刷り込み

「そういえば、レナータは明日、何を着ていくんだ?」


 アレスが試しに履いてみた革靴を元の場所に戻す手伝いをしていると、不意に疑問を投げかけられた。


「うーん……私もスーツにするか、フォーマルなワンピースにするかで、悩んでいるんだよね……」

「レナータは、ワンピースがいいんじゃねえか」


 レディース向けのスーツを試着してみてから、どちらにするか決めようかと続けようとした寸前、低く美しい声に妙にきっぱりと遮られた。


「アレスって、私にワンピース、割と着せたがるよね……」


 これまでのアレスとの思い出を振り返ってみると、第三エリアで暮らすようになってから、レナータが着る服に迷った際には、真っ先にワンピースを勧められていた気がする。

 確かに、ワンピースならば、トップスとボトムスの組み合わせで悩む必要がないから、楽といえば楽なのだが、そんなにレナータのワンピース姿が好きなのかと、改めて疑問に思う。

 それとも、スラム街ではワンピースなんて買うことすらできなかったから、その分も着せようと思っているのだろうか。


「だって、レナータっていえば、ドレスだろ。でも、ドレスは普段着らんねえから、ワンピースにするしかねえだろ。レナータが持っていた ドレス、ワンピースっぽいデザインのものもあったしな」


 だが、アレスの回答は、レナータの予想斜め上を行くものだった。


(こういうのも、刷り込みっていうのかな……)


 レナータがドレスに身を包んでいたのは、もう随分と昔の話だというのに、アレスの中ではまだドレスを身に着けていた頃の印象が、鮮烈に残っているみたいだ。


「それに、単純に可愛いだろ。ワンピースを着ている時のレナータ」


 あまりにもさらりと告げられたため、うっかり聞き流しそうになってしまったが、よくよく考えてみると、結構すごいことを言われている。そう認識した途端、頬がじわじわと熱くなってきた。


「あ……り、がとう。せっかくそう言ってもらったんだから、ワンピースにしようかな」


 レナータが感謝の言葉を交えながら、そう告げれば、アレスは満足そうに頷き、スーツ一式とワイシャツ、それから革靴が入っている箱を器用に持ち、足早に会計に向かった。



 ***



 アレスの買い物を済ませると、今度はレナータのワンピースやパンプス、アクセサリー、パーティーバッグ、化粧品など、諸々必要なものを調達するため、別の店へと移動を開始した。


 レナータが今履いているのも、パンプスなのだが、このパンプスはほとんどヒールがない、歩きやすさを重視したものだ。フォーマルなワンピースに合わせるならば、相応のヒールの高さが必要だから、新しく購入しなければならない。

 アクセサリーに至っては、レナータはヘアアクセサリー以外、持ち合わせていない。だから、これを機に買っておいても、損はないだろう。


 レディース向けのフォーマルな服を取り扱っている店舗を見つけると、さっそく物色を始める。


「やっぱり、今は春だから、春らしい色がいいなあ……」


 とはいえ、ベビーピンクのワンピースはもう持っているから、ピンク系は除外しておこう。

 ちなみに、今日身に纏っているのは、ライトブルーのブラウスに、レースが可愛らしいスノーホワイトの膝丈のスカートという、春めかしいものなのだが、これらの色も外しておいた方がいいだろうか。

 そんなことを考えつつ、色合いもデザインも異なる様々なワンピースを眺めていたら、隣に立つアレスがぽつりと言葉を零した。


「そうだな。レナータはパステルカラーが似合うから、その中から選べば、外さねえだろ」


 パステルカラーはレナータが好きな色でもあるから、似合うと褒めてもらえると、素直に嬉しい。

 頬が緩むのを止められず、笑顔になりながらも内心真剣にワンピースを厳選し続け、ついにペールグリーンと淡い青紫色の二つまで絞る。


「アレス、ちょっと試着してくるね」

「ああ」


 アレスから許可を得るや否や、店員の女性に声をかけ、試着室へと向かう。その後に、アレスも続く。

 試着室の中に足を踏み入れ、すぐにカーテンを閉めると、まずはペールグリーンのワンピースを着てみることにした。

 ブラウスとスカートを脱ぎ、ワンピースに袖を通し、鏡に映る自分の姿を確認する。


(あ……この色、ちょっとだけ大人っぽく見えるかも……)


