読める僕のおはなし・2

 手術を受けて、僕は生まれ変わった。


 数日後、母さんと共に呼ばれた僕の目の前に、レントゲン写真が映し出されていた。それは僕のもので、身体に埋められた刺激装置や電池、それらを繋ぐコード類がくっきり写っていた。


 思念は相変わらず勝手に入ってきて不快ではあったけど、前ほどの強度はない。これから能力をコントロールする訓練と並行して、装置を調整していけば、勝手に入ってくるということもなくなるとお医者さんは言った。


 僕はまるでサイボーグのヒーローにでもなった気分で、万能感に胸を躍らせながら話を聞いていた。筋骨隆々になってあちこちを飛び回る自分を想像したけれど、そのワクワクは次の瞬間には打ち砕かれた。


 まずは、装置の細かい調整のため定期的な通院が欠かせない。頭部への衝撃は禁忌。だから体育は基本的に見学、自転車やバイクには極力乗らないようにと言われた。装置に影響を及ぼさないようにと、とにかく細かい制約が多かった。


 ヒーローはカッコいいバイクに乗ってやってくるものなのに、現実は厳しいですね――というと、お医者さんが大笑いした。


 まあ、もともと大人しい性格だったし、運動も苦手。だから思いっきり身体を動かせないこと自体は平気だった。ただ、父さんや兄さんと同じ警察官になるという夢は絶たれてしまったというのが、少しだけ悲しかった。


 でも、前に比べたら自由になったんだから、夢はこれから見つければいいと自分を奮い立たせた。


 そのためにも、とにかく早く学校に復帰したかったけど、三年を超える寝たきり生活は僕の体力をすっかり奪い去っていた。中学に通うことは諦め、自宅で遅れた分の勉強を取り戻すことに専念することになった。


 超能力科への入学には学力は問われないけれど、さすがに小学六年生の始めで勉強が止まったままなのは厳しいと言われたからだ。頭の出来が良くない僕にとって、勉強は思った以上に大変だった。結局、通院とたまの散歩以外で家からはほとんど出られなかった。


 主治医には高校入学を一年か二年遅らせるべきと意見書を書かれかけたのを、駄々をこねて押し切った。これ以上置いてけぼりをくらうのは耐えられなかったし、いつか兄さん越しに見た高校生活に強い憧れがあったから。


 そのために体に鞭打って勉強を頑張ったので、絶対に譲れなかった。


 次の春、無事に東翔大附属高へ入学することが決まった。家からも近いし、兄さんたちもここの出身だ。新品だけどすっかり馴染みの制服に袖を通すと、なんだかブカブカして落ち着かない。そんな僕を見た母さんがおかしそうに笑った。


「やっぱり制服、大きすぎなんじゃ」


「男の子はまだ伸びるからこれでいいの。お兄ちゃんたちも結局ぴったりになったわ」


「うーん、そうなのか」


 幼稚園の時ぶりに制服というものを着ると、気持ちが引き締まる。それと同時に、ようやくここまで来られたと万感の思いに浸っていた。


 しかし、教室に入った瞬間、僕は主治医が『入学を遅らせるべき』と強く言った理由をようやく悟った。


 一斉にクラスメイトから注目を浴びたことで、脳に想定以上の負荷がかかった。熱くて、痛くて、数も多すぎて耐えきれなかったのだ。


――自宅療養をしていた間、僕と顔をあわせた人間は家族と少数の親戚、それから病院関係者と、家庭教師の先生くらいだった。


 学校、というより大勢の人間がいる場に行くのは四年ぶりだった。担当医はこのことを懸念して、装置の出力を強めに調整していたらしいけど、ポンコツ能力者はあっけなく負けてしまったのだ。


 結局、僕は楽しみにしていた入学式に出られず、再び白い天井を見つめることになった。大人たちが話し合って別室登校が決まり、僕は一年生の終わりまで学校の中でもひとりぼっちで過ごすことになってしまった。


 ◆


 さて、草壁さんと初めて出会ったのは、二年生に上がってようやく教室に入れた日のこと。


 勉強には相変わらず自信がなかったけど、一人で受けていた訓練も順調で、装置の方も調整がうまくいってすこぶる快調だった。


 それでも、クラスメイトの視線がちらほらとこっちに向くと、頭の中が忙しくざわつきはじめた。


「あっ、翠川くんだ」


「今日からこっちに来るの? やったあ」


 急に話しかけられて、どうしたらいいのかわからずに曖昧に笑うと、きゃあと高い声が上がった。いくつもの視線がこちらに向いている。思念がピリピリと熱くて痛かったけど、ちゃんと笑えるほどではあった。


