第1話 学校デビュー!

 始業のチャイムが鳴り、教室内で自由気ままに過ごしていた生徒たちが指定された席に戻っていく。


 そのうちの少なくない生徒たちが、俺の姿を見て小声で何かを言い合っている。


「じゃあ、一緒に入れ」

「はい」

 クラス担任の山田先生に続いて、教室に入っていく。


「今日からみんなと一緒に学ぶ転入生だ。さあ、自己紹介を」

「はい」


 俺はできるだけこの世界の普通の高校生になりきって、名前を漢字で書き、日本語で、少し恥ずかしそうに名乗る。


吉川希きっかわまれといいます。よろしくお願いします」

 誰からともなく拍手が聞こえる。


 女子生徒たちは、この国では高い方の俺の身長や、珍しい銀色の短髪について語り合っている。どうも外国人が珍しいようだ。


 男子生徒からは、女子生徒たちの様子を受けての、若干の嫉妬しっとを感じる。


 日本は民族分布の多くを日本民族が占めている。そのため、もともと外国人である俺の見た目に注目されてしまうのは仕方がないと、事前に聞いている。


 そのハンデを乗り越えるために、この国の高校生の生活文化や言語について、徹底的に研究と訓練を行ってきた。


「趣味はギャルゲとラノベとアニメです」


 これで、俺は「ぼっち」として過ごすことができるはずだ。これで女子生徒たちはもとより、男子生徒も住む世界が違う者だと思い、彼らに敬遠されるはずだ。


 俺は山田先生に視線を送り確認すると、事前に教えられていた窓際の席に向かう。


 俺のぼっち作戦が功を奏したのか、女子生徒を中心に、非常に重い空気が流れている。俺は自分の席に座り、また山田先生の方を見る。


「えー、吉川には、人数不足の清掃委員をやってもらう。あとでお互い挨拶しておくように」

「はい」


 清掃委員、それは生徒で掃除をする時間の監視員のようなものらしい。それほど躍起やっきになって頑張らなければ、地味な仕事といえそうだ。


「では、朝のホームルームは以上だ」


 俺は時間割を見て、一時間目の古文の授業の支度をする。何事も人に頼らず、自分で完結させていれば、目立たずにいられるはずだ。


「あ、あの……」

 女子生徒に声をかけられ、俺は視線を上げる。そこには、長い前髪で顔の上半分が隠れた大人しそうな女子生徒がいた。黒髪で細身、色白で内気そうな見た目をしている。


「わ、私、七澤楓香ななさわふうかといいます」

「うん」

「あ、すみません、あの、その、清掃委員の」

「ああ! よろしく」


 俺はとっさに立ち上がり、右手を差し出す。七澤は、その手を恐る恐る俺の手に重ねる。その手は、見ているだけではわからない程度に震えている。


「改めて、吉川希だ」

「はい……」

 七澤の手が静かに俺の手から離れる。


 俺は椅子に座りながら、つい普段のくせが出てしまったことを後悔する。日本人同士は、握手をしての挨拶あいさつをあまりしないんだった。


「ん? まだ、何か?」

「あ、いえ……」


 七澤が俺の前から立ち去るのと同時に、古文担当と思われる教師が入ってくる。


 俺の日本潜入任務は、そこそこのスタートを切ったといえるだろうか。



 この野丸のまる学園高校は、高台にあるため、教室の窓から海を見ることができる。


 さらに俺の席からは、横磯ベイブリッジや、港湾未来地区の巨大ビル群も見ることができる。


 この地球という世界は、魔法学こそ原始的で発展に乏しいが、それ以外の学問が非常に盛んだ。


 そして、この日本という国は、我がルミアス皇国よりも建築や土木のレベルは明確に高いといってよい。


 その日本の高い技術を手に入れるため、我がルミアス皇国政府は日本との正式な国交を望んでいる。


 そのためには、相手のことを知る必要がある。


 そこで、我ら「女神の影」と呼ばれる諜報機関が日本でも活動しているのである。


 また、その業務の一環として、我々の世界タリアから迷い込んだ魔物や魔族を殲滅せんめつする任務も与えられている。


 地球にはいないはずの化け物の出現により市民がパニックに陥ることを、日本の政治家が嫌うからだ。


 日本人の大多数は、ここ数年の間に地球と異世界との境が曖昧あいまいになりつつあることを知らない。タリアのことも、ルミアス皇国のことも知らない。


 そんな重大なことが隠されていて、何が民主主義だと言ってやりたいが、そこは国ごとに考え方が違うと思うのが適切なのだろう。


 俺が「ぼっち」で昼食を終え、窓の外を眺めていると、すでに耳が覚えた声で、七澤が話しかけてくる。


「あ、あの、吉川くん。委員会の、し、仕事のことなんだけど……」

「うん」


「お掃除を真面目にやろうねって、ポスターを書くことになってて。あっ、それは私が画くよ。で、その……ど、どんなデザインがいいかなぁ」

 七澤が緊張した様子でこちらを見ている。


「あの……、吉川くんは、ほ、ほうきは好きですか?」

 真っ赤になった七澤が、冷や汗らしきものを流しながら聞いてくる。

 しかし、箒を好きなのだろうか、七澤は。


「ああ、箒とか、いいかもね」

「ほ、箒ね。じゃ、じゃあ、吉川くんは、どんな箒が好き?」

「どんな箒!?」


 俺はルミアスにある箒を思い返す。箒に好きも嫌いもないと思うのだが、日本では箒に特別な愛着を持つ文化があるのだろうか。


