第31話「狂信者の祈り」
「ぬはははっ! 何が常星じゃ、あっけなかったのう!」
夜天を照らす篝火のなか、ユピネガの笑声が響く。嵐と雷雨が一度に暴れたような荒野に立つのは、黒髪の少女ただひとり。その足元に無惨に倒れる男がひとり。
「そん、な……」
常星の化身、マサトが死んだ。
ファナはその事実を信じることができなかった。
彼の身から滲み出る魔紋は間違いなく常星のそれだった。幼い頃、星守りの巫女としての役を与えられてから毎日毎夜見つめ続けていたのだから、間違えるはずがない。それに、彼は人ならざる力をいくつも持っていた。彼に比べれば、常星の申し子を僭称するミトなど、赤子の手をひねるかのように簡単に打ち倒せると確信していた。
しかし、現実は違っている。
「マサト様が」
「死んだ……?」
オルタランフランとレガリオも愕然としている。彼女たちも同じく、マサトに信頼を寄せていた。彼の力を間近で見て、確信していたのだ。
だが、その瞳が大きく揺らぐ。自分たちの信仰が、根本から虫に喰われ倒れてゆく。
「いいえ、違うわ」
狼狽える二人の教区長に、ファナがかぶりを振る。彼女の目は暗く澱み、現実を見据えていない。
「マサト様は死んでいないわ。だって、あの方こそ常星の化身……。死ぬはずがない」
「ファナ……」
幽鬼のごとき朧な気配を見に纏い、ファナは杖を握って戦場へ歩み出す。彼女の視線の先にあるのは、常星を害した厄災だ。
「アイツが落星の元凶なのよ。そう、分かったわ。アイツが星を落とした」
異常な事態に直面し、信仰は狂気を生み出す。彼女の思考は渦巻き、理想の論理を構築する。
常星が落ち、地上に混沌が訪れたのは、あの少女のせいである。なぜなら、あの少女はマサトに害をなしたのだから。
ファナはその論理を真理に置き、杖を構える。
「〈灼熱〉〈螺旋〉〈直線〉――『火竜の息吹』ッ!」
闇を貫き業火がほとばしる。後先を考えない全力の
全てを焼き尽くす竜のブレスを模倣する強力な叙述魔法である。常人であれば、その火の粉がひとつ落ちただけでも消し炭となる。それを、申し子は真正面からもろに受けた。たとえ死なずとも、一矢報いるくらいには――。
「がっ――!?」
「ファナ!?」
ある種楽観的な予測をしたファナは、直後にそれを裏切られる。
下腹部に燃えるような痛みが走り、口から血が溢れる。焦点の定まらない目を彷徨わせ、自分の現状を知る。
「――人の子とあろうものが、これほどの火を使うか。結構、結構」
「お、まえ……」
ファナの体を赤い腕が貫通していた。刹那の間に、炎の中から傷ひとつないミトが現れ、一瞬にしてファナの腹を貫いていた。オルタランフランとレガリオが悲鳴をあげ、駆け出そうとする。だが、背後の二人をファナが腕で制した。
耳元で囁かれた声はたしかにミトのものである。しかし、気弱な印象の拭えない震えた声ではなく、自信に満ち溢れた尊大な物言いは違和感がある。
ファナは腹に力を込めて、ミトの腕を固定する。
「おまえ、誰だ」
ファナの瞳に怒りの炎が宿る。
黒髪の少女から滲み出す魔力は圧倒的だ。それこそ、マサトにすら匹敵するほどの、ファナでさえ羽虫のようにしか思えないほどの、膨大な魔力である。
だが、その魔紋は常星のそれとは似ても似つかない。全くもって異なる形をしている。
「腹を抉られ、まだ生きるとは」
黒髪の奥の目が怪しく光る。ファナは大量の血を流しながら、気力――信仰の力だけで立っていた。歯を食いしばり、目の前の邪神を睨みつける。
常人には考えられないほどのしぶとさ。その力の根源が、星に向けた祈りであると、ミトの中に宿るものはすぐに気がついた。未だ、それほどの傑物がいるのかと、感心さえした。
「良かろう。貴様の問いに答えてやろう」
彼女はにやりと口元を歪める。一瞬、わずかにミトの輪郭が揺らぐ。
