最終章
そして、十年後
人間に生まれ変わってから、人工知能だった頃とは比べものにならないほど、時間の流れが速く感じられるようになった。しかも、年齢を重ねれば重ねるほど、その実感はさらに増していく気がする。
両親の墓参りのため、かつて楽園と呼ばれた地の花屋で、白百合で供花を二人分作ってもらいながら、そんなことを考えていたら、隣から声をかけられた。
「お母さん! お花、どれにするか決めたよ!」
ロングスカートの裾を軽く引っ張られて振り向くと、その動きに合わせてセミロングのダークブロンドがふわりと揺れる。そして、視線を落とせば、アレスとレナータの娘であるティアナが、大きな翡翠の瞳をきらきらと輝かせつつ見上げていた。
「どれに決めたの?」
「あのね、あのね。これにする!」
ティアナが指差す先へと目を向ければ、そこには色とりどりのカーネーションが並べられていた。
「どの色にするの?」
「赤と白と、オレンジとピンクと、青と緑!」
「随分、カラフルだねえ」
「だって、お母さんがどんな色でもいいって、言ったんだよ?」
ぷうっと頬を膨らませて主張するティアナに、思わず笑みが零れる。顔立ちだけではなく、こういうところも、レナータにそっくりだ。
ティアナの言う通り、確かにレナータは娘に好きなように選ばせた。
両親の墓前に供える花であれば、白百合か白いカーネーションと定石が決まっている。
だが、レナータの最初の父親であるカミルの墓前に供える花ならば、もう三千年近く前の話なのだから、白い花に限定しなくてもいいだろうと考えたのだ。そうしたら、 ティアナが選びたいと言い出したから、娘に任せたのだ。
「カラフルで可愛い、ティアナらしい花束になりそうだねって、言おうとしたんだよ」
その場にしゃがみ込み、娘の目線に合わせてふわりと微笑みかけると、ティアナは頬を膨らませるのをやめ、ぱあっと笑顔を花咲かせた。
「じゃあ、このお花で花籠を作ってもらおっか」
「うん!」
膝を伸ばして立ち上がると、白百合で供花を作ってくれた店員に、今度はティアナが決めた色のカーネーションで花籠を作ってもらう。
会計を済ませ、出来上がった供花と花籠を店員から受け取った直後、低く美しい声が耳朶を打った。
「――レナータ、 ティアナ。買い物は終わったか」
声がした方向へと振り返れば、三女のセレーナを腕に抱えたアレスが、こちらへと歩み寄ってくるところだった。アレスの隣では、次女のステラがアイスクリームを舐めながら、とことこと歩いていた。
その光景に、つい小言を漏らす。
「もう、アレス。おやつは買わないでって、言ったじゃない。夕方におやつを食べちゃったら、ごはんが入らなくなっちゃうでしょ」
「大丈夫だよ、お母さん。私のお腹は、そんなに柔じゃない」
アイスクリームを片手に、ステラは無表情で右手の親指をぐっと立てた。
顔立ちは父方の祖母似だが、表情に乏しいところは、幼い頃のアレスによく似ている。祖母、息子、孫娘と三世代に渡って受け継がれた琥珀の瞳は、ヴォルフ家の一員なのだと、言葉よりも雄弁に物語っている。
「あー! ステラだけ、ずるーい!」
妹が手に持っているアイスクリームに目を留めたティアナが、さっそく唇を尖らせ、抗議の声を上げる。一人だけ優遇すると、他の姉妹が羨ましがるから、そういう意味でも買い与えないで欲しかった。
しかし、ステラは涼しい顔でアイスクリームを食べつつ、淡々と言葉を紡いだ。
「ずるくない、これはご褒美」
「ご褒美?」
妹の言葉を復唱したティアナに、ステラはこくりと頷く。
「ティアナがのんきに、お母さんとお買い物している間、私はずっとお父さんと一緒に、ぐずるセレーナをあやしていた。で、さっきやっと 機嫌が直ったから、頑張ってお手伝いをしたご褒美にって、お父さんがアイスを買ってくれたの」
冷静に、筋道を通して事の次第を説明するステラは、姉よりも口が達者だ。こういうところは、レナータに似たらしい。
それでも尚、むうっと唇を尖らせる姉に、ステラは溜息交じりに言葉を継ぐ。
「……なら、今日のケーキ、ティアナの分を一番大きく切り分けてもらえばいいでしょ。これで、おあいこ」
それほど、甘いものに執着を見せないところは、父親に似ている。甘いものが大好きなティアナが、誰に似たのかに関しては、言わずもがなだ。
妹からの提案を耳にしたティアナは、たちまち上機嫌になり、大きく首を縦に振った。
「うん! それなら、許す!」
ステラがこういう性格だからか、姉妹間で喧嘩は滅多に勃発しない。だから、アレスもレナータも、こっそりとステラにその報酬を与えてしまうのだ。
(今回は、こっそりとはいかなかったけど……)
苦笑いを浮かべながらアレスを見上げ、そっと問いかける。
「……セレーナ、どうしてぐずっちゃったの? 行きの飛行船の中でも、バスの中でも、なるべくお昼寝させたよね?」
三女のセレーナは、今年でようやく二歳になる。もうすぐ八歳になるティアナや、五歳のステラよりも、まだまだ睡眠時間がたくさん必要であるため、疲れてぐずらないように移動中は寝かせたのだが、また寝てしまったのだろうか。
あまり昼寝をさせ過ぎても、今度は夜に眠れなくなってしまうから、その塩梅には気をつけているのだが、外出中は上手くいかなくなってしまう時が多々ある。
