第22話「美貌のエルフ」
国境沿いの町で一晩休み、翌日には出発する。目指すはシュライディア王国の首都、森都だ。いくつかの町を経由しながら進むこと数日。乗合馬車なども併用したことで、予想よりも早くその姿が見えてきた。
「あれがトライア山脈で、その下に広がってるのが大森林か」
鈍色の肌を白く化粧する峻険な山が脈々と連なっている。天を突き上げる剣の鋒や、世界を覆う屋根のようにも見える雄大な山嶺は、トライア三国を抱き込む雄山だ。
そして、圧巻の威容を下から支える濃緑が、シュライディア王国の中心たるエルフ族の本拠地、大森林だった。
小高い丘の上から見下ろせば、スケールの大きな二つの絶景が一望できる。遠すぎて距離感も狂ってしまうが、大森林を構成する木々はかなりの大きさのようだ。
「行きましょう、マサト様!」
絶景を前にしてテンションを上げるセラウに手を引かれ、俺たちは再び歩き始める。滑らかな大理石が敷き詰められた街道は歩きやすく、また迷うこともなさそうだ。
大森林の間近まで迫ると、その異様さが如実に分かる。木々の一本一本が、高層ビルのような大きさなのだ。高さは200メートルは有に超えているだろう。太さも直径10メートルは下らない。いったい、樹齢はいかほどなのか。想像すらできないほどの老樹ばかりだ。
「これはすごいですね。森の中に魔力が満ちています」
ファナも大森林の宿す力に圧倒され、ずっと上を見上げている。
木漏れ日のなかには普通サイズの木々もそれなりに生えていて、森の中に森があるという奇妙な光景を呈している。水源も豊富なのか、木々の根をくぐるように清水のせせらぎが聞こえてくる。
「ファナさんもここへ来るのは初めてなんですか?」
珍しい色をしたキノコをつんつんと指でつつきながら、セラウが尋ねる。
ファナは自ら俺たちの旅に同行してくれたが、もともとは星守りの巫女という炎星教の中でも高位の聖職者だ。そういった役職にあれば、外交の場に立ち会う機会も多そうだ。けれど、彼女は少し恥ずかしそうな顔で頷いた。
「本来、星守りの巫女は塔から出ることも許されませんので。案内人を申し出ておきながら申し訳ありません」
「いや、実際ファナには助けられてるからな。むしろ良かったのか?」
「もちろん! 星守りの巫女の務めは常星から目を離さず、常にその輝きを見つめること。つまり、今も私はその使命を果たしているのですから」
ぐい、と勢いよく迫ってくるファナ。その拍子に彼女の主張の強い双丘が大きく上下に揺れる。神様目指してるなら煩悩も捨てなきゃならんと分かってはいるが、悲しい男の性は何回死んでも治らなさそうだ。
「う、ぐ。それは良かった。これからもよろしく頼む」
「お任せください!」
ファナはそんな自分の魅力的な容姿に気付いているのかいないのか。嬉しそうに笑みを浮かべて森の中を進む。
「マサト様、別に浮気はいいですけどわたしだって常に貴方を見ているんですからね」
「わ、分かってるよ」
歩速を上げるファナを追いかけながら、セラウがそっと低い声で囁く。同時に腕を絡ませて胸を押し付けてきて、主張も忘れていない。本当に天使というやつは。あんまり鼻の下を伸ばしていたら、地獄まで招待されそうだ。
「そうだ、パントスピュラ大教会のオルタランフリンっていうのはどういう人なんだ?」
湿度を増してきたセラウから逃れるように、ファナへ話しかける。実際、重要な情報なので聞いておくのは大事だ。
緑衣派と呼ばれる炎星教の一派は、シュライディア王国で強い影響力を持っている。大森林にあるパントスピュラ大教会も緑衣派の本拠地として知られ、オルタランフリンという人物がそのリーダー格となっている。
「オルタランフリンはエルフ族の炎星教徒で、シュライディア教区長です」
「へぇ。エルフなのか」
