第19話「大勢の交わる所」

 水底の神域から泉のほとりへと戻る。そこには、たくさんの妖精たちと心配そうな顔をしたセラウとファナの二人が待っていた。


「マサト様!」

「ご無事でしたか!」

「おぶっ!?」


 姿を現した途端、勢いよく駆け寄ってきた二人に抱き締められる。ふかふかとして柔らかくて非常に気持ちがいいが、背中に回された腕がギリギリと締め付けてくる。


「いだだっ!? ちょ、離してくれ!」

「離しません! 勝手に神域に入るなんて、バカなんですか!?」

「ご、ごめんて」


 せっかくの帰還だというのに、即説教が始まってしまった。

 魔神の神域というのは、当然のことながら危険である。なにせ、神の本拠地なのだから、あらゆる法則は神に都合のいいように働く。俺がララルーに負けてしまうことも十分に考えられた。


「マサト様が敗北を喫するとは毛頭考えいませんでしたが、それでも心臓に悪いです。十日間もお戻りになられないなんて……」

「十日!?」


 目の端に涙を湛えるファナの言葉に思わず頓狂な声をあげる。

 俺の体感では一時間も戦っていないはずなのに、神域の外ではそんなにも時間が進んでいたのか。まるで浦島太郎みたいな話だな。


「神域の内外で時間の進みが異なるのはよくある事です。顕著なのは、地上と天界ですよ」

「ああ、そういえば……」


 セラウに言われて気付く。天界は数千年という時間を過ごしても、地上では全く時間が進んでいなかった。あれは極端だろうが、そういうのは神界隈だとよくあるものなのだろう。


「すまん。そんなに待たせてたとは……」

「本当ですよ。わたしじゃなかったら見捨てて帰っちゃってますからね」

「そんなことはありませんよ!」


 ともあれ、二人と妖精たちを長い間待たせていたのは事実だ。誠心誠意謝ると、彼女たちもなんとか怒りの矛を収めてくれた。


「けど、十日間なにもしてなかった訳でもなさそうだな」


 俺は周囲を見渡し、以前とは景色が変わっていることに気がついた。

 泉のほとりに繁茂していた草が綺麗に刈られ、枝葉が伸び放題だった木々も丁寧に剪定がされている。なにより、呪物のように置かれていた炎星教の石像が排除され、鉛の蓋もどこかへ消えていた。

 見違えるほど綺麗に整えられた泉はまさに聖域と呼びたくなるほどに洗練されていた。


「妖精たちから話を聞きながら、場を整えていったんです。こちらで信仰を取り戻していけば、マサト様が戦っている魔神の力を削ぐことにも繋がりますから」

「なるほど。ここからも支援してくれてたんだな」


 神と人は一蓮托生。妖精たちが忘れてしまったことで神の力が衰え、魔に侵されてしまったのであれば、妖精たちが思い出すことで神の力が増すというもの。

 セラウたちも、ここでできる最善の策を講じてくれていた。


「おじいちゃん」「物知りだった」

「神様知ってる」「まだお祈り続けてた」


 楽しげに飛び回る妖精たちも、自分たちの神が戻ってきたことを喜んでいる。


「妖精の中でも古老と呼ばれるような方々が数人いらっしゃって、彼らが泉の神の伝承を覚えていました。その記憶を頼りにここを整えて、久しく行われていなかった祭りも執り行ったんです」

「祭り?」


 突然飛び出してきた言葉が意外で首を傾げると、セラウが当たり前のことのように頷いた。


「祭りは神に対する信仰の、最も直接的な証明ですよ。神のもたらす恵みに感謝を示し、捧げ物をするのです」

「そういえば、そういうものなのか」


 俺のなかにある常識では、祭りは一応神事ではあるもののどんちゃん騒ぎといったイメージの方が強い。神妙な儀式よりも、屋台の焼きそばって妙に美味いよなぁ、という感想の方が先に出てくるのだ。