「た、竹箒が、好きかな……?」

「た、竹箒ね! 気合入れて竹箒を画くね」


 七澤は満足したようで、俺の二つ右にある自分の席に帰っていった。



 午後の授業が終わり、横磯駅に向かう生徒たちの流れにそって歩いていく。かなり急な坂を、ゆっくり歩いて下っていく。


 試しに俺が立ち止まってみると、大慌てで何かに隠れる足音が聞こえる。


 野丸学園高校に通い始めて一週間、俺はそれなりの手応えを感じていた。


 クラスの中で、基本的に「ぼっち」でいられるポジションを確保しつつ、生徒会書記で隠れオタクの朝河涼真という男とはそれなりの友誼を温め、何かのときに相談できる関係になった。


 「ぼっち」であることで、課業中や休み時間、放課後に自由に動ける上、困ったときには朝河という面倒見のいい現地人に協力を求められる。


 実に理想的だ。


 ただ、ひとつだけ誤算があった。


 同じ清掃委員の七澤楓香のことだ。


 七澤はどうやら、俺に性的関心を抱いているようだった。


 何かにつけては清掃委員の仕事で相談したいといい、俺の個人的な趣味や嗜好を聞き出そうとしている。


 そして、タチの悪いことに、放課後は俺の尾行をしようとしているのだ。


 これは日本でいうところのストーカー行為というものだ。俺も諜報員である以上、尾行をしたりされたりには慣れている。


 しかし、ここまで隙だらけであからさまな尾行をされると、どうあしらったものか、迷いが生じてくる。


 あえて知らないふりをするべきか、タイミングを見て説教をするか。


 結局は、どこかで止めさせないといけないだろう。俺は放課後、日本に迷い込んだ魔物を狩る仕事をすることが多い。日本にいる三人の諜報員のうち、もっとも戦闘適性が高いからだ。


 七澤が無防備に俺をつけ回しているうち、何かの拍子で魔物との戦闘に巻き込まれないとは限らない。


 それだけに、ストーカー行為などという馬鹿げた真似は止めさせる必要がある。


 

 機を見て説教をしよう。そう思った俺の目の前の歩行者信号が、点滅を始めていた。


 小走りに駆け抜けると、すぐに歩きに戻す。日本では戦争や魔物の被害で亡くなるより、交通事故で亡くなる人の方が多いらしい。気をつける必要がある。


 俺をつけている足音も、小走りになり、急に立ち止まる。


 俺はとっさに振り向く。


 ――間に合わない!?


(時空魔法、時の遅滞!)


 俺は猛ダッシュで横断歩道に向かう。歩行者用はすでに赤信号。自動車用も黄色信号だ。


 スピードを落とさず曲がってきたトラックに、少女がぶつかりかけている。


(風の精霊魔法、疾風の足音)


 俺のスピードが大幅に上がる。


 どうにかトラックと七澤の間に身体を入れることができた。


 ――時空魔法が切れる!


 激しい衝突音。空中で回る俺と七澤の身体。交差点近くのマンションの壁にぶつかり、落下する。


 俺は七澤の軽い身体を、そっと自分の脇に置く。


 全身の状態を確認するが、無意識に展開した結界魔法の影響で、かすり傷で済んだようだ。


 そのかすり傷も、無意識に施術される治癒魔法であっという間に消えていく。


「かすり傷すらないのはまずいだろうか……」


 日本人は魔法を使わない。それだけに、トラックに轢かれて無傷というのは不自然なのではないか。


 迷っているわずかな間に、周辺にいた生徒や教師に囲まれてしまった。もう、腹をくくるしかない。


 結局、その日はトラック運転手に土下座され、警察に事情を聞かれ、念のためといって七澤とふたり病院に連れていかれ、あちこち検査された。


 日本人とルミアス人には生物学的差違はない。そこは確認済みなため、俺は安心して検査を受けたのだが、決して楽しいことではない。


 病院の用事が済むと、迎えに来た「女神の影」日本責任者のロッシュの車で帰ることにする。ロッシュは、日本の戸籍上では、俺の養父になっている。


 後部座席に座り、窓の外を眺める。辺りはすっかり暗くなっている。助手席には、どこか楽しそうな七澤がいる。


 運転席のロッシュが縦も横も大柄なためか、七澤がいつも以上に華奢に見える。


 両親そろって外国に単身赴任しているという七澤をマンションまで送っていくことにしたのだが、どうにも腹が立ってしまう。


 せっかく、目立たずに動きやすいポジションが固まりつつあったのに、今日の出来事で俺はすっかり学校の有名人になってしまったからだ。


「今日はありがとうございました! き、吉川くん、命の恩人です。ありがとう!!」


 手を振って見送る七澤に対して、俺は雑な手の振りだけで応答する。


 大きくて洒脱しゃだつなマンションの前でいつまでも手を振っている七澤を、俺はバックミラー越しに睨みつけた。


「おいおい、そんなに怒った態度じゃかわいそうだろう」

「んぁ〜、そうだな。でも、俺はあいつを許せねぇ」

「全力で助けといて、よく言うぜ」


「うっせぇ。あー、見捨てりゃ良かった」

「素直じゃないなぁ」


 俺は独り暮らししているマンションに降ろしてもらうと、さっさと部屋に入る。気疲れで食欲もなく、面倒臭くてそのまますぐに寝てしまった。

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