第3話 恋煩い?

「ワレワレ、オンナノ、イノチ、ホショウ。オマエ、ワレワレノ、イノチ、ホショウ」


「そうだなぁ……」


 俺は呟きながら、魔法を二つ発動する。遠隔結界魔法と、火の精霊魔法・地獄の劫火ごうかの二つだ。


「ヒギャアアアア、オノレ……」


 物陰から出てきた火だるまのゴブリンメイジが、手に持っている杖の先端で七澤ななさわを刺そうとする。しかし、杖は簡単に弾かれる。


「エンカクケッカイダトォ……」


 俺は黙って様子を見る。

 三匹のゴブリンはすでに灰になり消えた。魔法耐性のやや強いゴブリンメイジも、次第に身体が燃えて灰になり崩れさる。


 ゴブリンは狡猾こうかつで、人間の油断や隙を積極的に突こうとする。そんなやつらとリスクのある交渉をしなくても、俺の魔法は七澤を守りながらこいつらを瞬殺するのに充分だった。


「さて、七澤の回収を……」


 俺はゴブリンたちの灰を踏みしめて、取り壊し中のアパートの奥に進んでいく。


 つい先ほどまで暴れていた七澤の足は大人しくなっている。と、思ったが……。


 ――七澤じゃ、ない!?