 大丈夫、と思ったところに『本物の王子様だ』という思念が入ってきて、今度は背中をぞくぞくさせながら席についた。そう思っているのは一人や二人ではない。


 頑張って笑顔はキープしたけど、僕が来られない間に何かおかしなことが起こっていると、得体の知れない恐怖で震えていた。この時、女の子への苦手意識がはっきりと固定された。


 これは後で知ったことだけど、翠川家がその筋では有名な一門なのも災いして、優秀ゆえ特別扱いされていると噂が立っていた。そのうえ僕の見た目がどうとかで、幻の王子様だなんて通り名がついてしまっていたらしい。


 砂利だらけのところに座らされてるみたいな居心地の悪さにたまらず視線をさまよわせると、ふと左隣に座っている子に目が止まった。


 彼女は、まるで空気と一体化しているかのような存在感のなさで、頬杖をついてじっと窓の外を見ていた。新学期で浮き立っている教室のなかにあって、しんと静かだった。


 既視感のある、くしゃくしゃでふわふわの黒髪。寝癖をそのままにしているのかと思ったけど、まさかそんなわけはないか。とりあえず横顔を観察した感想は『あんまり可愛くないな』だった。


 僕がじっと見ていることには気がついていないようで、こちらにはまったく目も向けない。思念が向いていないことは楽ではあるけれど、ほんの少しだけつまらないと思ってしまった。


「お、おはよう」


 つい声をかけてしまったけれど、


「……あ、おはよう」


 返ってきたのはこれだけ。無理矢理作ったのがよくわかる笑顔はすぐに消え、どことなく眠そうな目はふたたび窓の外に向く。


 彼女はこの空を、流れる雲を見て何を考えているのか、読みたくてたまらなくなった。他人に対してそう思ったなんて生まれて初めての経験だった。


 ごめん、少しだけ覗かせて――手袋をはめていない彼女にはきっと届かないけれど、心の中で謝ってから意識を集中させる。ぼんやりとしたものが、次第にはっきりしていく。


 一箇所に集中したことで、チクチクと頭を突き続けていた思念の雨が晴れ目の前が明るくなった。彼女の心は今の空をそのまま写し取ったような澄んだ水色。まるで鳥になって空を飛んでいるみたいに、伸びやかで気持ちのいい色だった。


 どうやら空の色が何色なのかじっと考えているみたいで、微妙に心の色が変わっていく。僕には全てが水色にしか思えなかったけど、どうやらそうではないらしい。


 聞いたこともない色の名前が、目まぐるしく流れ込んでくる。どんな色なのかはわからないけど、目の前が鮮やかに染まったようだった。


 僕は彼女の中に知らなかった世界を見た気がして、心がとんでもなく弾んだ。


 それからの僕は、草壁さんの気を引くために必死だった。


 彼女は【不詳】と呼ばれる特殊な能力の持ち主と知った。そのせいでみんなに避けられていることがわかってきたけれど、別に僕には関係ないこと。めげずに毎日挨拶をした。


 でも、彼女からは眠たげな顔を返されるだけ。しかしその態度が余計に、僕の興味をかき立てる。


「草壁さん、おはよう。今日もいい天気だね」


 今日は挨拶だけではなく天気の話題も混ぜてみた。彼女はいつも空を見ているから、我ながら妙案だと思った。


 これで少しは会話が伸びるかなと期待したけれど、


「お、おはよう」


 返ってきたのはやっぱり取り繕ったとわかる笑顔。そしてすぐに顔を逸らされた。いつもなら引き下がってしまうけれど、この日はなぜか、「諦めてなるものか」と思った。


「今の空って何色なんだろう?」


 読んだことがバレるかもしれないけど、なりふり構ってはいられなかった。僕の渾身の一撃に、草壁さんは少し困ったような顔をすると、『なんとかブルー』だと言った。


 やっと、話ができた。嬉しくて飛び上がりそうになった。すかさず聞いた言葉を何度か口の中で繰り返し、必死で覚えようとした。


 でも、あろうことがすぐに忘れてしまった。自分の頭の悪さが恨めしかったし、話はそこで止まってしまった。ままならないなと思った。


 色のことは読めばわかる……誘惑に負けかけたけど、かぶりを振った。本当は知りたくて、読みたくてたまらない。でも読まないと決めていた。別に読んだってバレないけれど、彼女のことは彼女の言葉を通して知りたい。彼女と友達になって、話してみたい。どんな能力が使えるのか教えて欲しい。


 だから、女の子たちがこちらを見てヒソヒソ話していても、もう頭は痛くならない。装置の力もあると思うけど、おそらく読みたいものがはっきりしたことで、最も悩まされていた『勝手に入ってくる』状態からは完全に脱していたのだ。

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