等身大の自分でも

「――美味かった。次は、マティーニを頼む。それから、こいつにはノンアルコールカクテルを作ってやってくれ」

「かしこまりました、少々お待ちください」


 あっという間にグラスを空にしたアレスは、カウンターの上にグラスを置くと、バーテンダーの方へと軽く押しやる。それから、ついでのようにレナータの分の飲み物も注文してくれたアレスのスマートさに、つい閉口してしまう。


 しかし、すぐにはっと我に返り、慌ててバーテンダーへと向き直ると、にっこりと穏やかに微笑みかけられた。先程、散々失態を晒してしまったというのに、気分を害した様子は露ほども見受けられない。それどころか、まるで年端のいかない孫娘を見守るかのような、温かい目を向けられてしまう始末だ。


(お……大人だ……)


 相手は、人間としてのレナータよりもずっと年齢を重ねているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、そう思わずにはいられない。


 レナータは三千年の時を生きた記憶があるからか、いつもはその辺の大人よりも精神面においては成熟している気がしていたのだが、アレスとバーテンダーの態度を目の当たりにしたら、まだまだ人間としては未熟なのだと、まざまざと思い知らされた。

 何だか妙に居心地が悪くなり、俯くレナータを余所に、もう一度手際よくカクテルを作る物音が耳朶を打つ。それから、しばらくすると、カウンターとグラスが触れ合う微かな音が鼓膜を震わせた。


 遠慮がちに顔を上げれば、アレスの前には今度は透明な液体で満たされているカクテルグラスが、レナータの前には濃い黄色の液体が入っているカクテルグラスが置かれていた。アレスのグラスにはオリーブの実が、レナータのグラスにはレモンの輪切りが、ぷかぷかと浮かんでいる。


「――お待たせいたしました。 マティーニと、シンデレラでございます」


 随分と可愛らしい名前に、思わず目を見開いて視線を上げると、バーテンダーの低く深みのある声が言葉を継ぐ。


「シンデレラは、オレンジジュースとパイナップルジュース、それからレモンジュースで作ったノンアルコールカクテルでございます。ですので、お嬢様のお口にも合うかと」


 ノンアルコールカクテルといえば洒落ているように感じるが、蓋を開けてみれば、フルーツミックスジュースそのものではないかと、二度驚かされる。

 でも、確かにフルーツジュースを混ぜ合わせただけの代物ならば、レナータでもおいしく飲めそうだ。


 おそるおそるカクテルグラスの縁に口をつけ、一口だけ飲んでみると、ノンアルコールカクテルの名に違わず、アルコールの苦みは微塵も存在しなかった。本当に、ただのジュースだ。

 だが、華奢なカクテルグラスに注がれ、洒落ているように見えるからだろうか。普段口にしているジュースよりも、数段おいしく感じられる。

 カクテルはまだ半分ほど残っていたものの、一旦カクテルグラスから口を離し、カウンターの上に静かに置く。


「……とっても、おいしいです」


 居心地の悪さを味わいつつも、名誉挽回するべく感想を伝えてみたものの、バーテンダーはやはり微笑みを崩さない。しかし、心なしか、先刻よりも纏う雰囲気がふわりと柔らかくなった気がする。


「それは、ようございました。どうぞ、ごゆっくりお召し上がりください」

「はい、ありがとうございます」


 バーテンダーの言葉に笑顔でこくりと頷き、再びカクテルグラスを手にして、一息に残りを飲み干す。


「次は、ジン・トニックを頼む」

「承知いたしました。少々、お待ちください」


 レナータがシンデレラをちょうど飲み終わったところで、アレスは次のカクテルを注文していた。レナータよりも飲むペースが速く、アルコール度数が高いものも飲んでいたというのに、アレスに酔った気配は欠片もない。レナータが知らなかっただけで、存外アレスはアルコールに強いみたいだ。


「私は、今度はさっぱりしたものが飲みたいです」


 レナータには、アレスみたいに飲みたいカクテルの名前なんて、ぱっとは思い浮かばない。

 だから、どういうものが飲みたいのかを伝えると、バーテンダーは心得たと言わんばかりに頷いてくれ、即座に手を動かし始めた。


「――ここで飲むことにして、よかっただろ」


 バーテンダーの流れるような作業を観察していたら、急に低く美しい声にそう話しかけられた。隣を見遣れば、再度カウンターの上で頬杖をついているアレスが、レナータを見つめていた。


 アレスは最初、プロに用意してもらった方が間違いないからと、レナータが酔ったとしても、ここならばすぐに介抱できるからという理由で、プライベートバーにバーテンダーを呼んで飲むことにしたのだと説明していたが、きっとそれだけではなかったに違いない。

 たとえ、初めて酒を口にしたレナータがみっともない失敗をしてしまったとしても、ここにはアレスとバーテンダーしかいないから、それほど恥をかかせずに済むとも、考慮してくれたのではないか。


「うん」


 だから素直に首肯してから、アレスの名を呼ぶ。


「アレス」

「ん?」

「ありがとう。 アレスのおかげで、だんだん楽しくなってきたよ」


 今のレナータに、かつての自分みたいな余裕はない。だから人工知能だった頃のように、アレスにいいところばかりを見せることは、もう叶わない。

 でも、それでもアレスは構わないのだろう。これまでと変わらず、これからもきっと等身大のレナータと一緒にいてくれる。


 そんな確信めいた予感を胸に、ふわりと微笑んで礼を告げると、アレスは返事の代わりに、二人分のカクテルを作っているバーテンダーの目を盗み、レナータの額に軽く音を立ててキスを落とした。

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