第29話「熱烈な歓迎」
大きな月が大森林を見下ろし、黄金の光が降り注ぐ。濃密な闇のなかに紛れながら、俺はそっとトライア山の険しい山肌を見上げた。
「ここからあそこまで登るのか。なかなか骨が折れそうだ」
ここはシュライディア王国とポンポミア共和国の国境線近く。両国の軍が互いに目を光らせ、ネズミ一匹容易には通れないほどの厳戒態勢が敷かれている。
そんなところへのこのことやって来たのは、俺、セラウ、ファナ、そしてオルタランフランとレガリオの五人。これから俺たちは国境を越え、密入国をしようと企てていた。
「まったく、大それたことを企みますね」
真っ白な神官服はよく目立つということで、装いを地味な色合いのものへと変えたオルタランフランがレガリオを見上げて肩をすくめる。
今回の作戦は、レガリオの発案によるものだ。もはや教区長会議を待つ余裕もないと考えた彼女は、少数精鋭での共和国潜入を提案してきた。教区長が二人だけでは黄冠派の教区長と“常星の申し子”と対峙するには力不足、しかしそこに星守りの巫女たるファナや俺が加わればいけると踏んだのだ。
「なに、こちらにも大義名分はあるし、巡礼協定はまだ生きている。我々は一般通過巡礼者として共和国を巡るのだ」
神官服よりもよく似合う鋼鉄の鎧を身に付けたレガリオはそう言って不敵に笑う。
その割には夜闇に乗じた密入国なのだが、流石に関所を越えるには俺以外の全員の面が割れすぎているという判断だ。
「それで、俺とセラウはともかく三人はどうするんだ?」
国境越えは当然向こうも警戒しているし、こちらは有名人だ。特にレガリオなど巨体を隠すのも難しい。何か案はあるのかと尋ねてみれば、レガリオは待っていたかのように頷いた。
「我も猫獣人ほどではないが身のこなしには自信があるのだ。それに、あそこの警邏は既に買収済みだからな」
「やっぱり用意周到だよなぁ」
「ふはは、もっと褒めてくれて良いのだぞ!」
実際、レガリオの手腕は目を見張るものがある。そうでなければ獣人の国の教区長などやっていけないのかもしれないが、計画から実行まで数日という短時間にも関わらずほとんどの準備を整えているのだ。
「風の精霊シルフよ、我が音を沈め、闇の中に溶かせ」
オルタランフランは得意の精霊魔法によって足音を消す。精霊魔法というのは結構応用というか細かい調整が効きそうで便利なものだ。俺もいつか習いたい。
「エルフの魔法は凄まじいな。いつでも泥棒ができそうだ」
「バカにしているんですか?」
的外れな方向に感心しているレガリオを、オルタランフランは険しい顔で睨む。
そんな話をしていると、国境の向こうにある暗闇で小さな光点が浮かび、くるくると回った。
「よし、行くとするか」
あれが内通者からの合図だったらしい。レガリオが茂みの中から飛び出し、低く身を屈めながら軽やかに駆ける。自分で言うだけあって、彼女の足音はそよ風よりも小さいものだ。
「俺たちも行こう」
「分かりました!」
「はい!」
続いてオルタランフラン。そして、俺、セラウ、ファナ。草木も眠る丑三つ時、他に音を発するものもなく、姿を隠すものもない。だが、レガリオの言った通り、俺たちは見咎められることなく国境沿いの柵まで辿り着いた。
「レガリオ、この柵はどうするんだ?」
「ふんっ!」
背の高い柵は木製とはいえ、飛び越えるのは厳しそうだ。レガリオに脱柵の方法を尋ねると、彼女は強引に柵を引き抜いた。
「ここはゴリ押しなのか……」
「こちらの方が早いだろう?」
隙間から体を捩じ込むようにして、レガリオがポンポミア共和国へと密入国を果たす。俺たちもその後に続き、レガリオが用意していた内通者たちと合流を果たした。
「レガリオ様!」
「お待ちしておりました」
「うむ。ご苦労だった」
一般兵士の格好をした、小柄な青年たちだ。その肌は夜闇のなかでは分かりにくいが褐色をしている。彼らがドワーフ族なのだろう。
「まさか、ドワーフ族が内通していたとは……」
てっきり獣人族だと思っていたのは俺だけではなかったらしい。オルタランフランも少し驚いた顔で彼らを見下ろす。
「緑衣派にもドワーフや獣人はいるだろう。ドワーフ族も一枚岩ではないということだ」
