第8話「星守りの巫女」

 あれよあれよと言う間に連れて来られたのは、炎星教の総本山オブスクーラでも特に重要な中心地、崖に聳える星見の塔と言う巨大な建築物だった。


「うわぁ、すごく立派ですね!」

「そうだろう。何せここは炎星教の全ての教会を統べる第一教会だからな」


 率直な感想を口にするセラウに、セブルスは得意げな顔になる。

 滑らかな大理石によって築き上げられた塔には、精緻な彫刻が隅々にまで施されている。おそらくは炎星教に纏わる神話の場面を描いているのだろうが、俺もセラウもそれの意味するところはさっぱりだ。それでも一目見ただけで圧倒されるほどの気迫がそこに宿っている。

 星見の塔はいくつもの尖塔を束ねた背の高い建物で、特に中央にある主塔は首の背が痛くなるほどの高さだ。いったい、こんな立派な建物を建てるにはどれくらいの時間と人手と金が掛かるのだろう。


「星守りの巫女ファナ様は、主塔の最上階にある天球の間いらっしゃる。とはいえ、そこは炎星教の限られた階級の者しから立ち入りの許されない神聖な部屋だ。ひとまず、星盤の間で待っていてくれ」


 セブルスに案内されながら、星見の塔の中に入る。

 高い天井から細やかな光が煌めく、開放感に満ちた広い礼拝堂だ。祭壇の後ろには燃える炎を模した黄金のモニュメントが飾られている。礼拝堂を取り囲む列柱を越えて、主塔を取り囲む尖塔のひとつへと進むと、そこには大きな円卓のようなものが置かれていた。


「ここが星盤の間ですか?」

「ああ。そしてこれが星盤だ」

「へぇ……」


 天板には大小様々な光の粒が散りばめられ、美しく輝いている。


「これ、本当に動いているのか」

「当然だ。雲や太陽が星々の光を隠してもそれを見失わないようにするために作られた魔法具だからな」

「魔法具か……。ファンタジーだな」


 怪訝な顔をするセブルスを誤魔化しながら、改めて星盤を見る。普通に見ていれば気づかないほど微妙な変化ではあるが、盤上の光が動いている。どうにも技術力がちぐはぐな印象を否めないが、この世界にはセラウが最初に言っていたように魔法というものが根付いているからだろう。

 炎星教は常星という異常な星(星ではないが)を信仰している関係で、常に星空に目を向けてきた。もしかしたら、天文学という分野ではかなり先進的な知識を有しているのかもしれない。

 いや、それなら常星の正体が大気圏突入で燃え上がる男の死体ということにも気付いてしまうだろうか?


「あの、星守りの巫女様というのはどういった方なんですか?」


 俺がこの世界の天文科学に思いを馳せている間に、セラウがセブルスにより実直な疑問を投げていた。確かに、巫女の正体は気になる。聞く限りでは炎星教の中でもかなり高位の人物だろうと推測できるが。


「星守りの巫女様は、常星を見つめ、そこから発せられる意思を汲み取り、民に伝えるという重大な役目を持つお方だ」

「なるほど。神と人の仲介というわけか」

「そうとも言えるな。なにせ、常星様のいらっしゃるところは遥か天の頂だ。俺たちのような目の悪い者にはその真意を図ることはできない」


 セブルスは“目の悪い者”という表現に深みを持たせるような調子で言う。

 炎星教は実際に目視可能な常星という存在を柱にしている。見たところ彼が盲目や近眼、弱視といった視覚的な問題を持っているようには思えない。おそらく、文化的な意味合いが大きいのだろう。

 星守りの巫女というのは、甲羅に走った亀裂から意味を汲み取るような術を持つ者のことなのかもしれない。


「隊長、巫女様がいらっしゃいました」


 その時、奥の扉から声がする。セブルスの部下で、巫女を呼びに向かった兵士だ。


「扉を開けろ」


 側で控えていた男たちが、重厚な扉を開く。

 その奥から姿を現したのは、ひとりの少女だった。


「おお……」


 いかにも宗教的に重要そうな、装飾を重視し着心地を度外視した重たそうな服に身を包み、ゆっくりと入室してくる。まだ年若い、10代も半ばほどに見える幼い顔立ちだ。

 腰まで届く長い紫紺の髪は艶やかで、ゆるく波打つセラウの金髪とは違って落ち着いた凪の海のような淑やかさを帯びている。長い睫毛の下からこちらを覗くのは、瑠璃のような丸く大きな瞳だった。それと視線が合った瞬間、わずかに揺れる。


「こちらの方々が、東方からの来訪者ですか?」


 小さな唇から聞こえるのは、透明感のある声だ。

 俺とセラウが会釈するのと共にセブルスが彼女に説明を始める。


「マサトとセラウです。東方にある黄金の国と呼ばれる地からはるばる海を越えて来たようですが、その途中で幾度となく嵐に遭い難破し、仲間のうち彼ら2人が辿り着いたとか」

「それは……。過酷な旅でしたね」


 星守りの巫女、ファナは瞳を揺らし、睫毛を伏せる。そして、船と共に沈んだ仲間たちに弔いの言葉を掛けてくれた。


「東方に存在する黄金の国……。申し訳ありませんが、寡聞にして存じ上げませんね」

「やはり、ファナ様もご存じでない国でしたか」


 そして、ファナとセブルスは真剣な顔で意見を交わす。実際には船は沈んでいないし仲間も死んでいないし、黄金の国も存在しないのだ。こちらの嘘を間に受けれたまま話が進み、罪悪感が身を苛む。

