとりが胸ぐらに飛びかかってくる。それに続いて左右からもひとりずつ。三対一で掴み合いの喧嘩になった。


 ひとりを思いっきり突き飛ばしてやると、頬をしゅんと風が掠めた後、刃物を引いたみたいな痛みが走る。念動で何かを飛ばされたのか。血が出ていそうな気もする。でも、構うものかと思った。


 こういう時に使える力は持ってないけど、辛いことに耐えるのは慣れているから。


「何するんだよ!!」


 私が声を上げたそのあとはもうめちゃくちゃ。髪を掴まれ、こっちも掴み、叩かれ、叩き返し、相手の悲鳴が上がる。私は歯を食いしばり、声を出さずに耐えた。運動神経は全然ないけど、同性同士の力押しでみすみす負けるほど非力でもない。


「あっ!!」


 しかし、ふとしたことで形勢が変わる。揉み合っている横で、取り巻きの一人が床に落ちていたお弁当箱をさらに蹴飛ばしたのが見えた。壁にぶつかって嫌な音を立てたお弁当箱に気を取られ、突き飛ばされて転んでしまった。


「こんなもの!!」


 ひっくり返ってしまったお弁当箱の中身をぐりぐりと踏み潰され、鮮やかだった色がぐちゃぐちゃに混ぜられて濁っていく。


 私の心も同じようにすりつぶされていって、喉が詰まって言葉にならない。


「あー、臭いから生ゴミかと思っちゃった。ちゃんと片付けといてよ」


 クスクスと笑う声がいくつも織り重なる。それに混ざって、また空っぽのお弁当箱が転がる音がした。


――なんてことをしてくれたんだ。


 お母さんが、私のことを思って作ってくれたものなのに。


 大好きな母の笑顔が脳裏をよぎった瞬間、ぷちんと耳の奥で何かがちぎれたみたいな音がした。胸の奥に、硬く冷たいものが駆け抜けていく。


 心が折れた音だろうか。なんだか心臓が裂けてしまったようで、痛くて痛くてたまらない。


 私のことはなんと言ってくれてもいいけれど、母の気持ちを踏みにじられたことが許せない。食べ物を無駄にしたことも許せない。


 それに、今日は久しぶりに、翠川くんと一緒にご飯が食べられるはずだったのに!!


「何するの!!」


 喉が裂けんばかりの勢いで叫んだ。目の前は怒りで真っ赤になり、お弁当を踏み潰したやつに飛びかかろうとしたけど、どこからともなくお腹を蹴とばされて謎の液体を踏んで滑り、床に思いっきり尻餅をついた。


「ほら、さっさと拭きなさいよ!」


 あちこちの痛みで歯を食いしばったところに雑巾を投げつけられ、さらに罵声と笑い声が混ざったものを浴びせられる。耳を塞いでも、金属を叩いたみたいに甲高い声はいともたやすく通ってくる。


 だんだんと頭が冷えてきて、目の前が暗くなったように感じた。私はここまでされなければならないほどのことをしたんだろうか。黒いシミはどんどん増えて広がって、みるみるうちに心を絶望の色へと染めていく。


 ああ、何もかも、真っ黒に染めてしまいたい。


 また悪い考えが頭に浮かんだけれど、かぶりを振って必死に打ち消す。


 だめだ。私は自分の力が好き。どう使うかもはっきりと決めている。自分の力は人を楽しませたり、幸せにするためだけに使いたい。私のことを大切に思ってくれる人のために、絶対に落ちないと心に誓っている。


 だから、とにかく、どんなに嘲笑われたって、負けずに、腐らずに生きなければ。


 翠川くんに、私の手も温かいと思ってもらえるように――


『邪魔なものは、なにもかも燃やしてしまっては?』


 何度も誓ったことを繰り返し、なんとか体勢を立て直そうとした私の心に、漆黒の囁きが流れ込んできた。どこか昏く、落ち着いた声色は男の人のものだ。


 聞き覚えがあるような、ないような。普通なら怪しむところ、ほんの少しの甘さを帯びた声はどうしたことかすうっと頭に染み込んでくる。初めて味わう不思議な感覚だった。


――燃やす?


『ええ、なにもかも燃やしてしまえばいいではないですか』


 囁きは再び流れ込んできて、呪文を繰り返すように私の中を何度もこだまする。


 魔法にかけられたみたいに、心の片隅からだんだん色が広がっていく。それは今まで感じたことのない、燃えるように鮮烈な紅蓮。


 憎しみの色に、心が、魂が炎にあぶられているかのように、少しずつ染まっていく。


『いい色だ。その炎に染めてしまえばよいのです。本当は、ずっとそうしたかったのでしょう?』


――私は、別に復讐したいわけではない!


 私の力は……と続けようとしたけれど、まるで火をつけられたみたいに、ぼおっと身体が熱くなった。あまりの熱さに驚いて手のひらを見ても、何も変わったところはない。


『君の力が本当はなんなんか、気づくことができれば』


 今度は、鍵山くんの声だ。彼に話しかけられるたびに何度も感じたざわめきは、今やおぞましく感じるほどの強さになっていた。胸の奥で孵った虫が、私を包んでいた良心という名前の殻をじょじょに食い破っていく。


 そうだ。このままでは、翠川くんと一緒にいられなくなるかもしれない。だから、私の邪魔をするものはみんな消さなければ。


 私のものでも、取り巻きのものでもない笑い声が響く。胸の中の炎はいつのまにか青白く変わっていた。


 そうだ、この炎で焼かれれば、みんな苦しむ間もなく溶け落ちて、骨すら残さずに消えてなくなる。透明になる。


【私は、何者なのか。私の能力は、本当は何なのか】


『……どうです? おわかりになられましたか?』


――まだわからないけれど、青白く光る星がここにある。


 胸を押さえる。


『ええ、それがあなたの本当の輝きです。さあ、ご自身の力をあるがままお示しになってください』


 優しく背中を押された気がした。今の自分がどんな顔をしているかわからない。取り巻き達は私のうちなる炎に気づくわけもなく、勝ち誇ったような笑い声をあげている。


――みんな、消してやる。


 気がつけば目に入るもの何もかもが、今までとは違う色に映っていた。身体という枠を取り去られて、世界とひとつになったみたいな不気味な高揚感が、青白い炎とともに燃え盛る。


【全てを青い炎の中へ、なにもかもを透明に】


――私は、なんでも自分の意のままに出来るんだから。

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