 それに、ボレロを羽織らずに済むよう、七分袖のワンピースを選んだから、最大限この色を活用することができる。

 スカート丈は、膝下丈だったから、もしかするとバランスが悪くなるかもしれないと危惧していたのだが、思っていたよりも丈がちょうどよく、上品な印象を受ける。しかも、膝から下のスカート部分は、透かしレースになっており、可愛らしさも忘れていない。袖も、肘からその先は、同じ仕様になっている。その上、レース部分は小花柄になっており、なかなか凝っている。

 サイズもレナータにぴったりで、今のところの最有力候補になりそうだ。


 とりあえず、アレスの意見も聞いてみようと、鏡から視線を引き剥がし、試着室のカーテンを開け放つ。


「アレス。これ、どうかな? 個人的には、結構気に入ったんだけど……」


 右耳に髪をかけつつ、そう問いかければ、逸れていた琥珀の眼差しがレナータに注がれた。それから、真顔でレナータの姿をじっと観察してきた。


「……それ、いいな。特に、レースの部分が可愛い」

「でしょ? それに、この色も私、いいなあって思って」


 アレスにレナータが気に入った部分を褒めてもらえて有頂天になり、その場でくるりと一回転すると、ワンピースの裾がふわりと膨らむ。


「とりあえず、もう片方も着てみたらどうだ?」

「うん! じゃあ、またちょっと待っていてねー」


 アレスの提案に頷くなり、素早くカーテンを閉め、今しがた着たばかりのワンピースを脱ぐ。そして、今度は淡い青紫色のワンピースに身を包む。

 ペールグリーンのワンピース同様、こちらも袖は七分丈だが、スカート丈は膝丈だ。


 再び鏡へと目を向ければ、当然ながら、そこには淡い青紫色のワンピースを身に着けたレナータが映っていた。

 先刻のワンピースとは違い、今着ているワンピースには一切レースが使われていない。それに、襟元も大きく開いており、先程よりも肌の露出面積が増えている。だからなのか、ペールグリーンのワンピースよりも、一際大人びて見える。

 しかし、袖は肘の辺りで絞られており、その先はふわりと広がっており、こういうところは可愛いと思う。


(うーん……でも……)


 レナータとしては、先刻のワンピースの方が好みだ。


「アレス。これ、どうかな」


 それでも一応、カーテンを開けて声をかければ、再度琥珀の瞳がレナータを捉える。すると、先程同様、レナータのワンピース姿をじっと観察し始めたかと思えば、試着室の中のハンガーにかけてある、ペールグリーンのワンピースに視線を移した。


「俺としては、さっきの方がいいな」

「うん、私もそう思う」


 二人頷き合うと、試着室のカーテンを閉め、淡い青紫色のワンピースを脱ぎ、ブラウスとスカートの元の格好に戻る。


「アレス、お待たせー」


 二着のワンピースを手にカーテンを開けた直後、試着室の傍に控えていたアレスが、すかさず手を差し出してきた。どうやら、レナータが試着したワンピースを持ってくれるらしい。


「ありがとう、アレス。じゃあ、こっちをお願い」


 購入を決めた方のワンピースをアレスに手渡し、もう一方のワンピースは店員に返す。


 あとは、このワンピースに合わせたパンプスとアクセサリー、それからパーティーバッグを決めれば、この店での買い物は終了だ。

 どれを先に見ようか、少しだけ悩んだ末、既にどういうものを買うのか決定している、アクセサリーを選ぶべく、アクセサリー売り場へと向かった。

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