悪戯

 アクセサリーの陳列棚の前に立つと、レナータは迷わず真珠のネックレスを手に取る。

 真珠のネックレスは、冠婚葬祭、どんな時でも使えるから、買っておいて損はないだろう。


 瞬く間に購入するアクセサリーを決定したレナータは、次にバッグ売り場へと足を運んだ。

 大小様々、色とりどりのバッグの中から、できるだけ邪魔にならなさそうなパーティーバッグを候補に絞っていき、アレスが持ってくれているワンピースの色と合うものを選ぶため、バッグを傍に添えてみる。

 何度かその動作を繰り返した末、シャンパンゴールドのパーティーバッグを買うことにした。


 あとこの店では、パンプスを見るだけだと、矯めつ炒めつ眺めていたバッグを一つずつ陳列棚に戻し、アレスを伴って靴売り場へと移動する。

 ヒールの高い靴は履き慣れていないから、ストラップ付きのパンプスにしようと考えながら、比較的歩きやすそうなパンプスを探していたら、不意に肩を軽く叩かれた。

 どうしたのかと振り向けば、どことなく意地の悪そうな笑みを浮かべたアレスが、一足のパンプスを差し出してきた。


「これ、試しに履いてみたら、どうだ?」


 ――アレスの手にあるのは、あろうことか、ピンヒールのパンプスだった。


「無理無理無理無理! それ、もう凶器だよ! そんなの履いたら、私、絶対に捻挫する! 下手したら、骨折するから!」


 ピンヒールを目にした瞬間、考えるよりも先に拒絶の言葉が唇から零れ落ちていく。

 デザインは洒落ており、色もシルバーでワンピースの色とよく合う。でも、そんなものを履いて歩こうものなら、大惨事を引き起こすのは 目に見えている。

 首を激しく横に振って却下したレナータに構わず、アレスは靴の試し履きに使う椅子の前にそっとパンプスを置いてしまった。


「試しに、履くだけ履いてみろよ」


 薄く形のよい唇は、相変わらず意地の悪い笑みの形に歪められたままだ。


(アレス、絶対私で遊んでいるでしょ……!)


 もしかしたら、レナータの買い物に付き合うのに、飽きてきたのかもしれない。だが、もしそうならば、はっきりそう言ってくれればいいではないか。そうしたら、レナータだって、無理に付き合わせたりしない。

 むうっと頬を膨らませて睨みつけても、アレスはどこ吹く風といった様子だ。


「なんだ、怖いのか?」


 安い挑発だと、頭では分かっている。しかし、レナータが試し履きもできないほど、ピンヒールに怖気づいているのだと思われるのは、何だか癪だ。

 普段のレナータならば、素直にそうだと認めていたに違いないが、今は買い物に頭を使い、少々疲れていた。だから、愚かにもアレスの挑発にあっさりと乗ってしまった。


「……そこまで言うなら、じゃあ履くよ。その代わり、アレス、絶対に私から離れないでね。転びそうになったら、ちゃんと支えてね」

「はいはい」


 頬を膨らませたままずんずんと椅子に近づき、スカートに皺が寄るのも気にせず、勢いよく座面に腰を下ろす。そして、今まで履いていたパンプスを脱ぎ、ピンヒールのパンプスに足を滑り込ませる。


(何だか、今の時点で履き心地悪いな……)


 アレスが用意したパンプスは、サイズ自体は合っているものの、レナータがいつも履いているパンプスよりも爪先が尖っており、何となく窮屈だ。現時点では、痛みを覚えるほどではないが、初めて出かける時には前もって足の指に絆創膏を貼っておかなければ、靴擦れするのはほぼ確定だろう。

 ゆっくりと顔を上げ、アレスを見上げる。それから、おそるおそる腰を上げた刹那、自然と悲鳴を上げていた。


「怖い怖い怖い! これ、怖い!」


 ピンヒールにより、レナータの身長はぐっと底上げされ、アレスとの目線もいつもよりずっと近くなったものの、その分非常にバランスを取るのが難しい。ただでさえ、高いヒールに慣れていないというのに、ピンヒールはヒールがかなり細いため、踵に力を入れるのが怖い。だから、どうしても爪先に力が入ってしまい、爪先が痛みを訴えてくる。

 恐怖心から、目の前にいるアレスに咄嗟にしがみつく。でも、アレスは無情にも、上手く立てずにいるレナータを見て、喉の奥で笑っている。

 こんな時だというのに、笑うだなんて、極悪非道ではないかと唖然としていたら、笑い交じりの低く美しい声が鼓膜を揺さぶってきた。


「レナータ……生まれたての小鹿みてえ……」

「アレス、ひどいよ! 声に出して笑うなんて!」


 確かに、レナータの足はぷるぷると震えており、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうなほど、不安定な体勢だ。アレスにしがみつき、支えられているからこそ、どうにか立っていられる有様だ。

 涙目でもう一度睨みつければ、アレスは笑いつつもレナータが倒れないように支えたまま、すぐ後ろの椅子に座らせてくれた。そして、何故か恭しい手つきで最早凶器と断言してもいいパンプスを脱がせてくれた。

 ようやく痛みと不安定さから解放され、安堵の吐息を零すと、アレスを半眼で見遣る。


「……アレス、私で遊んだ罰として、ストラップ付きのパンプス、取ってきて。色は、できればこのパンプスみたいな、シルバーがいいな。ヒールは、五センチくらいの高さのにしてね。ピンヒールなんて、言語道断だから」

「はいはい」


 従わないという選択肢は与えないという強い意思を込めてそう告げれば、アレスは拍子抜けするほどあっさりと応じてくれた。

 アレスはレナータの足元から立ち上がると、靴の陳列棚へと向かい、オーダー通りのパンプスを二足持ってきてくれた。

 アレスが持ってきてくれたパンプスは、どちらもストラップ付きのパンプスで、色もシルバーなのだが、片方にはストラップ部分に真珠がついており、もう片方には爪先にリボンの飾りがついている。


「じゃあ、こっちから履いてみるか」


 アレスは片膝をつくと、一旦床に置いたパンプスのうち、真珠の飾りがついているパンプスを手に持ち、椅子に座っているレナータの足に履かせてくれた。これが、アレスなりの先刻の罪滅ぼしなのかもしれないが、何だかお姫様扱いされているみたいで、妙にくすぐったい。


「……アレス。靴くらい、一人で履けるよ」


 こそばゆい気持ちが顔に出ないように、憮然とした面持ちで濡れ羽色の髪に覆われている頭を見下ろしていたら、ふと顔を上げたアレスと目が合った。

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