最愛の瞳

「……レナータって、食う量は普通だけど、食い意地は張っているよな」

「好物を目の前にして、食い意地が張らない人間はいないと思います」


 真剣な面持ちでそう主張したものの、レナータより食事の量は多いのに、それほど食に執着しているわけではないアレスは、不思議そうに首を捻っただけだった。でも、何も言い返さず、黙々と食事を再開した。


(そういえば……)


 レナータ同様、フレンチトーストを頬張るアレスの姿をぼんやりと眺めているうちに、ふとあることに気づく。


 アレスは相当パーカーを気に入っているらしく、常日頃から着用していることが多い。

 だが、今日のアレスはライトグレーのカットソーと、オフホワイトのスラックスを身に着けている。パーカーほどラフな格好ではなく、色味の影響もあるのか、清潔感がある印象を受ける。しかしその反面、大きく開いている襟元から覗く、形が綺麗な鎖骨が妙に艶めかしい。

 一応、高級なホテルに泊まっているから、普段よりも服装に気を遣っているのだろうか。


(別に、パーカーを着ていないところを見たことがないわけじゃないけど……)


 それでも、何故かやけに新鮮に感じられ、ついついじっと見つめていたら、急に持ち上がった琥珀の眼差しと、翡翠の眼差しが交錯した。


「どうした?」

「あ、ごめんね。お食事中に、じろじろ見ちゃって……。えっと、アレスのその服、何だか新鮮だなあって思って……」

「ああ、これか」


 レナータから指摘を受けたアレスは、自身が身に纏っている服に視線を落とした。


「これ、この間買ったばっかのやつだからな。今日初めて着たから、そう思ったんだろ」

「あ、そういうことだったんだね」


 なるほど、確かに下ろしたての服ならば、目新しく感じられて当然だ。

 それに、第三エリアに移住してから購入した服は、スラム街で暮らしていた頃に身を包んでいた服に比べると、アレスもレナータも、互いに結構雰囲気が違う。


 レナータはスカートやワンピースを買うようになったし、アレスはモノトーンの服を好んでいるのは相変わらずではあるものの、以前よりも淡い色合いのものを手に取るようになった。そして互いに、機能性ばかりを重視するのではなく、デザインにもそれぞれこだわりが出てきた気がする。


「その服、アレスにすっごく似合っているよ。そういう格好も、私は好きだな」


 はにかみながらそう伝えると、アレスはゆっくりと目を瞬いた。


「そうか」

「うん。これからはもう、チョーカーをつける必要はないから、ネックレスとかやってもいいかもね」


 今まではずっと、アレスもレナータも、黒いチョーカーの形をした音声送受信機を首に巻いていたから、首元を他のアクセサリーで飾ることはなかった。

 でも、たった今言った通り、二人が肌身離さず身に着けていたチョーカーは、その役目を果たし終わったのだ。だから、もうレナータたちの首からチョーカーの姿はない。


「アレス、シルバーアクセサリーとか、すっごく似合いそう。あと、革のアクセサリーとか!」


 朝食を口元に運びつつ、そう提案してみたら、アレスは渋面を作ってしまった。


「チョーカーは必要に迫られてつけていたが、あんなの、邪魔なだけだろ。つけたところで、特に意味もねえし」

「そっかあ……」


 確かに、アクセサリーはどうしても身につけなければならない代物ではない。強いて言うならば、服や自分自身を引き立たせるためのものといったところだろうか。

 本人が乗り気でないのならば、無理強いするのは可哀想だと思い、それ以上は口に出さず、アレスがアクセサリーを身につけているところを想像して楽しむだけに留めておいたら、いつの間にか二人とも食事が終わっていた。


 レナータよりも早く席を立ったアレスは、食後の紅茶の用意を始めた。

 手持無沙汰になったから、そういえば今は何時くらいなのかと時計を見遣れば、既に昼を回っていた。どうやら、今終えたばかりの食事は、朝食兼昼食になってしまっていたらしい。

 ティーポットから二人分のティーカップへと紅茶を注いだアレスは、レナータの前に淹れたての紅茶を置いてくれた。すると、爽やかな花みたいな香りが鼻先をくすぐっていく。


「ありがとう、アレス」

「ああ」


 自分の分のカップを手にしたアレスは自席へと戻り、紅茶を飲み始めた。レナータもアレスに倣い、ティーカップの縁に口をつけ、ゆっくりと味わいながら紅茶を飲む。

 しばらく互いに何も話さなかったものの、穏やかな静寂が流れ、その心地よさに安らぎを見出す。

 カップをソーサーの上にそっと置き、深い吐息を零した直後、唐突にアレスが沈黙を破った。


「……さっきの話だが」

「ん?」


 先程の話とはどの話だろうかと、首を傾げるレナータに構わず、低く美しい声が言葉を継ぐ。


「今度、一緒に見てみるだけ見てみるか。レナータが俺に似合いそうって、言ってくれたやつ」


 レナータと同じようにティーカップをソーサーの上に戻し、卓上に頬杖をついたアレスの発言に、一気に心が浮足立つ。

 どういう心境の変化か知らないが、多少なりとも興味を示してくれたこの好機を逃す手はない。


「うん! じゃあ、その時は私が見立ててあげるね!」

「別に、買うとは決まってねえぞ」

「それでも、私がやりたいの!」


 思えば、アクセサリーを手にする金銭的な余裕も、経済的な余裕も、レナータにも欠片もなかった。だから、アレスの分を選ぶどころか、自分自身が使いたいと思えるようなアクセサリーを探そうともしてこなかった。

 だが、これからはこれまでにはなかった余裕や自由が、ようやく手に入りそうなのだ。誰かにとっては、ささやかでありふれたものかもしれないが、こういう楽しみを少しずつでいいから味わっていきたい。


 にこにこと微笑みつつ、両手を合わせてそう主張すると、レナータが世界で最も愛しいと思う琥珀の瞳が、ふと穏やかに細められた。

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