第2話「0.002ポイントの塵」
「え? お、俺……死んで……」
ここは見覚えのある雲海のど真ん中。
真正面にはニコニコと天真爛漫な笑顔を浮かべる巨乳な天使。
さっき感じた恐怖、激痛、異常は全てまだ生々しく残っている。それなのに、体は全くもって綺麗な無傷だ。
「はい♪ マサト様は死にました」
鳩みたいな純白の翼を揺らしながら、天使――セラウは簡単に告げる。
輪廻転生システムとやらから弾き出された俺は、本来住むべき世界であるはずの剣と魔法のファンタジー世界へと送り出された。その際に、〈引き継ぎ〉という謎の特典を携えて。
だというのに、たったの1秒も経たずに出戻りだ。
一体どう言うことだとセラウを責める。
「マサト様は転生先――まだ惑星という概念すらない世界なので、便宜上異世界で通しますが――異世界の上空700kmへ送り出されました」
「は?」
異世界とやらが一体どの程度の星なのかは知らないが、上空700kmといったらそれはもう完璧に宇宙だろう。そんな環境に生身の人間が耐えられるはずがない。
「ど、どういうことだよ! 普通にほら、どっかの赤ん坊として生まれ直す感じじゃ……」
「いやぁ、異世界が本来住む世界とはいえ、マサト様は地球から出てきた魂ですからねぇ。異世界には異世界で完結している魂魄循環システムがありますし、出産待ちの魂がみっちり並んでますから」
「はぁ? じゃあ、俺はどうするんだよ!?」
「幸い、まだ創世期を脱したばかりの若い世界なので、ある程度天界からの干渉にも融通が効くんです。だから、天恵という形で投下を――」
「それで死んだら元も子もないだろ!?」
なんら含みを持たない明朗で無邪気な答え。それだけに俺は混乱と怒りを抱く。
つまり俺は、死ぬしかないということか? せっかくの異世界転生だと言うのに、謳歌するどころか間近で見ることもなく。あっという間に宇宙の塵芥となるだけの運命だったということか!?
こういうのは普通、何かしら安全な形で送り届けてくれるもんじゃないのか。
「あははー。なかなかそう言うわけにもいかないんですよね、コレが。あんまり近すぎると上位存在からの過干渉ということになりますし」
「ゆ、融通が効かねぇ!」
「すみませんねぇ」
落ちたら死ぬ。死んだらここに戻ってくる。
こんな地獄みたいなのが異世界転生なのか? そんなものなら、こっちから願い下げだ。続けても意味はないし、発狂するだけだ。
「あ、ほら。ちゃんとこういうのがあるんですよ」
どこに向けたらいいかも分からない怒りに駆られる俺を見て、宥めるようにセラウは言う。彼女が取り出したのは、俺が散々苦しめられた転生特典カタログだ。
「このカタログのですねー、ほらここ! 〈完全落下耐性〉とか〈身体能力強化・超級〉とか〈残機+1〉とか〈完全不死〉とか、こういうので死を回避できるので無事に降り立てますよ!」
「上から600万、1,700兆、2,000兆、6,000兆! 取らせる気ねぇだろ!」
「おお、よく覚えてますね」
そら覚えるわ! 何年熟読したと思ってるんだ。カタログに記載されてる特典はほとんど暗記できている。そして、九割九分九厘がバカみたいなポイント数ってこともな!
「そもそも俺はもう12ポイント使い切ってるんだぞ。馬鹿にしてるのか?」
「そ、そんなことないですよー?」
殺気立つ俺に若干怯えたような顔をしながら、セラウは閉じたカタログを自分の胸に押し付ける。くっそ、今はそのおっぱいにも腹が立つ。
「実はホラ、マサト様の〈引き継ぎ〉が効力を発揮してまして」
「はい?」
「そもそも異世界には功徳ポイントシステムってないんですよね。でも、マサト様はそのシステムを
セラウは翼を広げ、さらに語る。
「そして、功徳ポイントシステムは最低保証的なアレが実装されてるんです」
「最低保証?」
「はい。現世という過酷な道を歩み始める。ただそれだけでも徳が認められるんです。先ほどマサト様はほんの一瞬ではありますが、
「そ、それじゃあ……またカタログから特典を!?」
「引き換えられるんです!」
グッと親指を立てる天使。
一条の光明が差し込んだ。
やはり神様は俺を見放してなどいなかった!
