第7話「東方から来た異郷人」
天界から異世界の海へと落ちた俺たちは、流れ着いた波打ち際から上陸を果たした。そして、ひとまず近くの人里を目指して歩き、立派な防壁に囲まれた港湾都市を訪れたわけだが……。
「だーかーらー! わたしは鳥なんかじゃありません! 天使ですよ、天使!」
「ええい、ゴタゴタ言うな! テンシなんて種族聞いたこともない。まずは身分証を出してから話せ!」
早朝にも関わらずしっかりと門を守っていた真面目な兵士たちによって阻まれ、そのまま門の脇にある小屋へと連行されてしまった。理由は単純で、早朝という不審な時間に現れたずぶ濡れの二人組、しかも片方は背中にでかい羽を生やしているという意味不明な風貌だからだ。
「そこの男も妙なマネはするんじゃないぞ」
「俺もかよ」
「黒髪に黒目なんて見たこともない。顔立ちも奇妙だ。お前、いったい何処の出身なんだ」
「ええと……」
今まで自分の容赦を確認することがなかったため知らなかったが、わざわざ異世界から転生したくせに、俺の外見は前世とそう変わっていないらしい。門番の男たちは金髪や茶髪に鮮やかな色の目をしているし、彫りも深い顔立ちだ。簡単に言えば西洋風の血が濃い地域では、俺はバリバリ目立つだろう。
それはともかく、何故か縄で縛られているセラウまで「それ見たことか」と勝ち誇った顔をしているのがムカつくな。怪しさで言えばそっちの方が絶対に上なのに。
「それで、身分証は?」
「ええっと……」
中世ヨーロッパくらいの世界観だと侮っていたが、見ず知らずの異邦人をすんなりと通してくれるほど甘い世界ではなかったらしい。当然だが、俺もセラウも身分証とやらは持っていない。
「ギルドに所属してないのか? 巡礼許可証は? 納税証書もないのか?」
「な、ない……ですね……」
男たちの目つきが変わる。疑いが敵対に変わるのが見て取れる。
彼らの背後で椅子に縛り付けられているセラウが、「やっちまえ」と目で訴えかけてくる。確かに今の俺なら彼らを力づくで黙らせることは容易いだろうが、できればしたくない。別に博愛主義者というわけではなく、後々のことを考えると絶対に面倒なことが起きるからだ。
できればここは、なんとか会話だけで乗り越えたい。言葉は〈言語理解〉という20徳ポイントで引き換えられる特典でなんでも理解できるのだから。
「あの、実は」
「なんだ?」
槍から手を離さないままではあるが、一応話を聞く耳は持ってくれている。
「実は遠く海の向こう……東の方から船でやって来たんです」
「東?」
微妙にぼかした物言いだったが、彼らの動きが止まる。その隙を突くようにして俺は勢いよく捲し立てる。
「ですが、長旅の途中で何度もひどい嵐に遭遇して、ついに船も沈んでしまいました。仲間もたくさんいたのですが、無事に陸地へ辿り着けたのは私と彼女だけ……。当然、荷物は全て失ってしまったのです。そもそも、ここがなんという名前の国なのかすら分からない始末で」
「なんだと?」
話を聞いた男たちは目を丸くする。やっぱり、問答無用で門前払いしないくらいには、根は優しい人たちなのだろう。彼らは俺とセラウを置いて額を突き合わせ、何やら小声で議論を始める。
「マサト様、〈口先八丁〉とか〈嘘八百〉みたいな特典持ってましたっけ?」
「ねぇよそんなもん」
「なるほど、地力でしたか」
人を生粋の嘘つきみたいに言うんじゃない。まあ、口から出まかせだった割には結構良い具合に話せた気がする。全身濡れ鼠だったのが功を奏するとは。
ともかく、これであとは何とかなることを祈るしかない。見たところ、この町は外部から多くの人々が訪れる観光地的なところなのだろう。門は大勢の来訪者を捌ける立派なものだったし、門番も俺たちを連行してすぐに代理を立てられるほど人員に余裕がある。さらに言えば、身分証や巡礼許可証、納税証書を求められたということは、各種制度がしっかりと整備されていることの証左でもある。となれば、公的な支援制度として何かしらの助けを得られる可能性も見えてくる。
そんなことを考えていると、男たちの方でも話がまとまったのか、リーダー格らしい1人がやって来た。疑念の表情は消え、かわりに何やら緊張した面持ちだ。彼は俺の前に立つと、言葉を選びながら口を開いた。
「いくつか、確認したいことがある」
「はい。とはいえ、こちらも疲労困憊の身、全てに答えられるかは分かりませんが」
「答えられる範囲でいい。――お前たちの住んでいた国の名前は?」