 俺はもう一度、ゴブリンに捕まっていた少女を見る。


 そこにいたのは、柔らかい曲線の眉、パッチリ二重の目、知性を感じさせる鼻筋を持つ美少女であり、七澤ではない。同じ制服だが、違う少女だ。

 タオルのようなものを噛まされており、んーんー苦しそうにしている。


「人違い……?」


 俺は周囲を見渡して、七澤を探す。いくら足音でしか追跡してなかったとはいえ、他にゴブリンが現れそうな場所もなかったはずだ。


 とりあえずこの子を助けよう。そのあとで七澤を探せばいい。


 俺は縛られていた両手を解放し、猿ぐつわ代わりのタオルをほどく。


 すると、美少女が急に俺に抱きついてくる。思いのほか大きな、柔らかい膨らみが俺の肘に当たる。


吉川きっかわくん、ありがとう!」

 俺はその声に戸惑う。七澤の声だからだ。振り向くとそこには、七澤がいる。


「え?」

「ん?」


「ちょっと、ゴメン」

 俺は七澤の異常に長い前髪を上げてみる。


 ――なるほど、そういうことか。七澤は美少女だったんだ。


「七澤、前髪……長すぎない方がいいぞ」

 思わず口に出してしまった俺も、不意に言われた七澤も、真っ赤になる。

「うん……。吉川くんがそういうなら」


 なんとも気まずい空気がただよう。


「あ、立ち上がれるか? 歩きは?」

「大丈夫みたい」


「でさ、七澤。さっきの、全部見てたか?」

「うん。見ちゃった」


 俺は頭を抱える。

「化け物四匹は?」

「見た」

「そいつらが焼かれたのは?」

「見た。吉川くんの、魔法みたいなのも」


「だよなぁ……」


 こうなると、女神の影として選択肢が少なくなる。

 ひとつは、目撃者を殺してしまうこと。もうひとつは、目撃者を協力者にすることだ。


 七澤を殺す……なら、もっと早いほうが良かった。二度も命を助けておいて、今さら殺す気にはなれない。


 かといって、七澤が女神の影の仕事を手伝うのは無理だ。悪い意味で引きのいい七澤は、俺たちから離れているのがいい。


 それに、現地協力者に任命する権限があるのは、日本責任者のロッシュだけだ。


「はぁ〜」

「どうしたの?」

「今日見たことは、二人だけの秘密な」

「わかった!」

 妙に嬉しそうな七澤が、尻から生えた犬の尻尾を振り回しているようにみえる。

「いや、なんでもない。とりあえず、家まで送るわ」

「ありがとう」



 七澤を送って自宅に帰り、シャワーを浴びた。コンビニで買った夕食に手をつける前に、ロッシュに連絡をしようとスマホを操作する。


 それほど長く待つこともなく、ロッシュに繋がる。ロッシュは横磯市の職員で、基本的には定時で帰って、日本支部メンバーの連絡を待つことになっている。


 簡単な事務連絡のあと、俺は本題を切り出す。

「七澤楓香の件なんだが……」

「協力者にする話なら構わんぞ」


「ああ、それで、仕方なくだが、協力……あん?」

「協力者になってもらえ」

「なんでだよ?」

「今さら殺せないんだろ?」


「だけど、あいつは極度のトラブルメーカーみたいだぞ」

「それは、駆除係のお前には好都合だろう。あの子の近くにいれば、魔物の方から寄ってきてくれるんなら悪くないだろ」


「だけど、あいつを……」

「お前が殺すより、魔物に殺される方がマシだろ」

 ロッシュの声が低く響く。


「最近の状況が続いて魔物が増えていくなら、お前が手を下さなくてもいつか魔物にやられるタイプの子だろ。釣り餌にすることに問題はない」


 ロッシュは、全くもって女神の影の人間なのだ。表向きの温厚さに慣れてしまい。本質を忘れるところだった。


「そうか、そうだな。釣り餌になってもらう」

「では改めて、七澤楓香を協力者に任命する権限を、マレに与える。速やかに実施せよ」

「はっ」

 姿勢を正して命令を受け取る。


 ロッシュは元軍人で、俺が幼い頃から何かと面倒を見てもらっている。魔法はあまり得意ではないが、剣術や槍術のみを見れば俺より実力がある。


 熊のような大きな身体と、温厚そうな顔。


 しかし女皇陛下に対する忠誠心は岩のように硬く、任務のためならば他の犠牲をいとわない冷徹さも持ち合わせている。


 だからこその、七澤を協力者にしろという命令だ。温情ではなく、合理的判断に照らしての決断。


 俺は緊張感を取り戻す。たかが日本人の少女たったひとりのために、任務の本質を見失ってはいけないのだ。



 次の朝、いつもと違う教室の雰囲気に俺は戸惑う。


 男子は男子同士、女子は女子同士でグループになり、教室の一点に視線を集めている。


 その視線の先にあるものは、七澤楓香だったのだ。


「前髪、さっそく切ったんだ」

「うん。どうかなぁ?」

「似合ってるよ」

「ありがと!」


 七澤が自然な流れで俺に抱きついてくる。それを見て、クラス全体――いや、廊下からもたくさんの視線を受けているが……からたくさんの悲鳴が上がる。


「美男美女だ、尊し」

「まるでファッション誌の表紙だよ」

「よきよき、これすこ」


「おい、なんか、変に目立ってるぞ。離れてくれ」

「う、うん」


 俺が自分の席に座ると、大勢の男子クラスメイトが、さっと俺を取り囲む。


「お、おい。あれ、七澤だよな。あんなに可愛いの、知ってたのか」

「知らなかった」


「お前ら、付き合ってんだろ?」

「付き合ってない」


「え? じゃあ、俺、告白してきていいか?」

「どうぞ」

「俺も」

「その次、俺な」


 結局、その日は一日、にわか七澤ファンたちの告白と失恋が繰り返される。女子生徒たちはそれを冷ややかに見守った。


 学校を終えて、七澤を送って帰ろうとすると、大勢の男子がそれを遠巻きに眺めている。


「七澤、せっかくモテてるんだし、あいつらに送ってもらえば?」

「え? じゃあ、吉川くんは?」

「俺はちょっと用事があるんだ」

「えぇー」


「おーい、七澤に興味がある男子生徒諸君。こいつを家まで送っていってくれ。頼んだぞ」


 男子生徒たちが両手を上げて喜んでいる。これだけ数がいれば、目立つのが嫌いな魔物たちはおいそれと手を出せないだろう。


 七澤を男子生徒たちに任せると、俺は定期的に通っている病院に向かう。別に今日でなくても構わないが、行くべき時期にはなっているからだ。


 横磯駅から港湾未来線に乗り、馬車通り駅で降りる。駅からすぐのビルの中に、女神の影日本支部のもう一人のメンバーがいる。


 受付を済ませて、奥の部屋に案内される。しばらくすると、吉川花ことファナが部屋に入ってくる。


 長い金髪をまっすぐ伸ばし、特徴である長い耳を隠している。ファナはエルフ族の出身で、日本では美人で評判の精神科医だ。


「さて、ロッシュからも色々聞いているけど、悩み事の相談でしょ」

「ああ」

「とりあえず、採血済ましちゃおう」


 ファナは手際よく注射器を取り出すと、必要な量の血液を採り始める。全て終わって注射器を外すと、俺の自動回復魔法が発動してすぐに血が止まり、小さな針穴は瞬時に消えていった。


「本当、それ便利ね」

「日本では化け物としか思われないだろ。これを隠すのもけっこう大変なんだぞ」

「そうだったね。ごめん、ごめん」


 ファナは採血の試験管を所定の場所に置くため部屋を出て、すぐに戻ってくる。


「さて、女の子のことで心をわずらわせてるって聞いたけど」

「なんかロッシュにすげぇ嫌がらせされた気分だ」

「あら、爽やかな青春ストーリーじゃないの?」


 ファナはテーブルを挟んだ反対側の席につき、長い足を優雅に組んだ。

 俺の位置からはギリギリ下着が見えない際どい動作だった。


「さて、じゃあ、実際には何を悩んでいるのかな」


 両肘を置いて頬杖ほおづえをつき、見上げる仕草で俺の目を覗き込む。


 三百歳近い年齢のはずなのに、俺と同年代といっても不自然ではない。エルフは長命で、いつまでも若々しいのだ。


 ようやく本気で相談に乗ってくれる様子を見て、俺はホッとする。

 七澤について、俺はファナに考えているままに話すことが出来た。

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