「だから、今は寝ないように、ステラと一緒にその辺を歩いて回っていたんだが、そうしたらかえって疲れちまったみたいでな。途中で、ぐずり始めた」
「ああ……」
ティアナとステラは、幼い頃の両親に似て、二人ともお転婆だ。
でも、セレーナは母方の祖父に似て、かなりおっとりとした性格である上、あまり運動を好まず、姉二人に比べて体力もない。だから、思わず上の二人と同じ対応を取ってしまうと、セレーナは疲れやすくなってしまうのだ。
「セレーナ。お父さんに抱っこしてもらえて、よかったね」
父親に抱かれているセレーナは、本当にぐずっていたのかと疑いたくなってしまうくらい、大人しい。
少女時代のレナータ同様、ボブカットにしているダークブロンドを優しく撫でると、セレーナは気持ちよさそうにふわりと微笑んだ。顔立ちも瞳の色も母親似だから、何だか自分自身のクローンを見ているかのような気持ちにさせられる。
「――じゃあ、そろそろお墓参りに行こっか」
長女と次女を見遣れば、ちょうどステラがアイスクリームを食べ終えたところだった。
「セレーナー! お姉ちゃんたちと手繋いで、行こ!」
「うん」
お姉ちゃん風を吹かせたいティアナが、元気よく声をかけると、セレーナは素直にこくりと頷いた。
アレスが慎重にセレーナを地面に立たせるや否や、すかさずティアナが末っ子の手を取った。ステラも姉に倣い、セレーナの右手を握る。姉二人に挟まれたセレーナが、まだ覚束ない足取りながらも、一生懸命に歩き出せば、ティアナもステラも、妹に合わせて進んでいく。
そこで、ふと柔らかな春の風が吹く。すると、ティアナとステラの、父親譲りの濡れ羽色の髪が風を孕み、さらりと揺れた。ステラはセレーナ同様、ボブカットにしているから、それほど髪の動きは大きくなかったが、ティアナはレナータを真似てセミロングにしているため、さらさらと髪が奏でる音が、ここまで聞こえてきそうだ。
両親やその血族の要素を引き継いでいる、三人の娘の後ろ姿をぼんやりと眺めていたら、低く美しい声が鼓膜をくすぐった。
「レナータ。 それ抱えているの、大変だろ」
「じゃあ、この百合の花、持ってもらっちゃおうかな」
そう指摘しつつ手を差し出してきたアレスの優しさに甘え、白百合の供花を手渡す。 花籠だけを片腕に提げると、大分楽だ。
アレスは右腕で白百合の供花を抱えると、もう一度左手を差し伸べてきた。アレスの左手の薬指に嵌められているペアリングが、夕日を弾いて見事な光沢を放つ。
アレスの意図を汲み取り、淡く微笑みながらその手を取ると、娘たちの後に続く。レナータの右手を握ったアレスは、互いの指を絡ませ合い、そう簡単には振り解けないよう、しっかりと繋ぎ直した。
「――もう、十年かあ……」
道行く人々に微笑ましそうに見守られている、娘たちの後ろ姿を眺めていたら、自然と言葉が唇から零れ落ちてきた。
「あ?」
「私とアレスが結婚してから、もう十年も経っちゃったんだなーって、ふと思ったの」
――そう、今日は両親の命日でもあり、レナータの誕生日だ。そして今日、レナータは二十八歳になった。
「長かったような、あっという間だったような……不思議な感じ」
娘たちから目を逸らし、隣を歩く夫をそっと見上げれば、呆れたような琥珀の眼差しが注がれた。
「……なんで、俺より年下のレナータの方が、気持ちの上で老け込んでいるんだよ」
「精神年齢は、アレスより三千歳年上ですよー」
くすりと笑みを零しつつ、冗談めかして小声でそう返せば、アレスは軽く肩を竦めた。
三人の娘には、レナータの特異な出生の経緯を、まだ話したことがない。
話を聞かせたところで、ティアナは混乱してしまうだけに違いないし、リアリストのステラには胡乱な目を向けられてしまうだろう。セレーナに至っては、まず言葉の意味を理解することが難しいはずだ。
だから、こうやって時折、娘たちには聞かれないように気をつけながら、アレスと秘密を共有しているのだ。
だが、娘たちが全員成長したら、いつか語り聞かせようかと、密かに考えている。
受け入れてもらえるかどうか分からない上、そもそも信じてもらえるかどうかも定かではない。そこは、レナータがいかに娘たちとの信頼関係を築き上げられるかにかかっている。
だから、とりあえず今は、母親としての責任を果たすことに専念しようと思う。
アレスから三人の娘へと視線を戻すと、何やら娘たちはきゃっきゃと盛り上がっていた。
母方の祖父母の墓参りに行く途中なのだが、娘たちは誰一人としてレナータの両親に会ったことがないからか、それともまだ幼いからか、 墓参りがどういうものなのか、よく理解できていない節がある。
しかし、それでもいいと、レナータは思っている。
写真や動画でしか見たことがない祖父母の冥福を祈れと言われても、幼い娘たちには難しいだろう。
両親と共に過ごした思い出を持っている、レナータとアレスが命日を忘れずに訪れれば、それだけでエリーゼもオリヴァーも満足してくれるはずだ。
再び隣を振り仰げば、娘たちへと向けられていた琥珀の眼差しが、レナータの元へと戻ってきた。そして、微笑みを交わし合い、繋いだ手に先程よりもほんの少しだけ力を込めた。
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