読める僕のおはなし・1

 僕――翠川史穏は、東翔大学附属高等学校超能力科の二年。身長は百七十二センチ、体重は五十五キロの痩せ型。こう見えて実は強いという意外性もなく、見た目通りの非力でひ弱なやつだ。


 さて、僕は十七年前の十月十日、三人兄弟の末っ子として生まれた。長兄とは七歳、次兄とは五歳離れているから、みんなから可愛い可愛いと甘やかされて育った。


 そう、ずっと『可愛い』と言われてきた。窓ガラスに映る顔を見てため息をつく。結婚するまではアイドル歌手として活躍し、そこそこ人気があったらしい母さんにそっくりの顔に、父方から受け継いだ鮮やかな緑色の目がはまっている。


 無駄に人目を引く、僕にしたらコンプレックスでしかない顔面のせいで、昔は女の子に間違われて困っていたし、今も王子様なんて恥ずかしいあだ名をつけられているみたいだ。


 教室にいても、廊下を歩いていても、女の子にやたら絡まれてけっこう居心地が悪い。同性からは羨ましいなんて声も聞こえてくるけど、僕はちっとも嬉しくない。


 だって、中身は今ひとつなのに、と思う。成績は下から数えた方が早くて、手先も不器用。運動だって全然できない。嫌いな食べ物が多すぎるし、話をするのも下手くそ。かっこいいところなんてひとつもないのに、見た目だけで持ち上げられるのはつらいのだ。


 もちろん好きな子にだって、振り向いてもらえそうにもない。


 僕は、クマのぬいぐるみを抱き上げた。これは能力に目覚めた頃に、両親から贈られたものだ。


 今の僕からしても一抱えほどある大きな体は真っ黒で、毛並みはくしゃくしゃでふわふわ。そこから覗く焦茶色の澄んだ瞳と目が合うと、ドキドキしてしまうようになってしまった。


 それは今まさに、片想いをしている彼女と重なるからだ。


「……好きです、僕と付き合ってください」


 僕の告白に、もちろんクマは何も答えない。こんなこと、もちろん本人には言えるわけもない。


 昼休みを一緒に過ごせない雨の日でも、彼女と話したい。勇気を出して下駄箱に手紙を入れてみたけど、電話はまだ鳴らなかった。きっとまだ家に帰り着いていないだけだよと自分に言い聞かせたけど、勢い余ったかもと後悔もしていた。


 ちゃんと彼女の手に届いたとしても、読んでくれるとも限らない。読んでくれたからといって、電話をかけてくれるとも限らない。


 ちゃんと名前を書けなかったからなおのことだ。あの犬の絵でピンと来てくれたらと思ったけど、無理があったもしれない。


 昨日のこともやりすぎたかもしれない。僕と一緒に傘に入ったのがバレて、また嫌がらせをされて、いや、そうじゃなくて僕と一緒に歩くこと自体が嫌だったのかもしれない。


 思えば、僕の横を歩いている時、彼女はずっと黙っていた――


 悪い考えが堂々巡りして、頭の中がヒリヒリ熱い。


 でも、あのままあの転校生に彼女を取られてしまうんじゃないかと思ったら、いてもたってもいられなかった。


 息苦しくなってきたので窓を開けた。シトシトと降る雨音を聞きながら、彼女のことを考えていた。空は急速に夜に向かいつつある。視界いっぱいに、濃い青のフィルターをかけたみたいな景色が広がる。


 今までは、色の名前なんて、学校で使う絵の具や色鉛筆に書いてあるものしか意識したことがなかった。けれど、実は世の中のありとあらゆる色にちゃんと名前があった。そのことを知ることができたのも、彼女のおかげ。


 ああ、彼女なら、草壁さんなら、この景色を何色と言うだろうか。彼女は今、いったい何をして、何を考えて――


 こんなふうに寝ても覚めても草壁さんのことばかり考えてしまうのに、僕はぬいぐるみに向かって、虚しく素振りを繰り返すことしかできない弱虫なやつなんだ。


「おい、シオン」


「うわあっ!?」


 呼びかけに振り向くと、ドアがいつのまにか開いており、五つ年上の次兄――史織しおりが、缶ビール片手に立っていた。


「どうしてこんなところに」と言いかけたけれど、今日は遅すぎる夏休みを取ったとかで帰ってきてたんだっけか。


 両親と兄も僕と同じテレパシストで、父と兄はその能力を生かし警察官として働いている。長兄はすでに結婚し独立、次兄も官舎で一人暮らし。普段この家には僕と両親の三人しかいない。


 久々に会う兄さんは、僕を見てニヤニヤ笑っている。まだ早い時間なのにすっかりできあがってしまっているようで、薄暗い空とは対照的に、血色は良すぎるほどに良い。


「あいかわらず細っこいな。ちゃんと食ってるのかよ」


 兄さんはそう言って僕の髪を混ぜた。背丈は僕と大差なく、特徴的な瞳の色は同じ。だけど日焼けしてがっしりした体に、顔つきもとても精悍だ。僕もこんなふうになりたかった。


「……いつからそこにいたんだ」


「好きですってぬいぐるみに告白してたあたりから」


「嘘だろっ!?」


 恥ずかしすぎて火だるまになるかと思い、とっさにベッドに飛び込み毛布で身を隠した。兄は職業柄なのか気配を消すのがうまいのだけど、同じ部屋にいながら気づかなかったなんて、僕も思い詰めすぎだ。


