第33話「神話の一頁」
世界が止まる。全てがモノクロームに変化する。ただ、イグニールと俺、そしてセラウだけがこの場で色彩を保ち、動くことができる。それでも、俺は釘を打たれたかのようにその場から微動だにすることができない。
『――子よ』
全てが静止した世界に、それは唐突に現れた。
巨大な月。いや、月のように丸いなにか。表面から無数の腕、大小様々な腕が垂れ下がり、下部からは太い触手が伸びている。あまりにも、あらゆる生命の摂理から乖離した存在。禍々しい見た目にも関わらず、イグニールさえ霞むほどの圧倒的な神力を漏出させる、原初の神。
『名を』
男とも女とも取れない声、聞き覚えのない言葉、脳裏に響き、強制的に意味を理解させられる不思議な声がする。
「マサト――。が、があああっ!? ああああっ!」
名を告げた瞬間、全身に激痛が走る。
悶えのたうち回る俺を、イグニールは、異形の神は、静かに見つめる。まるで、何かを待つように。
細胞の一つ一つが弾けるようだ。神経が裂け、捻れ、再び溶け合う。爪先から頭まで、全てが一つずつ少しずつ破壊され、再構成されていくような。
暴力的な熱を感じる。驚くほどの神力が流れ込む。到底、人間には耐えきれないほどの力の奔流。押し付けられた力は強制的に俺の魂そのものを打ち鍛え、直接的に知識を植え付ける。
「あなたが、原初の神。世界を流転するもの。――揺籃の女神か」
『然り』
名を知られたことで、彼女と俺との間に縁ができた。縁ができたことで、彼女の宿す神力の一端が流れ込み、強制的に彼女と対等するに相応しいところまで存在の器が広げられた。
彼女こそが世界を育む第一の神だ。混沌の中に奇跡という種を落とし、それを育む。生まれた知的生命体に信仰を教え、神の存在を示す。信仰は神を鍛え、神は人に奇跡をもたらす。その循環の中で神力は世界に満ち、世界そのものが成長していく。そして十分に世界が成長したならば、揺籃の女神はその神力を糧として別の世界へと移るのだ。
――しかし、彼女はいま困っている。なぜなら、この世界の成長が停滞してしまっているから。
「俺の死体が常星として浮かんでから数千年、エルフの歴史はそれよりもはるかに長い。それなのに、現地の技術、文明、文化の発展は――地球のそれと比べても著しく遅れている」
俺はこの世界が、中世ヨーロッパ風ファンタジーの世界だと感じた。けれど、その歴史は記録を遡るだけでも、2,000年では効かないほどの長さを誇る。揺籃の女神にとっても、この世界は成長が遅すぎる。
「増幅する魂の循環がうまくいかず、他の世界へと離散した。そのうちの一つが俺か」
世界が成長すれば、増大する魂も収め切ることができる。しかし、停滞した世界は、器の拡張が追いつかなかった。その結果、他の世界――地球のある世界へとこぼれ落ちたのが俺だ。
女神もイグニールも押し黙っている。だが、彼女らから十分な知識が注がれていた。
俺がするべきこと、それはもう分かっている。
「イグニール。戦いとは、殺し合いだけに止まらない。技術を競い、切磋琢磨することで、人々は成長する。文明の発展には必要不可欠なものだ」
「ああ、そうだ」
燃え盛る女神は嬉しそうに笑う。ただ武器を振るうだけが、彼女の権能ではない。
なぜ人々の間に戦いがあるのか。お互いの差異を埋め、より高みを目指すための原動力となるからだ。
「イグニール。貴女の神格を引き継ごう」
俺の役目、それはこの世界が――産声を上げてから長らく眠っていたこの世界が立ち上がる、その手を支えること。忘れられてしまった古い神々の権能を引き継ぎ、世界を導く神となること。
揺籃の女神が守り育むには、この世界は齢を重ねすぎた。さりとて、古の神々に任せるには、彼らは忘れられ力を失いすぎた。いまだ独り立ちのままならない、この幼く可愛い未熟な世界を支える、強力な神が必要だ。
「良かろう。私の炎を、貴殿に継ぐ」
イグニールが手を差し伸べる。俺がその手を握ると、熱が注ぎ込まれた。揺籃の女神の神力によって強引に押し広げられた器は、いくらでも余裕がある。イグニールの神力を受けても、まだあまりある。
これはまだ、萌芽に向けた第一歩だ。俺はこれから、どれほどの時間が掛かろうとも、神々の下を巡り、その権能を引き継ぐ長い旅に出なければならない。