炎星教の影響力は強く、他種族にも信徒は多い。しかし、自然崇拝的な文化が根付いているエルフ族で炎星教を信じているものは、比較的少ないと聞いていた。しかし流石はエルフの国というべきか、シュライディア教区ではエルフ族がトップにいるとは。
オルタランフリン氏について更なる情報を求めると、ファナは一瞬苦い顔をする。何か因縁でもあるのだろうかと首を傾げると、彼女は慌てて首を横に振った。
「オルタランフリンは非常に敬虔な炎星教徒で、優れた才能を持っています。とはいえ……」
オルタランフリンの聖職者としての素質や働きに不満は一切ないと念を押す。その上で、彼女は素直な心情を吐露した。
「階級的には私の方が高いのですが、年齢でいえばあちらが圧倒的に年上なのです。私自身はこちらへ訪れたことはありませんが、各地の教区長は定期的にオブスクーラへやって来るため面識はあるのです。それで……」
「ああ、それはちょっとやりにくそうだな」
言ってしまえば年上の部下みたいなものだろう。長命種であるエルフと、70も生きれば大往生な人間族では年齢のスケールが違うとはいえ、時間は全てに平等だ。
聞けば、オルタランフリンはファナの三代前の星守りの巫女の時からシュライディア教区の長を務めているのだという。
「オルタフランクリンって、今いくつなんだ?」
「ええと、私が幼少の頃に350歳の誕生日が祝われていたような……」
「もう感覚も麻痺してくるな」
いまだにこの世界のエルフというものを見ていないから、350歳がどの程度のものなのかもよく分からない。とはいえ、自分よりもはるかに長く生きている存在を相手にするのは、かなりやりにくいだろう。
だからこそ、千年以上前の記録もエルフならば保存している可能性も高い。エルフの国を目指したのは、そこに人間には古すぎて伝えきれないような記録が残っている可能性を考えたからだ。
「あ! あれですね、パントスピュラ大教会です!」
地図を広げつつ歩いていたファナが不意に立ち止まり、木々の向こうを指さす。その奥に、何やら立派な木造の建物が垣間見えた。
「すごいな。あれで石造じゃないのか」
「エルフは優れた木工技術を持っていますから。石材を森に運び込むのも大変だとかで、大森林の中の建物はほとんどが木造なんですよ」
近づくほどにその威容が顕になる。四つの尖塔が木々に混じって立ち上がり、傾斜の急な屋根が見える。これまで見てきた人間族の建築様式とはまるで違う、生きた木々をそのまま融合させたかのような、調和の取れた美しい教会だ。
ここがシュライディア王国における炎星教の最大拠点にして、緑衣派の本拠地。300年以上生きるエルフが住まう家。
自然と背筋が伸びて、肩に力が入る。
開け放たれた大きな扉へ足を踏み入れる。
「――あら、巡礼の方ですか?」
天井の高い荘厳な礼拝堂。その奥にある祭壇に輝く炎星の下に、彼女は立っていた。
透き通るようなライムグリーンの髪を白いウィンプルで包み、その下から笹型の細長い耳が伸びている。翡翠のような瞳には知性と慈愛の輝きを湛えた、たおやかな女性だ。
修道女かなにかだろうか、と一瞬思う。しかし、彼女の装う神官服が、ファナが着ていたものに近い意匠を施していることから、高い位にある人物であると気がつく。より具体的に言えば、前垂れに記された星の数が、最上位にひとつ足りない五つなのだ。
「え、まさか……」
そこまで考えて、ようやく分かった。
「もしかして、オルタランフラン、なのか?」
華奢な体格をした美しいエルフの女性は瞳を揺らす。俺と、セラウ。そしてファナを見てあっと口を開いた。
シュライディア教区長にして緑衣派の主格、齢350を重ねるエルフは、まるで年端もいかない少女のような可憐さで、瑞々しい笑顔で俺たちを出迎えた。
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