第31話 日本のクリスマス!

 楓花ふうかはその日、学校を休んで横磯の海辺を見に来ていた。


 海辺といっても、横磯ではほとんどが公園や埠頭ふとう、工場脇の岸壁になっているため、人工の浜辺以外、コンクリートに覆われている。


 楓花の予感では、今日、この周囲にまれが帰ってくるはずだった。


「せめて、海に落ちればマシだけど、コンクリートの上に落ちたら痛いだろうなぁ」


 より落ちてきそうな場所を求めて歩くうち、人工島である七景島しちけいじまが遠望できるまで南下してきてしまった。


 七澤が七景島を見ながら待つ、そう考えると語呂がよくて、いかにも希が落ちてきそうに感じられた。


「吉川くん、待ってるぞ」


 岸壁に寄せては返す波をみていると、希がいなくなってからひと月の長さが感じられて、早く希を抱きしめたいと楓花は願う。


 どれほど時間が経ったか、胸が躍るような感覚が楓花を強く捕らえる。


 楓花は唐突に着ている服を脱ぐ。ブラジャーとパンティだけの姿になると、岸壁から綺麗なフォームで飛び込み、海に潜る。


 海中で海面の動きに注意していると、ボワァァァンという音が聞こえ、真っ白な泡が現れる。


 その中から姿を現したのは人の形のもの、楓花は美しいフォームで落ちてきたものに近づいていく。


 間違いなく、吉川希だ。


 沈んでいこうとするその身体を抱きとめると、楓花は希の唇を自分の唇で塞ぐ。ある程度空気を送りこんだら、まだ意識のない希の口と鼻を抑え、慌てて溺れないようにする。


 後ろから抱えるようにすると、力強いストロークで海面に向かう。ちょうど太陽の光が揺らめいている場所を目指す。


 海面から顔を出す。希の口と鼻から手をどける。岸壁に近づいていくと、楓花が飛び込むのをどこかで見て心配した人たちが数人、救命浮き輪やロープを用意して待ってくれている。


「ありがとうございます! まずは、彼からお願いします」



 俺が七澤に拾われてから一週間が過ぎた。親しい人たちが代わる代わるお見舞いに来てくれて、照れくさいほどに俺の無茶をたしなめ、生きていることを喜んでくれた。


 俺の心臓がもたらす自動結界と自動回復魔法の恩恵は、宇宙空間に無防備で放り出された俺が死なずに済むほどの強力なものだったらしい。


 疲れや飢えが癒やされると、身体中の細胞が全て新しく生まれてきたばかりのように活性化していて、リハビリが一気に進むのだ。


 医療関係者は無理をするなといったが、むしろ体力が余って眠れなくなるほど、全身に力が溢れている。


 退院の日、ロッシュとファナ、七澤とあやめが迎えに来てくれた。


 入院期間が終わり、宇宙空間をさまよっていた時間を合わせればひと月半も俗世から離されていたからか、ルミアスと日本の安全保障条約や貿易公社のことなど、遠いおとぎの世界の出来事のように感じられた。


 学校に復帰すると、大騒ぎになる。俺がルミアス人で、イシュナンと戦ったことは報道で明らかになっており、にわかに英雄物語の主人公にされてしまう。


 もう姿を隠す意味がないなら、日本の高校に通う必要はない。しかし、日本の文化により馴染むことができるようにとのロッシュの配慮で卒業まで通うことになった。


 しかし、ラブレターを渡そうとあの手この手で迫ってくる大量の女子生徒と七澤の対決を見る度、やはり退学した方がいいような気がするのだった。


 本業の方では、ルミアスと日本の安全保障条約に基づき、魔物討伐の仕事を堂々と行えるようになった。しかし、イシュナンがいなくなってからは日本に魔物が迷い込む頻度ひんども規模も小さくなっている。


 女神の影や軍から数人の選抜されたスタッフが俺の部下としてやってきたが、皆、出動回数の少なさや、魔物の弱体化などの現実を前に退屈さを隠せなくなってきている。


 近いうち、部下たちが日本に魔法技術を教えるスタッフを兼ねるように調整して、彼らの仕事を確保することにした。


 学校生活と、部下を得ての新しい仕事をこなしていくうち、少しずつ木の葉が色づき始めた。


 万が一、本物の魔物が紛れ込むことがあるかもしれないと念のため警戒していたハロウィンイベントの警備を終えると、一気にクリスマスという年末イベントが始まる季節になる。


 日本は四季が美しいというが、自然の変化と共に様々な季節ごとのイベントを全力で楽しもうとする日本人の気質や文化もまた四季のひとつだと気づいた。


 七澤とあやめがルミアス人のためにクリスマスパーティーを開いてくれるということで、俺たちは自転車を引っ張って商店街まで買い出しに来た。


 大きなクリスマスツリーの下で自撮りをしつつ、いくつかの店で飾りつけやプレゼントの買い出しを行う。


「吉川さん、クリスマスイブは何をして過ごすご予定ですか」

「十二月二十四日の夜のことか。特別予定はないけど」

 俺がそう伝えると、あやめの大きな瞳が輝き出す。


「なら、ウチで過ごしませんか。母と私で、教会で聖歌を歌ったり、お祈りをして過ごすんです。そういう本来の過ごし方も、静かな気持ちになれてとても素敵なんですよ」


「ダメー! そんな優等生のクリスマスでなくて、ウチでテレビでも見て過ごそうよぉ」

 七澤が寒さで頬を赤らめながら、ふてくされたような顔をしている。


「ゆ、優等生のクリスマス!? 本来の過ごし方をするのがそんなにお堅いと言うんですか」


「そうだよ。私も吉川くんもキリスト教徒じゃないんだし、楽しいクリスマスを過ごすべきだよ」


「吉川さん、クリスマスイブに男女のふたりきりになりたいなんて、とぉってもふしだらなことなんですよ」


「そ、そうなのか」


「そんなことないよ、別にエッチな意味じゃないし、ふたりきりで楽しめるようにお菓子もジュースも用意するし、ちゃんとコンドームだって買うし」

「思いっきり下心満載じゃないですか!」


「吉川くんはどっちがいいの?」

「吉川さんは、本来の過ごし方をしてみたいですよね?」


「え? あー、あ? 今決めなきゃダメ?」


 優柔不断!


 と、七澤とあやめの声が重なる。ふたりににらまれた俺は、本能に従いその場から逃げ出す。

 そして、ふたりが追いかけてくる。


「まだよくわかんないのに決められないよ!」

「そんなことだからイケメンなのに童貞だってファナさんが言ってたんだからね!」

「吉川さんは、下心なんてなくて、日本の行事を経験したいんですよね?」


「わかんないよっ、勘弁してくれ!」







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吉川君は異世界からの諜報員(エージェント)―― 異世界無双の諜報員が日本の美少女と、魔物たちの野望を砕きます―― 青猫兄弟 @kon-seigi

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