第9話「常星の正体」
ファナは硬直する俺の手をぎゅっと握り締め、己の胸に押し付ける。その瞳は酔ったように不安定で、それなのに力強い意志を感じる。
「な、何のこと――」
「隠さずとも構いません。私は星守りの巫女、貴方様のことを一目見たその時から分かっております」
「ええ……」
とぼける俺に有無を言わせぬ勢いで迫るファナ。困惑する俺に変わって口を開いたのはセラウだった。
「ま、待ってください! マサト様がそんな、常星様なわけがないじゃないですか。こんなぱっとしない顔ですよ」
「顔はほっとけ!」
なんかどさくさに紛れて酷いことを言われた気がする。確かに天使であるセラウは人外じみた美しさだし、ファナも目が覚めるような美人だけどなぁ!
セラウはファナから俺を引き剥がし、守るように間に割り込む。対してファナは不機嫌そうに眉間に縦皺を刻んだ。
「どいてください」
「い、嫌ですよ!」
俺に対して放たれた陶酔したような声とは一変し、身の内から凍えるような冷たい声だ。セラウも一瞬怯えるが、すぐに立て直して毅然と拒否する。
「そんなに言い張るなら証拠でも出してもらいましょうか!」
「分かりました」
「へっ?」
両腕を広げてアリクイの威嚇みたいなポーズをするセラウに、ファナはすんなりと頷く。やけにあっさりと受け入れられてしまって、セラウの方がたじろいだ。
ファナはくるりと身を翻すと、天球の間の隅にある戸棚から分厚い紙束を取り出した。
「それは?」
「歴代の星守りの巫女が書き記した観測記録です。大望遠鏡から見えるものを精細に記録しているのです」
テーブルに広げられたのは大量の羊皮紙だ。そこには日付らしきものと、円形の中に描かれた太陽のようなものがずらりと並んでいる。
「これが常星……?」
そのイラストを見て、俺は首を捻る。
東に目を向けて鎮座する望遠鏡を見て危惧していたものとはどうやら趣きが違う。俺はてっきり、断熱圧縮で燃え上がる俺の死体を観測されて、その結果から常星の正体が看破されてしまったのだとばかり思っていたのだが。
そこに描かれていたのは、無数の複雑な波のようなグラデーションだ。顔面はおろか、人の体にすら見えない。
「全然マサト様には見えませんが?」
これのどこが証拠なのだ、とセラウは勝ち誇ったように言う。実際、この絵を見せられたところで、いくら俺と見比べても一致しない。しかし、ファナはそんなセラウを見て、「これだから素人は」とでも言いたげに肩を竦めた。
「常星様の御神体を直に
「……ええと?」
「ここに記されているのは、常星様の放つ魔力の波です。多くの者にとってそれは、ただの揺らめく炎にしか見えません。しかし、星守りの巫女としての素養を持った者がこの大望遠鏡を用いれば、その炎をより詳しく分析できるようになるのです」
常星が魔力を放出していると言われても、こちらにはそんな自覚は一切ない。やはり、常星は俺の死体ではなかったのだろうか。
しかしファナは揺るぎない確信を持って、俺のことを常星だと断じている。
「この世の万物は全て魔力を持ち、それを放つ時に特定の波を見せます。魔力波紋と呼ばれるそれは、個々それぞれによって異なり、個人の識別にも使われるものですが」
ここまではご存知でしょうといった調子で話が進められるが、初めて聞く話である。いわゆる指紋みたいなものなのだろうか。
「魔力波紋――魔紋は一定の魔法的素養のある者でなければ見れません。それも、天に座す神の魔紋ともなれば、このオブスクーラでもごく一握りの者だけ。常星様の放つ魔紋を注視し、記録し続ける。そこに宿る御言葉の真意を探り、それを伝える。それが星守りの巫女なのです」
「そ、そうだったんですか……」
ファナの説明にセラウが愕然とする。
天使なんて全知全能とまでは言わずとも魔法みたいな神秘的な事については精通しているものだと思っていたのだが、どうやら知らなかったらしい。まあ、彼女はあくまで輪廻転生を司る天使なので、管轄外の事は分からないのだろう。
「しかし、俺に魔力なんてものは――あっ」
