第13話「この幻想的な世界で」
恐ろしい妖精の住むというオグリの森は、オブスクーラから徒歩で七日ほどの距離がある。数日間の準備期間を置いた後、いよいよ町を発った俺たち三人は、標石が連なる街道を進んでいた。
「なんか、思ったよりも歩きやすいな」
「もっと悪路を想像していましたか?」
街道は石畳が敷き詰められ、排水もしっかりと考えられているため非常に歩きやすい。しかも道には馬車を通すための轍まで掘られているほどの芸の細かさだ。
巡礼者の服に着替えた際に必携と言われた杖も持っているが、これがなくとも全く問題はなさそうだ。
「オブスクーラには大陸中から巡礼者が訪れますから。主要な道は全て整備されているんです」
ファナが得意げに胸を張って、道の理由を語る。流石は大陸最大勢力の一大宗教というだけあって、影響力も財力も莫大なものがある。おかげで旅も楽々なのだから、炎星教様々だ。
ちなみに地図を開いて見てみると、人の足で1日ごと、だいたい50kmごとに小さな宿もあるようだ。電気もないような世界で野宿など聞いただけで恐ろしいが、そんなことにはならないようで一安心である。
「いやぁ、思ったより気楽な旅になりそうだなぁ」
「目的を忘れないでくださいよ」
「マサト様ならきっとどこまででも行けるはずです!」
中世ヨーロッパ風ファンタジー世界という曖昧な説明しか受けていなかったから戦々恐々としていたからか、その反動で気が緩んでいた。セラウはちょくちょく釘を刺してくるが、ファナは全肯定してくれるから、余計に増長してしまったのだろう。神や星やと持て囃されているが、俺だって人間なのだ。
「――マサト様!」
「うおわっ!?」
だから、突然現れた襲撃を察知できず、反応が遅れた。
ファナが俺を突き飛ばし、杖を斜めに構える。路傍の草むらに転がりながら、俺は彼女が大きな獣に押し倒されるのを見た。
「ファナ!」
「〈燃焼〉〈結装〉――『火炎の装束』ッ!」
血の気が引き、背筋が凍る。
だが次の瞬間、ファナを押し倒した獣が勢いよく燃え上がった。その炎は荒ぶり、毛皮を瞬く間に焼き焦がす。牙を剥いていた巨大な狼は、一転、耳を劈くような悲鳴を上げてもんどり打つ。体にまとわりつく炎を消そうとのたうち回りながら、あっという間に黒焦げの焼死体へと変わった。
「マサト様、お怪我はありませんか!?」
「あ、ああ……。ファナこそ」
ファナの心配する声を聞いて、彼女の方へ視線を戻す。まだメラメラと全身から炎を揺らめかせている彼女は、まるで熱さを感じていないのか平然としている。
「うわぁ、すごいですね。これって魔法ですか?」
「ええ、はい。――セラウさんもマサト様も、魔法を見るのは初めてなんですか?」
パタパタと翼を揺らしてテンションを上げるセラウと、唖然として立ち尽くす俺。俺たちの様子から、ファナはそう推察した。事実である。
剣と魔法のファンタジー世界と聞かされてはいたが、実際に魔法らしい魔法というものは初めて見た。思ったよりも激しいというか、攻撃的なビジュアルだ。
魔法を今まで見たことがない人物というのを知らないのか、ファナは驚きながらも全身に纏っていた炎を消す。彼女の着ていた服も長い髪も一切燃えていないし焦げていない。本当に魔法の炎のようだ。
「この魔法は『火炎の結装』、
「おお! かっこいいな」
「そ、そうですか? えへへ……」
心くすぐられるワードについ興奮してしまう。
俺もせっかく無限の魔力を得たのだから、こういう魔法を使ってみたいものだ。
「あれ、以前部屋のドアを蹴破って入ってきた時に使おうとしてたのも……」
「〈灼熱〉〈螺旋〉〈直線〉の『炎竜の咆哮』ですね。こちらは
ファナは黒焦げになった狼を杖でつつきながら、軽く魔法についてレクチャーしてくれる。
「魔法――大陸で一般的な
「てことは、わたしはこの狼が黒焦げになるよりも酷いことされかけたってことですか?」
「す、すみません……。あの時は気が動転していました」
じっとりと睨むセラウにファナは肩を縮める。
叙述魔法の歴史上、
ファナは魔法の素養に秀でた星守りの巫女ということもあり、