「マサト様」
背後から声がかかる。振り返れば、そこにセラウが立っていた。純白の翼を広げ、俺を見ている。
「過酷な旅となりますよ」
「セラウは付いてきてくれるんだろう?」
「当然です。わたしは、マサト様を見守るものですから」
ならば、そこに不安はない。
「女神よ、世界を育む全ての母よ。この世界は俺が導く。神々の力を引き継いで、人々の祈りを一身に受け、彼らの標となる一点の星となる」
偉大なる原初の神に誓う。もはや使命は任された。それを投げ出すことは許されない。それでも、俺は全く悔恨を抱くことなく、純粋な気持ちでいた。
女神は俺を見下ろしている。静かに、俺を見つめている。
そして――。
「ッ!」
現れた時と同じく、前触れなく唐突に瞬時に、彼女は消えた。
いまだ、揺籃の女神はこの世界にいる。だが、あまりにも強すぎる影響ゆえに顕現はできない。姿を表すためには、こうして時間を止めなければならない。それでも、彼女は見守ってくれている。この世界が一人で立つことができるようなるまで。
動き出した世界。イグニールが消えている。そのそばに、気を失った黒髪の少女――ミトが倒れている。
彼女もまた、世界から溢れ出た魂の一つなのだろう。イグニールの依代となり、今はただの少女として眠っている。
「マサト様!」
「ファナ」
背後から名前を呼ばれ、振り返る。そこには、足をふらつかせながら、尋常ではない気力だけで立ち、こちらへ歩み寄る少女。彼女の両腕を、二人の教区長が支えている。
「信じて、おりました」
ファナが乾いた喉を震わせる。その瞳に、涙が浮かぶ。
俺は指先でそれを拭い取り、そっと彼女を抱きしめる。
「祈りは通じていたよ。しっかりと、受け取った」
ファナは安心したように、ふっと目を閉じる。少し焦ったが、彼女はすぐに穏やかな呼吸を繰り返す。緊張が途切れ、深い眠りに落ちたようだ。
オルタランフランとレガリオの二人に彼女を任せ、俺は古き神々の後継者として最初の仕事をする。
「まずは、この混乱をおさめないとな」
イグニールの権能、飽くなき闘争心。その具現化した姿は、尽きることのない炎。
俺は東の空に向かって手を向けて、神力を注ぐ。
放たれたのは、灼熱の火球。それは猛烈な勢いで打ち上がり、天球に浮かぶ。
「おお、常星が……」
「炎星が、空に!」
その姿に、群衆がどよめく。
落星の日を境に姿を消していた常星が、再び空の座に戻ったのだ。彼らの標が灯り、安定が戻るだろう。
やがて、この日の戦いは昇星の日と呼ばれ、長い炎星教の神話の一ページに記されることとなる。古き戦の神イグニールから火を継いだ常星は、その後世界を巡る旅に出る。行く先々で忘れ去られた神々と出会い、その権能を引き継ぎ、その力をもって人々を導く存在へとなっていく。
長く過酷な旅には、五人の従者が付き従う。白翼の鳥人セラウは見守り、敬虔なる巫女ファナティアは祈り、悠久の森人オルタランフランが書き記し、勇猛なる獣士レガリオが守護し、爛漫たる伝導者ユピネガが教え広める。
だが、それはまだ先の話。世界はまだ、始まったばかりである。
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「即死転生を繰り返していたら不滅の神と崇められてた〜超高速輪廻転生の果てに男は金髪碧眼巨乳天使を道連れにする〜」完結です。
ご愛読ありがとうございました。
明日、6月1日からは“ 気弱なショタ(合法)の探索者がダンジョンの奥に取り残され、死にかけたところをメカメイドの無表情クールお姉さんに助けられて、二人でバリバリ最強ナンバーワンになる話”(タイトル未定)を連載開始する予定ですので、よろしくお願いします。
また、noteにて後書き的な執筆エピソードを軽くまとめた記事も公開していますので、よければ探してみてください。
【完結】即死転生を繰り返していたら不滅の神と崇められてた〜超高速輪廻転生の果てに男は金髪碧眼巨乳天使を道連れにする〜 ベニサンゴ @Redcoral
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