第10話 黒い夢のラディシユ!

 その悲劇は、シャルト・マレの厄災やくさいと呼ばれる。


 何の前触れもなく、星の数ほどの魔物達が、地を埋め尽くし、天をおおった。


 少し離れた村から見ていたものは、シャルト・マレが黒い雲に覆われていると思ったそうだ。戦闘の音も、雷鳴や激しい雨音にしか聞こえなかったらしい。


 武勇を誇る兵達は突然の襲来にもひるむことなく戦ったようだが、魔物の質も数も常軌じょうきいっしていたと思われる。


 歴戦の勇士達が、一人、また一人と倒れていったのだろう。救援要請の狼煙のろし雲霞うんか如きごと魔物の影に隠れ、他の街には届かなかった。


 一番近くにいた駐屯部隊が事の重大性に気づいたとき、夜は明けかけていた。


 隣村の若者が、徐々に薄くなった雲の正体が無数の魔物であることに気づき、大慌てで駆け込んで来たのだ。


 勢いよく出陣した救援隊はしかし、シャルト・マレを遠望できる地点で足を止める。


 薄暮はくぼの中を飛び交う魔物の数、遠目で分かる種類からして、今駆けつけても自分達が新たな獲物になるのに過ぎないと分かってしまったからだ。


 しかし、救援隊に参加していた歴戦の陸軍大尉、ローデシュ=フランコはその時、希望の光を見たという。空の魔物を焼く、真っ白な光の柱を目撃したのだ。


「生存者がいるぞ! まだ戦っている者がいるんだ。怯むな。皇国健児の矜持きょうじを見せるのは今をおいて他にあるまい!」


 歓声とも悲鳴ともつかないときの声が上がり、救援隊は死地に向かう。


 街の入り口付近には、救援を呼びに向かったのだろう、屈強な戦士の亡骸なきがらが多く見られた。


 街中には俊敏で凶悪な魔物が待ち構えており、救援に来た兵士の命を、草を刈るかのようにいとも容易たやすく奪っていく。


 阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄が広がっていく中、ローデシュは断続的に見える魔を滅する光の方角目指し前進していく。