いきなり答えづらい問いが飛んできた。
問題なのは、こちらはあちらがどれくらい詳細な地図を持っているかを知らないという点だ。デタラメな国名を答えても、それが実際に存在するか否かを向こうが判断できてしまえばそこで終わる。
流石に惑星の全域を掌握しているほどではないと信じたい。
「えー、と。お、黄金の国と呼ばれています」
「黄金……?」
苦し紛れに出したのは、明らかな嘘。それでいて、前世の記憶を頼りにした多少の事実。俺の魂の故郷はどこかという問いへの答えならば、間違ってはいないはずだ。
「東の果てにある小さな島国です。長らく国を閉ざし、時折流れ着く船を除き外界との接触を絶っていました。しかし、西方で優れた文明が発展しているという話を聞き、こうして参ったのです」
「東の果て……黄金の国……」
リーダーは何やら口の中で俺の言葉を繰り返す。そんなに吟味しなくていいよ。なんか変なところから来た変な奴ら、程度の理解でいいよ。
「セブルス、これはやはり……」
「いや、しかし……」
「あの黒い髪と瞳は……」
「そうなると、あの鳥人も……」
兵士たちは再び集まり、議論を始める。俺とセラウはその話がどちらの方向へ傾いているのかさえ分からないから、不安ばかりが募っていく。いや、セラウは誰かが鳥人と言ったのを耳聡く拾って、また不満げな顔をしていた。
しかし、セラウの容姿を見ても鳥人と言うだけということは、それなりにいろんな種族がいるのだろうか。少なくとも“鳥人”とやらはいるのだろうし、一度見てみたい。
「2人とも、まだ名前を聞いていなかったな」
再び話が纏まったのか、リーダー格――先ほどセブルスと呼ばれていた男が戻ってくる。
「私はマサト。こちらはセラウです」
「天使のセラウです。よろしくお願いします」
天使の、という部分を強調するセラウに苦笑する。鳥も天使もそう変わらんだろうに。
セブルスは俺たちの名前を把握したあと、また質問を繰り出した。
「2人は常星を知っているか? もしくは、炎星教について」
「常星……?」
当然ながら、どちらも聞き馴染みのない言葉である。しかし、巡礼という先ほどのワードがそこにリンクしてくる。立派な門にもそれらしいレリーフが彫られていたし、この町は炎星教という宗教にとって重要な土地である可能性が出てきた。
「常星の輝きすら見えぬほどの遠方からやって来たのか……。炎星教は、大陸の国々で広く信じられている教えだ。この町、オブスクーラは東に輝く常星様の輝きを標として発展した、炎星教の聖地なのだ」
「おお……。そうだったのか……」
重要な土地というか、むしろ総本山だった。そりゃあ外から見ても立派な建物が乱立しているわけである。大陸に広がる一大宗教の本丸ともなれば、各地から巡礼者も集まってくるのだろう。
「その、常星というのは?」
「はるか昔から東の空で輝き続ける不動の星だ。赤く燃え盛っていることから、炎星とも呼ばれる。かつて小さな港町として始まったオブスクーラでは、船乗りたちが夜の導としていた」
その星は、昼夜を問わず、また年を経ても常に同じところに留まっていたという。なかなか奇妙な話である。しかもそれが有史以前からの変わらぬ光景だったというのだから。それはもう星ではなくて何かしらファンタジーな現象なのではないだろうか。
しかし話を聞いていてふと気づく。小屋の窓から東の空を見てみると、白んできたそこにそれらしいものは浮かんでいない。
「しかし、常星は2週間前に突然消えてしまった」
「ええっ?」
セブルスの声には絶望の色が濃く滲んでいた。彼の背後に立つ兵士たちも同様だ。自分たちが生まれる遥か昔から浮かび続けていた星が突然消えたとなれば、その衝撃は相当だろう。そかもここは、その星を信奉する者たちの本拠地なのだから。
「それ以来、教会も信徒も混乱している。既に落星の報は国を越えて知れ渡り、各地の王たちも揺れ動いているという噂だ」
「それは……なかなか大変ですね」
大変なんてものではない。炎星教の影響力がどの程度かも定かではないが、少なくとも立派な石畳の街道を整備できるほどには財を成した一大勢力であることは分かる。その信仰の基盤が消失したとなれば、あらゆるところが揺らぎ始める。
「おそらく、マサトたちを襲った嵐も落星によるものだろう」
「えっ? あ、そうっすね」