「何をおっしゃいます。人の身へと変えてその御姿を隠そうとも、星守りの巫女には分かりますよ」
ニコニコと笑うファナ。彼女が再びにじり寄る。
俺は慌ててステータスウィンドウを開き、過去に取得した特典を見直す。
「……〈無尽の魔源〉」
引き換えた特典のなかに、それがあった。3,000兆徳ポイントというかなりの高額特典。その能力は、無限に尽きることのない魔力を宿すというもの。
この特典を手に入れたのがいつ頃だったかはもう忘れてしまったが、おそらくはこの世界の人類が常星を観測し始める以前のことなのだろう。仮に〈無尽の魔源〉を手に入れる前に観測されていたら、それこそ燃える死体が見られていた可能性もある。
つまり、溢れ出す大量の魔力によって、常星の正体が隠されていたのだ。しかし、俺もセラウも魔力波紋というものの存在を知らなかったことで、そこから正体が看破されてしまった。
「そういう訳ですので常星様は炎星教で厚くおもてなしします。しかし、この方は……」
「ええっ!? わ、わたしはマサト様から離れませんよ!」
重たそうな服装にも関わらず機敏な動きでセラウのガードをすり抜けたファナが俺の腕に絡みつく。お、おっぱいに沈む!
だが、ファナがセラウに向ける視線は冷ややかだ。むしろ蔑みと言ってもいいくらいに。
「常星様、この鳥人は全く魔力を感じません。なぜこのような者を従者になさっているのですか?」
疑問を口にするファナ。そんな彼女の裏表のない顔を見て、すっと頭の奥が冷えていく。
「二つ、言っておく。俺はマサトだ。そして、セラウは俺の大切な人だ。俺のことを敬ってくれているなら、そのことを忘れないでくれ」
「……ッ! し、失礼いたしました」
俺の本気を感じたのか、ファナは緊張を帯びてしずしずと下がる。逆にセラウは口元を緩めてクネクネと身を捩っている。それはどういう感情なんだ?
セラウから魔紋を感じ取れない理由は何となく思い当たるところがある。俺はそれを確かめるため、彼女に声を掛けた。
「セラウ。一応聞きたいんだが、魔力って持ってるのか?」
「持ってる訳ないじゃないですか。わたし、天使ですよ?」
つまり、そういう事だ。
俺は〈無尽の魔源〉というチート能力によって無尽蔵の魔力を持っているが、セラウはそうではない。むしろ、天使という神聖の権化のような存在が、魔と名に冠するようなものを持つ方がおかしいまであるだろう。
「ちなみに神力ならかなりありますよ。これでも結構偉い天使ですから!」
そういえば、第一の熾天使とか何とか言っていたな。加護を受ける際に見た六翼を広げる彼女は神々しかった。あの時に放たれた謎の光が神力というやつだろうか。
とはいえ、膨大な神力もこの世界では意味がない。高い魔法的素養を持つファナであっても、セラウのそれを感じ取ることはできないようだからな。見えないものは、ないのとほとんど同じである。
つまり、今この世界においてセラウは魔力のない非才な鳥人にしか見えないというわけだ。
「マサト様、ぜひお教え頂きたいのです。なぜ、姿をお隠しになられたのですか?」
ファナが再び傅き、問うてくる。
俺の身から滲み出る魔紋から、俺と常星の同一性はもはや彼女には隠せない。しかし、まさか地上に降りるために特典を引き換えていたから、などと答えられるはずもない。
「マサト様がお隠れになって2週間。すでに混乱は大陸中に広がっております。国境では緊張が高まり、いずれどこからか戦火が上がるでしょう。それは拡大し、多くの者が被害を受けることになるでしょう」
炎星教はこの世界の、少なくともこの大陸において広く篤く信仰されている。だからこそ、その柱である常星がなくなれば大きな不安が生まれる。
正直、俺に言わないでくれと思わないでもない。別に常星様とやらになりたくてなっていたわけでもない。しかし、ここで彼女を突き放すこともできなかった。
俺がここにいる限り、常星が再び現れることはない。その結果、世界が荒廃するというのは、耐え難い。
「あー……」