 俺としては、とりあえずこの世界で身分を証明できるようなものでも貰えると嬉しいくらいで、あとは放っておいてほしいまであるのだが。なかなかそういうわけにはいかなさそうな展開だ。


「どうするんです、マサト様? どんどん事が大きくなってませんか?」

「そう言われてもな。もうなるようにしかならんだろ」


 小声で責めてくるセラウに俺も声を抑えて答える。そうしていると、突然ファナがこちらへ目を向けた。


「マサト様、セラウ様」

「は、はい!」


 彼女の瞳はなぜだか吸い込まれそうな力を感じる。その不思議な感覚に緊張を抱きながら慌てて背筋を伸ばすと、彼女はくるりと身を翻した。


「お二人に見ていただきたいものがあります。ぜひ、私と共にこちらへ」

「はぁ……」


 ファナはそう言って来た扉から出ていく。俺とセラウもその後に続くほかなく、星盤の間に残るらしいセブルスたちとはそこで別れることとなった。

 扉の奥に続いていたのは、延々と登る螺旋階段だ。等間隔で設けられた燭台の蝋燭に火が灯され、薄暗くも照らし上げている。


「あの、ファナさん?」

「こちらへ」


 どこへ向かうのか気になるも、ファナさんは黙々と歩く。俺もセラウも体力はある方なので平気だが、長い螺旋階段をよく息も切らさず登り続けられるものだと感心してしまう。

 そんな思いが若干の恐怖に変わるくらいの時間登り続けた後、俺たちはようやく終端へと到着した。そこには立派な扉があり、頑丈な鍵も付いている。ファナが分厚い衣の下から取り出した鍵がその扉を開く。


「あの、ここって……」

「天球の間です」

「ええっ!? それって、わたしたちが入ってもいいんですか?」


 セラウが翼を広げて驚く。主塔の最上階にある天球の間は、炎星教の中でもごく一握りの者しか立ち入りが許されない場所だったはずだ。そこに、炎星教徒でもない謎の不審者を入れていいわけがない。

 しかし、ファナはなんら悪びれる様子もなく、静かに頷く。


「星見の巫女が許可します。お二人とも、どうぞ中へ」


 そこまで言われてしまえば、断るわけにもいかない。

 俺とセラウは妙な居心地の悪さを感じながらも、おずおずとその部屋へと踏み入った。


「おお……」


 天球の間は、その名の通り湾曲したドーム型の天井に無数の星を散りばめた美しい部屋だった。

 中央には丸い星を模したものが置かれ、その周囲を複雑に動き回る円環がいくつも重なっている。アーミラリースフィアと呼ばれるような、巨大な天球儀だ。

 更に天井の一角、東の方角には窓が開かれている。透明なガラスのはまった窓に向けて巨大な金属の筒が固定されている。


「望遠鏡……!」

「ご存じでしたか」


 思わずその名前をこぼしてしまった直後、それを後悔する。だが、すでに遅すぎた。振り返れば、ファナが深い笑みを浮かべて立っていた。


「ええ、まあ。これでも船乗りでしたから」


 咄嗟に言葉を並べる。

 しかし、これだけ航海術の発達している世界ならば、望遠鏡もすでに発明され普及しているはずだ。船でやってきたという事になっている俺がその存在を知っていても、なんら不思議ではない。

 そんな俺の期待を打ち砕くかのように、ファナはこちらへ歩み寄り、そして傅く。


「ファナさん!?」

「――どうぞ、私めのことはファナと」


 彼女は顔だけをこちらに向けて言う。


「星守りの巫女となり、その溢れんばかりの輝きを見つめ続けておりました。ああ、何度そのご尊顔を拝したいと願ったことか……。その姿をお隠しになられた時には、我が両眼を抉ろうかとも考えましたが。まさか、まさか御自らいらっしゃるとは!」

「ふぁ、ファナさん?」


 熱に浮かれたような声。彼女の瞳は焦点が定まらず激しく揺れ動く。

 その異様な様子にセラウも怯えている。俺がおろおろと前に手を出すと、弾かれたように動いたファナがそれを握りしめた。ギリギリとその細い腕からは信じられないほどの力で捕えられる。


「この魔力、間違うはずもございません。ああ……ああっ! ファナは嬉しゅうございます。このような奇跡を与えられるとは!」

「ひゅっ」


 俺の手を自身の胸元へと引き寄せる。手のひらが彼女の柔らかな胸に沈み、変な声が出た。血の気が引いてセラウの方を見ると、冷たい表情でこちらを見ていた。

 いや、ファナだって幼い上に極厚の服を重ね着しているというのにそれでも隠し切れない立派なものをお持ちなのだ。それにこれは不可抗力だ。俺は無罪だ。QED、証明完了。


「――お会いできて光栄です。常星様」

「ひゅっ」


 碌でもない現実逃避をしているうちに、ファナが俺の手の甲に口づけをする。あまりにも急な展開に思考が追いつかないうちに、更なる追い討ちが掛けられる。彼女が口にした言葉は、俺とセラウを完全に硬直させるのに十分だった。

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