よく分からないが、嘘に根拠ができてしまった。どう考えても科学的に説明がつかないものだが、セブルス以下炎星教徒たちはウンウンと頷いている。理論よりも聖典が重要視されるくらいの世界観みたいだな。
「マサトたちがこうして難破してしまったのも、常星の加護が失われたからということ。落星の日から、悪い噂を聞かなかったことはない」
「なんとか助けてやりたいが、こちらも日々混乱が深まっているのだ」
よ、よく分からないまま同情まで買えてしまった。俺もセラウも炎星教徒ではないのだが、常星の不在によって難を受けた奴には仲間意識を抱くのだろうか。セブルスたちは俺たちを助ける術はないものかと再び話し始める。
その時、セラウがそっとこちらに目配せした。彼女の方に近寄ると、声を潜めて話し出す。
「あの、マサト様。ちょっと思いついたんですけど」
「なんだ?」
「常星って、マサト様では?」
「は?」
何を言っているんだこの天使は。と本気で呆れる。しかしセラウはいたって真面目な表情だ。とりあえず理由は聞いておく。
「常星は東の空に浮かんでいたんですよね。何千年も。それも、燃えるようだったとか」
「らしいな。有史以来ってことだから、何千年ってスケールかどうかは知らないが」
話が見えない。だがセラウは続ける。
「3,860,020,160,044,283,116です」
「それは……」
「マサト様が死んだ回数です。つまり、マサト様が転生した回数であり、マサト様の死体が大気圏への突入によって燃え尽きた数です」
「まさか……!」
約39京という莫大な数。それだけの俺がこの世界の上空700kmで生まれ、即座に死んでいった。死体は大気圏突入によって燃え、炎を上げる。
俺は転生後すぐに投身し、徳を溜め続けた。落ちる場所は毎回同じで、俺は燃え落ちていく自分の死体の長い列をずっと見続けていた。たとえ心が折れて展開で何十年と引きこもっていても、そこに時間の概念はない。再び身を投じれば、そこには一瞬先に死んだ俺の死体がある。
常星は炎星とも呼ばれる。それは2週間前まで、オブスクーラの東の空に輝き続けていた。俺もまた、町の東に広がる海へと落ちて、長い漂流の末に海岸へと辿り着いた。
「まさか、ここの人たちは――俺の燃えている様を見ていたのか?」
「その可能性はあると思います」
信じられないが、この世に信じがたいことはいくらでも起きるのだと他ならぬ俺が身に染みて知っている。天空から絶えず落ち続け燃えてゆく無限の死体など、彼らにはその正体が分かるはずもない。星の巡りや季節に関係なく、常に輝き続ける不可思議なものと見てもおかしくないのかもしれない。
「それじゃあ、この混乱は……」
「マサト様が無事に落ちてしまった。だから、星も消えてしまった。そういうことでしょう」
セラウの語った推測に思わず眩暈がする。俺はただ徳を貯めようと思っていただけなのに、いつの間にか世界宗教の御神体となり、そして社会的な不安を引き起こす火種になってしまったのか。
「マサト?」
「うおっ!? す、すみません。少し、話をしていました」
呆然とする俺に、怪訝な顔をしたセブルスたちが声をかけてくる。彼らの注目にも気付かないほど、俺は動揺していた。
「もしかして、落星について何か知っているのか?」
「えっ!? いや、それは……」
常星がイコールで俺の死体であるというならば、落星という炎星教にとっての大事件についても事情を知っていると言うことになる。しかし、まさかそれをそのまま話すわけにもいかず、結果言葉を詰まらせる。
そんな俺を、セブルスたちが見逃すはずもなかった。彼は勢いよく歩み寄ってくると、俺の肩をがっちりと掴む。ここから逃がさないという強い意志が青色の瞳に宿っている。
「なんでもいい、どんな些細な情報でもいい。教えてくれ!」
「あの、その……」
「辛い記憶かも知れないが、世界の平和がかかっているんだ。俺たちに語るのが苦しいなら……。そうだ、星守りの巫女様に!」
また知らない単語が出てきたが、俺とセラウを置いてセブルスたちは勝手に話を進めていく。常星という標を失った彼らも相当切羽詰まっているのだ。
「さあ、こっちだ。巫女様は丘の上にある星見の塔にいらっしゃる!」
俺とセラウは縄を解かれ、早朝の街中を走らされる。向かう先は九十九折りになった坂道の先、海に面して切り立った高い崖の上に立つ、巨大で荘厳な塔だった。
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