「ちなみに妖精たちの祭りっていうのは?」

「泉の周囲で実った果実などを食べつつ、果実酒を飲んで、歌って踊るものです」

「宴会じゃないか」


 何か小難しげな儀式でもしたのかと思えば、普通に楽しんでいただけらしい。


「人が楽しく生きていられるのも、神の恵みによるものですからね。楽しく騒ぐのは祭りとして正しい姿です」

「なんか、微妙に納得いかないなぁ」


 ともあれ、そのおかげでララルーも神力を取り戻したのだから、間違ってはいないのだろう。


「妖精たちは今後、毎年実りの季節に祭りを行うことを決めたようです。そうすれば、神への信仰が途絶えることもないでしょう」

「炎星教としては、それはいいのか? 一応異教だろう」

「かつてはともかく、今は異郷死すべしという過激な思想は下火です。オグリの森は今後も禁足地として人の侵入を防ぎつつ、妖精たちの土地として続くことになるでしょう」


 妖精たちの信仰が歪んでしまったのは、かつてこの森へ訪れた過激な宣教師が原因だった。ファナはそこに責任を感じているらしい。星守りの巫女としての権限を用いて、オグリの森に不可侵の決まりを設定すると言った。


「この地の神が完全に力を取り戻せば、森に蔓延る魔も減じていくでしょう」


 オグリの森が魔境と恐れられていたのは、土地神の力が衰えたことで魔獣の動きが活発になったことも原因に考えられるらしい。ララルーが復活し、信仰が取り戻されたことで、それも徐々に収まっていくはずだとファナは予測する。


「実際、炎星教でも聖地周辺は魔物の数が極端に少ないですし、町や街路には神像を祀ることで魔除けとしていますからね」

「すごいな神様」

「マサト様も魔神を下したのですから、やはり常星の力は偉大です!」


 信仰がそのまま力として現実に影響する世界というのはやはりまだ驚いてしまう。これが、神の力が強い世界なのだろう。

 そう考えると、今後のことでより気分が重くなってくる。


「マサト様?」


 俺の様子に気が付いたファナが様子を窺ってくる。


「実はな……」


 気は重いが、話さないわけにもいかない。

 世界を産み育てる太古の神を目指すため、まずはその存在を知り得る神を探さねばならない。そして、その神こそ“戦い”そのものを司る戦神であるということを。


「戦神、ですか」


 あまりにも壮大な話に、ファナも絶句する。

 炎星教にも戦神と呼ばれるような神はいくつか存在するようだが、おそらくララルーの言う戦神はそれよりもはるかに古く根源的な神だ。そんなものを相手取って、どう立ち回れば良いのか。そもそも、どこで会えるのかすら分からないのだが。


「なるほど。なら、次の行き先は決まりましたね」

「えっ?」


 しかし、困り果てる俺やファナとは違い、セラウはあっけらかんとした顔で言う。


「そ、そうなのか? 何か心当たりでも?」

「ええ、まあ。だって、戦いの神なんですよね」


 驚く俺たちに対して、ファナは至極簡単そうに頷く。


「だったら、戦場に行けば会えるでしょう」

「戦場って。そのへん探してあるものでもないだろうに」


 広大な草原があったとて、それは戦場とは呼べない。対立する二つの陣営が向かい合っていなければ。一対一や少人数同士での戦いでは、それは諍いと呼ぶのが妥当だろうし、陣営の勢力が片方に振り切っているなら、それは侵略だ。

 かつて大戦があったという謂れの残る戦場跡ならばともかく、今まさに大戦が始まろうとしている戦場など、そう簡単に見つかるものでも……。


「ああっ!」


 見つかるじゃん、戦場。

 セラウを見ると、ようやく気付いたかと言わんばかりに不敵に笑っている。

 まだよく分かっていないファナの両肩を掴み、尋ねる。


「ファナ!」

「ふぁ、ふぁいっ!?」

「どこかの国がきな臭いことになってるって言ってたよな? 戦端が開かれそうな場所があるって。それ、どこだ?」

「えっ? ああっ」


 ファナも納得したようだ。

 お誂え向き、というと不謹慎すぎるが、常星が消えたことで世界の情勢が揺らいでいる。オブスクーラさえピリついているなか、既にいつ戦いが始まってもおかしくない場所もあるという。

 そこに行けば――。


「緊張が高まっているのは、獣人たちのオルグファーレン帝国とエルフ族のシュライディア王国、そしてドワーフ族のポンポミア共和国です」


 ファナが荷物から地図を取り出し、近くの切り株の上に広げる。

 指で指し示されたのは、広大な草原と、広大な森林と、峻険な山脈が一堂に会する地域だ。


「まさかの三つ巴かよ……」


 三つの種族が対峙する。しかも獣人とエルフとドワーフだ。この世界のことはほとんど知らない俺でも、これが厄介な大戦になることは予想がつく。


「マサト様、この大戦を止めることはできないでしょうか」


 そう言うファナの瞳は、この戦いが始まった時に起こる混乱を強く危惧していた。

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