どう答えるのが正解なのだろうか。何もわからない。
全てを見通す〈森羅万象の神眼〉もその答えを教えてくれるわけではない。特典はどれも強力だが、万能ではない。
「俺は、長いこと天より地上を見ていた」
事実ではある。転生してから死ぬまでの数秒間、わずかではあるが地上が見える。青い海が広がり、緑の大陸があり、夜には小さな灯りが見えた。何度も転生を繰り返すうちに、徐々にその光が広がっていくのも見えた。
「だが、実際に同じ高さになければ見えないものも多い。俺はそれを見るために降りてきた」
上空700kmから見えるのは、あまりにも広大な星だけだ。そこにある営みの息吹を感じることはできても、彼らの表情まで見ることはできない。彼らが俺を見上げ、祈りを捧げていることすら知らなかったのだ。
転生を繰り返し、ようやく地上へ降り立った俺は、少し無気力にもなっていた。目的を果たした気分になって、その後で何をすればいいか分からなくなっていたのだ。
けれど、セブルスやファナを見て、やりたい事が出てきた。
「この世界の混乱を、できる範囲で収めたい。その過程で人々の営みを見届けたい。そうすればまた、天に戻れるはずだ」
何一つ確証はない。嘘ばかりの言葉だ。
けれどファナは光が差したかのように目を見開く。
「ああ……。ありがとうございます! やはり貴方は常星様なんですね。我々のことを憂いて、わざわざこの地上に降り立たれた。なんと慈悲深きお方なのでしょうか!」
「いや、そこまでは……」
「分かっております。マサト様という名は世を忍ぶ仮の姿。常星様であられることを明らかにしては、世に更なる混乱を招くという憂慮ゆえ。私もセブルスたちも、口外することは決してありません」
「それは助かるけど……」
「ですので、私もその旅に加えてくださいませ」
「えっ」
滝のように押し寄せる言葉に圧倒されているとドサクサに紛れた要望まで突き出された。
えっ。ファナってこの町でかなり重要な巫女なんだよな。そうホイホイと動いていいものなのか? 俺の困惑した心を見透かしたかのように、ファナは胸を叩く。
「心配ありません。なんとかします」
「心配すぎる」
何とかってなんだよ!
「そもそも、星守りの巫女の役目は常星様から片時も目を離さぬこと。つまり、マサト様の旅に付き従うのは本来の職務といっても過言ではありません」
「か、過言ですよ!! 何勝手に話を進めてるんですか!」
慌てて割り込んできたのはセラウである。彼女としては、自分の立場を奪われるとでも思っているのだろうか。
ファナはそんな彼女に冷淡な顔を向ける。
「だって、貴女は従者の割に何も知らないのでは? それなら、地上のことをよく知る私の方が、案内人としては適役でしょう」
「ぐぬぬ……ッ!」
天使であるセラウは何も言い返せない。実際、彼女はこの世界についてはほとんど何も知らないのだから。
「二人とも落ち着いてくれ」
俺はバチバチと視線を交わす二人を落ち着ける。
「セラウと別れるつもりはない。彼女は俺の大切な人だと言っただろ?」
「も、申し訳ありません……」
ファナが青い顔をして身を縮める。セラウが勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
「でも、ファナが付いてきてくれるなら、心強い」
「ま、マサト様!?」
「よろしいのですか!?」
二人が同時に驚く。逆に一周回って仲が良さそうだな。
「実際、案内人がいてくれると心強い。なにせ、俺もセラウも無知だからな」
「そんなご冗談を……」
「冗談じゃない。ファナさえよければ、ぜひ付いてきて欲しい」
そう言って手を差し出すと、ファナは滂沱の涙を流しながらしゃがみ込む。
ここまでの反応は予想外で困惑してしまう。そんな俺を見て、セラウは妙に不機嫌そうにしていた。
「ファナティア・フーリガーレン。貴方様に一生を捧げることを誓います!」
お、重たい!
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