「って、わたしに最大火力を叩き込もうとしてたんですか!?」
「ご、ごめんなさい!」
魔法の内実を知って、セラウはぷんぷんと怒る。『炎竜の咆哮』という第三語魔法は、それ一つで堅牢な要塞を落とせるレベルの大火力らしい。そんなものをぶっ放していたら、俺やセラウはともかく部屋が終わっていただろうな。
そんなものを未遂とはいえ躊躇なく放とうとしていたファナに、少し震える。
「もし良かったら、暇な時に俺にも魔法を教えてくれよ」
「ええっ!? そ、そんな恐れ多いです」
せっかく無限の魔力があるのだから、俺も魔法を使ってみたい。しかし、素養はあっても知識はない。それならファナに教えてもらうのが一番いいだろう。なにせ彼女は星守りの巫女なのだから。
しかし、彼女は驚いた顔でブンブンと首を振る。
「マサト様にモノを教えるなど、そんな大それたことは……」
「そこをなんとか! ぜひ魔法を使ってみたいんだ」
「うぅ……。分かりました」
しばらく渋っていたファナだが、根気強く頼み込むことでなんとか頷いてくれた。
常星の化身と言われても、どれほど特典を集めても、教えてもらわなければ何もできない。ファナは俺のことを信じて疑わないが、その信仰が揺らいでしまわないだろうかと少し不安になってしまう。
「ところで、この狼はなんなんですか?」
話題を変えて、セラウが道端で焦げている狼を指し示す。狼と言っても、俺のイメージするものより二回りほど大きい化け物みたいな獣だ。ファナも魔法を使ったとはいえ、よく無事だったものだと今更胸を撫で下ろす。
「グレイウルフですね。普段は森に棲む魔獣ですが、まさかこんなところに出るとは」
「魔獣ねぇ」
魔法があるのだ。魔獣も当然いるだろう。
ファナは懐からナイフを取り出し、鼻の曲がるような臭いを発してる焼死体へと近づくと、おもむろにその胸へと突き刺した。赤黒い血が流れ出すのも構わず刃を進め、心臓の奥から何やら赤く輝く拳サイズの石を取り出す。
「魔石か?」
「はい! こちらはご存知でしたか」
当てずっぽうで言ったら当たっていた。魔法、魔獣とくればやはり魔石だったか。
まさか当たるとは思わず内心で驚きながらも、表面上はふっと笑うに留める。セラウが何か察した顔でこちらを見ているが無視だ。俺だってフィクションで得た知識を使う時がくるとは思わなかったよ。
ファナが魔石を取り出すと、グレイウルフの体は急速に形を失う。黒い灰と化し、風に吹かれて消えてしまった。残ったのは鋭利な牙が数本だけである。
「
魔獣というのは、獣の中でも特に体内に魔石を有するもののことを指す。魔獣は魔石から魔力を供給され、簡単な魔法を使える強力な個体だ。通常、魔獣は魔石を取り除かれると身体組成を維持できず瓦解するが、魔力を含んでいる部位が残留することがある。それが
――と、〈森羅万象の神眼〉で視た。現物さえあればいちいちファナに聞かなくても分かるのは、鑑定スキルのおかげである。
残留物はその魔獣がよく使う部位であることが多く、この狼の場合は武器である牙がそれにあたる。毛皮や骨なんかも残りやすいようだ。なんにせよ解体の手間がないのか楽な話だ。
「……しかし、本当にファンタジーなんだな」
魔石と牙を巾着袋に入れているファナを見て、しみじみと思う。
「今更ですか?」
近くにやって来たセラウが、少しからかうような調子で言った。
たしかに彼女からは剣と魔法のファンタジー世界へと転生すると聞いていた。とはいえ、それから何千年と死に続けていたのだ。ようやくその世界を目の当たりにすることができたのは感慨深い。
「マサト様! そろそろ出発しましょう。急がなければ、宿に間に合いません」
場を片付けたファナが声を掛けてくる。俺は頷き、セラウと共に歩き出した。この幻想的な世界の、まだ見ぬ不思議に胸を膨らませながら。
「そうでした。宿では油断をしないように。悪党が油断させようとしていることもありますし、食事に得体の知れないものが入っている可能性もありますから。十分に気をつけて下さい」
「ふぁ、ファンタジー!」
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