「スルーするのがうまくなったな。いいことじゃないか」


「それはそうかもしれないけど」


 カッカという笑い声の後に、サッシを引く音がした。どうやら開けたままだった窓を代わりに閉めてくれたらしい。毛布から顔だけを出すと、兄さんと目が合う。


「別にクマのことが好きなわけじゃないんだろ? お前に好きな子ができるなんてなあ。ああ、そろそろ飯らしいから下りて来いよ」


「……わかった」


 苦しかった時期に、ずっと寄り添ってくれていたクマのことも大好きだ。こんな歳にもなって恥ずかしいから、誰にも言えないけども。


 バツが悪くなりながら部屋の明かりを消すと、部屋の中は一気に夜の闇に包まれる。


 僕は別に暗いところは怖くはないけれど、はっきりと嫌いだった。かつてのつらかった日々に戻ってしまったような気持ちになるからだ。


 いつものようにベッドに寝かせたクマの目が、何かを言いたそうに微かに光っていた。



 ◆



 僕は超能力者で、ESP――超感覚的知覚に分類されるテレパシー能力、つまり人の心を読める能力を持っている。


 一般的には相手に触れなければならない能力だけど、僕の場合は接触を必要としない。視界に入れるだけでいいのだ。それこそが利点でもあり、とてつもなく大きな欠点でもある。


 僕が能力に目覚めたのは小学六年生になってすぐ、本当に突然のことだった。僕は学校の教室で大声で泣き叫んだのち、気絶してしまった。その場にいた人間の思念を全て拾ってしまい、脳がパンクして倒れてしまったのだ。


 いかにテレパシストといえど、普通は相手に触れ、読もうとしなければ心は読めない。


 しかし僕の場合は、脳の一部が異常な活動をしているせいで、触れずとも周りの人間の思念を取り込んでしまい、そのうえ能力のスイッチを切れない状態になっていた。超能力の素質を持った人間にごくごく稀に起こることらしいけれど、原因は未だにわからないらしい。


 複数の他人の思念が同時に流れ込むと、その情報量は人間の脳ではとうてい受け止め切れないほどに膨れ上がることもあるそうだ。それによるダメージが蓄積されれば、後々深刻な状況にもなりうる。


『少し前なら、余生のほとんどを薬で眠ったまま過ごすしかなかったんですけどね』


 お医者さんのこの言葉に両親は愕然としたらしいけど、最近では脳の異常活動している部分に電気刺激装置を埋め込むことで日常生活に戻れるようになっている。ただ、その処置を受けるには当時の僕はまだ幼すぎた。


『とにかく、あと数年は他人との接触を極力避けてください』


 そう言われ、僕はお風呂とトイレ以外は自室に閉じこもる暮らしを余儀なくされた。


 僕の部屋に入って良かったのは両親だけだった。兄も当時は同居していたけど、絶対に部屋に行くなと言われていたそうだ。


熟練のテレパシストは相手を読めるだけではなく、読ませないことにも長けているから、両親といるのはまだ耐えられた。けれど、長い時間はやっぱり難しくて、同じ屋根の下にいるのに会話は電話で交わされることも多かった。


 それまで甘やかされて育っていた僕は、ひたすら人恋しがって泣いていた。見かねた両親はあのクマのぬいぐるみを贈ってくれた。ぬいぐるみに心はないから、そばに置いても負担にはならないと考えたんだろう。


 僕は新しい友達を抱きしめて、のしかかる寂しさにじっと耐えた。もう少し大きくなれば苦しくなくなると言われたことを信じて、ひたすら耐えていた。


 ある日、電話越しに声を聞くだけだった次兄が、両親に隠れて部屋に顔を出してくれた。久々に頭を撫でてもらって本当に嬉しかったけど、それも一瞬だった。


 同じ能力者であるはずの次兄は外に出て、普通の生活をしていることが鮮やかに流れ込んできたのだ。学校に通って勉強をして、部活に精を出し、友達と遊んでいる。本当に楽しそうだった。


 両親が兄を遠ざけた理由がようやく分かった。これを僕に見せるわけにはいかないと思ったのだ。


 兄さんは何も悪くない。もちろん僕のために我慢をしろなんていうつもりはなかった。


 けれど、あまりにも羨ましすぎて、心がつぶれてしまいそうになった。


『兄さんはずるいよ!!』


 喉が裂けんばかりに叫んで、手当たりしだい物を投げつけた。こうなったのは誰のせいでもないし、人にあたって気分が晴れるわけではないのだと頭では理解していても、爆発するのを止めることはできなかった。


 結局、ケガをした次兄の方がこっぴどく叱られて、僕はいっさい咎められなかった。電話で謝られてしまって、僕は泣いた。


 寂しすぎて空っぽになった心は、冷たい絶望で満たされていた。寝ても覚めても、目の前はずっと暗かった。


 やがてストレスで自分のことを傷つけるようになり、能力が発達してしまったことで両親とも顔を合わせられなくなった僕は、とうとう入院させられてしまった。


 病院にいた時は、薬で意識を濁らされていたので記憶は曖昧だ。でも、外の世界から離れて久しかったせいか、夢の中でもベッドに縛り付けられていたことだけはよく覚えている。


 能力に目覚めてから三年が経ったころ、ようやく脳に装置を埋める処置をしてもらった。本当はもう少し成長を待たないといけなかったそうだけど、もう限界だと判断されてのことだった。

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