得意げなレガリオと共に案内されたのは地中に作られた洞穴だった。太い木の枠で補強されているが、ドワーフサイズなのでレガリオは窮屈そうに身を屈めている。
聞けば、ドワーフ族は土木技術に優れており、このような洞穴を作るのも得意としているようだ。ここは国境警備隊が倉庫として使っている洞穴の一つだという。
「もうしわけありません、レガリオ様」
「構わん。どうせ朝までの辛抱だろう」
恐縮するドワーフたちに、レガリオは軽く答える。そして、資材の積み上げられたところへ腰を下ろした。
「ぷはっ。ふぅ、息苦しいですねぇ」
「もう少し、サイズの合う服が用意できれば良かったのですが……」
隠れ家に着いて早々、セラウはボタンを外して力を抜く。セラウは金髪と大きな翼が目立つということで、それを覆うようなマントで身を包んでいた。しかし、主に胸元のあたりがパツパツで息苦しそうにしていたのだ。
ついでにファナも胸元を緩めて呼吸を通していて、オルタランフランが神妙な顔でそれを見ていた。別に彼女も小さいわけじゃないんだけどな。他の三人がでかすぎるんだよな。
「朝になれば関所が開く。流れ込む人に紛れて一気に山を登り、ピルポンパル大教会へと乗り込むぞ」
窮屈そうだった胸当てを外したレガリオが計画をおさらいする。
ピルポンパル大教会とは、ポンポミア共和国における炎星教の拠点であり、黄冠派の本拠地だ。つまり、教区長と“常星の申し子”がいる場所でもある。
「レガリオ様、本当にこの五人だけで向かわれるのですか……?」
「ピルポンパル大教会は厳戒態勢です。教会騎士も集結しております」
“常星の申し子”という重要人物を匿っているだけあって、大教会は警戒を強めているらしい。そのせいで、レガリオの放った密偵たちも、内部の様子は探れていない。
「問題ない。こちらにはマサト殿がいらっしゃるのだからな!」
「うおっ。いきなりだな……」
レガリオが豪快に笑って、俺の肩に手を回す。俺のことを知らないドワーフたちは怪訝な顔をしているし、後ろではファナが殺気立っている。お願いだから、結束を崩すようなことはやめてほしい。
「ひとまず、今日はゆっくりと休んで明日に備えるべきだな」
「……そうですね」
レガリオの正論を受けて、ファナも杖に伸ばしていた手を納める。
「いや、そうもいかなさそうだぞ」
俺は自分の杖を掴み、立ち上がる。レガリオたちは怪訝な顔をしているが、〈千里眼〉にはあまり落ち着いていられない現状がありありと映し出されている。
その時、しっかりと閉じていた倉庫の戸が叩かれる。すぐさまレガリオは立ち上がり、剣を手にする。オルタランフランたちも杖を構え臨戦態勢だ。警戒する彼女たちに、扉の向こうからくぐもった声が響く。
「ぬはは! そのように身構えずともよい。貴様らは上手く忍び込んだつもりじゃろうが、儂からすれば快く出迎えてやっただけ……。教区長ともあろう二人がコソコソとネズミの真似事など、恥ずかしくないのか?」
「その声はッ!」
姿の見えぬ声の主に、教区長たちは心当たりがあるらしい。二人は眉間に皺を寄せて、扉へと近づく。その時、俺は瞬間的に爆増する魔力を板の向こうに感じた。
「二人とも離れろ!」
咄嗟に放った声を受け、二人が弾かれたように後ろへ下がる。次の瞬間、轟音が響き、爆発が起こる。地下倉庫の扉が吹き飛び、もうもうと粉塵が舞う。
「ぬははははっ! ようこそ、ポンポミアへ! ――丁重に歓迎しようではないか」
土煙の向こうには、二つの人影。そのうちの一つがゆっくりと歩み出てくる。
長い髪を後ろで一つに纏めた、あどけない顔立ちの褐色美少女だ。しかし、露出の多い神官服の下に見える腕や大腿はしっかりと鍛えられている。そして、彼女の前垂れにある星は五つ――。
「教区長……」
思わず呟くと、彼女はこちらを見てニヤリと笑う。
「いかにも! 儂がポンポミア教区長、黄冠派、ユピネガである!」
そう言って快活に笑う。その背後には猫背で俯く黒髪の少女が控えていた。
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