「きゃああっ!?」
鮮烈な炎が吹き上がり、ファナが熱と痛みに悶える。
「あれは……!」
後方からそれを見ていたオルタランフランが愕然とする。
ミトの姿が大きく変わり、その身から滲み出す魔力が更に増大していた。
「あれは常星ではない。だが、それに匹敵するほどの神ではないか」
レガリオも機敏にそれを察知する。剣を持つ手が無意識に震えていた。
神格とも言えるような、未知なる威風を纏い、ミトはその姿を変貌させる。
燃え盛る赤い髪、焦げついた肌。その肢体は完璧で、美しさを超越した神々しさを持つ。離れていても感じるほどの圧倒的な熱。その手には巨大な戦斧が握られている。
「我が名はイグニール。衝突と融合の権化、最初の戦いの神。燃える火の中より生まれ出でし者なり!」
炎がうなり、篝火を薙ぎ倒す。荒野さえ燃やす圧倒的な闘争の火が、夜を塗り替える。
「イグニール……。なんということ……」
その名を聞いたオルタランフランが声を震わせる。
長いエルフの歴史の原初の時代と呼ばれるはるか太古の時より伝わる、古い神の名であった。この世界で最初に生じた戦いのなかで生まれ、幾多もの戦場のなかで育まれてきた。その権能は“戦い”そのもの。勝利や支配すら副次のものとする、根源にして根本にして根幹を司る。
故に、必勝。
その神は負けさえも糧として勝つ。
「――なるほどねぇ。わざわざそっちから出てきてくれるなんて、ありがたいじゃないか」
ユピネガさえもが驚愕し絶句する荒野に、気の抜けた声が響く。
「……あ、ま、マサト……さま……?」
それに一番に反応したのは、イグニールの炎に焼かれていたファナであった。もはや彼女は死んでいた。それでも、その声を聞いて、ただ圧倒的な信心だけで僅かに息を吹き返したのだ。
その狂信とも言えるほどの信頼に応えるように、彼女の焼けこげた頬に手が添えられる。
「すまん、ちょっと遅くなった」
彼が触れたところから、ファナの頬は白磁のごとき美しさを取り戻す。全身から痛みが引き、爛れた肉が癒えていく。神の奇跡に、彼女は感涙の涙を流す。
力を失い、倒れそうになる彼女を力強く抱き止めたのは、傷ひとつないままに現れたマサトであった。
「信じて、おりました」
「その祈りのおかげで助かったんだ。あとは俺に任せてくれ」
ファナを横抱きにして、マサトはオルタランフランたちのところへと向かう。
「マサト様、どうして……」
「常星は不滅の象徴なんだろ? つまりはそういうことだ」
愕然とするオルタランフランの視線は、地面で倒れているマサトの死体と、ファナを抱き抱えているマサトの間を往復する。
「やはり、マサト殿は常星の化身のようだな」
絶句するオルタランフランに代わり、レガリオがファナを受け止める。そして、マサトに向かって正式な祈りを捧げた。
「敵は強い。どうか、我らの祈りを」
「ありがとう。君たちの祈りも俺の力となる。ちょっと時間はかかるかも知れないが、信じて待っていてくれ」
マサトはそう言って笑い、しれっと教区長たちの背後に戻っているセラウを一瞥する。彼女もまた、ゆるく翼を揺らし、ニコリと笑った。
何度でも、いくらでも、彼女たちが信じてくれる。その祈りが力となり、彼は無限に立ち上がる。
「――戦いの神イグニール。待たせたな」
「良い。互いに最高の戦いをしようではないか」
炎を身に纏うイグニールの神力は、ララルーのそれをはるかに上回る。“戦い”という広範な事象を司る故に、その神力は莫大なものとなっているのだ。
それでも、マサトは臆することなく立ち向かう。彼を信じる者がいるから。
「さあ、第二回戦といこう」
互いに走り出す。戦斧が風を切る。次の瞬間、マサトの首が刎ねられた。
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