 自分の背中を任せていた相棒の悲鳴に振り向くと、巨大な爪を持つ大猿が、上半身だけになった相棒を投げ捨てているところだった。


 怒りを圧し殺し、盾を構える。しかし、また背後からの圧力を感じて視線をやると、大剣を振りかざした牛人が殺気に満ちた目でこちらをにらんでいた。


 万事休す。


 そう思った瞬間、まばゆいばかりの光の柱が頭上を貫いた。

 頭部が消えた大猿と、胸から上をなくした牛人が倒れる。


 光の柱が発生した方向を眺めると、物陰からまだ幼児といっていい小さな男の子が現れる。


 着ているのは寝間着とおぼしき質素な服で、小さな足はむき出しで、細かな傷がいくつもある。その黒い瞳は虚ろで、柔らかそうな黒髪には寝癖がついていた。


「坊や、どこかに隠れていた――」


 質問が終わる前に、男児の右手から光の柱が放たれ、ローデシュの背後に巨大な魔物の死骸が落下してきた。


 男の子が左手を肩の高さまで上げると、また光の柱が放たれ、物陰から現れた巨大な狼を焼き尽くす。


 呆然と男児を見つめていたローデシュは、絞り出すような声で語りかけた。


「助けに……、来た」

 男の子に反応はない。


 小さな歩幅で歩きながら、周囲の魔物を強烈な閃光せんこうで焼きつくしていく。


 ローデシュは毒気が抜かれたように、何も考えられなくなり、ただ、男の子が開ける道を後から着いていくことしか出来ない。


 やがて、凄惨せいさんな損害を出しつつ孤立していた救援隊本隊の軍人達も、幼児と思しき男の子が周囲の魔物を焼き尽くす様を呆然と眺めることになる。


 どれだけの数の魔物がその白い光の前に灰と帰したか。太陽は昇り、血と肉でけがされた廃墟を明るく照らし出した。


 薄暮の空に無数に飛び交っていた空飛ぶ魔物の姿は見えず、地上に潜む殺気は既に絶えてなかった。


「撤収する」


 救援隊の陣容は、誰がどう見ても敗残者のそれだった。瀕死ひんしの仲間を運ぶ重傷者、馬に負わせる荷物は仲間が勇敢に散った証ばかり。


 しかし、彼等はたった一人の少年を救出し、連れ帰る。


 馬上のローデシュにしがみつくように眠る黒髪の幼児。


 シャルト・マレの厄災でただ一人の生存者を。


 ◆


 その男児は「マレ」と呼ばれた。


 数ある皇族の中でも、最も女皇の信頼厚いルザーヴニュ家の従者として育ち、宮廷でのマナー、立ち居振る舞い、ルミアス語と神聖語の読み書き、高等算術、高等魔術、ソユル教の教義、剣術に体術、女皇陛下の尊さと慈愛について教えられた。


 マレはそれらを短時間で吸収し、己の物とした。


 宮廷の人々は皆、悲劇の子に対して優しく、丁寧に接してくれた。そして、いつか、少しでも有意義に、女皇陛下のために死ぬ必然性と、その誇りを教えてくれた。


 マレは八歳のとき、自分をシャルト・マレから連れ出した男と再会した。男はロッシュと名を変えていた。


「君はこれから女神の影になる。女皇陛下の影として、陛下に尽くし、ルミアスに貢献し、陛下の命令に己の全てを捧げる。いいな」


 マレはうなずく。


 特に、何の感慨もなかった。



「淋しい子ね」


 紫色のウェーブがかかった長い髪を風に揺らす、黒いローブ姿の女が、幼少のマレを見つめていた。よく見ると、黒のとんがり帽子の先も、ゆったり揺れている。


「物も、やるべきことも与えられてる」

 マレの感情のない返答が響く。


 その瞳に、女は憐れみの眼差しを刺す。うずくまり、マレの柔らかな黒髪を優しく撫でると、目の端を親指でギュッと押さえる。


「子供の癖に、涙もないじゃない。それは、淋しいことよ」


 マレの手が、女の顔に伸びる。小さな親指が、女の目尻に触れる。


「あなたはいっぱい泣いたんだ。一杯出来ないことがあったんだね。普通の人なのに、一杯欲しがるから」

「生意気ね!」

 女は立ち上がる。


「可愛げのない子は、嫌いよ」

 マレが笑う。


「僕の可愛げを欲しがって、手に入らないから、また泣くの?」

「可哀想な子だからよ」


 ◆


 胃が裏返るかのような不快感に目を覚ますと、自分の口から禍々まがまがしい何かが這い出てきていることを認識する。


 黒い霧のように吐き出されたそれは、やがて女の形をとる。


 黒いローブ。黒いとんがり帽子に、紫色のウェーブの髪。白く小さな顔には、大きな目と紫色の瞳が目立っている。


「黒い夢のナディシュ。俺の夢は居心地が悪かったようだな」

「かわいそ過ぎて、いたたまれなくなるわよ」


不遜ふそんな夢に呪われ、永遠に生者の夢を彷徨さまようばかりの亡霊に言われたくない」


「私は好きでやってるの!」

「生きている者の迷惑だ」

「認識の相違ね。じゃ、さよなら」


 ナディシュが空に飛び立とうとすると、白い衝撃が発生して彼女の身体を焦がす。


「やだ、何これ? 結界!?」

「お前の見せる夢が退屈だから、結界張っといてやったよ」


「な、なんなのあんた? そんなこと出来るの? 化け物なの?」

 ナディシュが明らかに動揺する。


死霊しりょう魔導師に化け物呼ばわりされたくねぇよ」

 右手に魔力を集める。次第に白い光が集まる。


「吉川くん!?」

 タイミングの悪い呼びかけに視線だけやる。


 七澤が意識を取り戻したらしく、お化け屋敷の出口に立ち尽くし、こちらを見ている。


「七澤、絶対にそこから動くなよ」

「もらったぁ!」


 ナディシュがいつの間にか黒く光る大鎌を振りかざしている。


 俺は最少の動作でそれを避ける。ナディシュの大鎌は立て続けに俺を襲い、俺はその都度ギリギリの間合いでそれを避ける。


「吉川くん、これ!」

「馬鹿っ」


 七澤が何か棒切れを持ってこちらに近づき、ナディシュを閉じ込めた結界の中に入ってしまう。


「かかった!」

 ナディシュの姿が帯状の黒い霧になり、七澤に向かっていく。


「七澤ー!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る