「それじゃあ、俺はいま、いくつポイントを持ってるんだ!?」
「ふっふっふ。それはですね……」
セラウは満面の笑みを浮かべて、ブイ! と指を二本立てる。
「えっ。……に、2ポイント?」
ふらりと立ち眩み。一気に目の前が暗くなる。
しかし、セラウは慌てて首を振る。
「違いますよー」
「なんだ、良かった」
宇宙に生身で放り出されて瞬殺されたのだ。たったの2ポイントでは割に合わない。
おそらく彼女も桁数バカになっているんだろう。ここは豪勢に2兆ポイントくらい――。
「0.002ポイントです♪」
「…………は?」
彼女の告げた数字に耳を疑う。
0.002ポイント。
2ポイントどころの話ではない。なんで小数点以下があるんだよ。初期ボーナスにしても出し渋りすぎだろ。なんだこのクソゲーは。運営出てこいよ!
「せ、世界に誕生した……?」
「はい! 過酷な世界へ一歩踏み出した魂への祝福です!」
「それが……たったの0.002ポイント?」
「はい!」
返事だけは元気な鳩野郎。
0.002ポイント? ギリギリ地上へ辿り着けそうな〈落下耐性〉でも5,000ポイントするんだぞ。
「バカにしやがって!」
「うひゃあっ!?」
いくらなんでも堪忍袋の緒が切れた。怒りに任せてセラウに詰め寄り、その胸ぐらを掴む。彼女は悲鳴を上げるが関係ない。
地球の輪廻転生にも戻れない。異世界に行けば死しかない。どこにも行けない俺は、この先どうすればいいんだ。
「ま、マサト様。落ち着いてくださいぃ」
「何をどう落ち着けってんだよ!」
激昂する俺を、柔らかな何かが包み込む。それが彼女の広げた翼だと気が付くと、なぜか少しだけ心が落ち着いた。細い腕が俺の背中に回され、セラウの吐息が鼻先にかかる。彼女は柔らかな体をこちらに押し付けるようにして、耳元で囁いた。
「たしかに、マサト様は死んでしまいました。徳ポイントも0.002ポイントしかありません。ですが……」
彼女は一度言葉を区切り、こちらに微笑みかける。悔しいほどに慈愛に満ちた天使の笑みだ。
「マサト様には〈引き継ぎ〉があります」
それがなんだ。そう問いかける前に彼女は答えた。
「本来、徳ポイントは前世から来世への引き継ぎの際に使用され、残った端数は切り捨てられます」
「つまり、俺がさっき、5ポイントの特典を選んで7ポイント余らせても……」
「今持っていられるポイントは0.002ポイントになりますね」
なんだそれはと呆れるが、まあそんなモノかもしれない。
功徳ポイントというのはあくまで前世でどれだけ徳を積んだかというバロメーターなのだろう。
「しかし、マサト様は〈引き継ぎ〉能力を得られました。これにより、“転生システムにおける徳ポイントの引き継ぎ”が行われます」
「それはつまり……、前世以前の徳ポイントを持ち越せるってことか?」
「はい!」
俺の予想は当たっていた。ということはつまり、セラウの言わんとしていることも理解できる。
「まさか、お前……」
「はい! もう一度異世界へ転生しましょう。そうしたらまた戻ってきますが、保有徳ポイントは0.004ポイントになります!」
「それで地上に辿り着けるような特典と引き換えられるだけのポイントを集めろと!?」
「ご明察ですね!」
爛漫な笑顔が急に恐ろしくなる。美しい人間のように見えて、やはり彼女は天使なのだ。人間らしさというものを持ち合わせていない。
ギリギリ地表に辿り着ける可能性がある最安値の特典で、5,000ポイントが必要なんだぞ。1回の死で0.002ポイント加算されるとして――250万回飛び降り続けないといけないということだ!
「地獄の方が……マシじゃないか」
血の気が引くとは、こういうことなのだろう。
「さあ、マサト様♪」
天使が無邪気に笑う。
「塵も積もれば山となる。何事もコツコツと地道に積み重ねるのが大事ですよ」
「ふざけ――」
「いってらっしゃい!」
彼女がぽんと胸を突く。思わず後ろへ後ずさる俺の足は地面に触れることはない。
「が――ッ!?」
俺は再び上空700km地点へと落とされ、直後に死亡した。
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