呼び覚まされた熱

 食事を済ませ、ホテルのスタッフに食器類を回収してもらった後は、しばらくのんびりとソファに腰かけていた。アレスはソファに座るレナータの膝の上に昨日みたいに頭を乗せ、だらだらと寝そべっている。本当に、アレスはレナータの膝枕を気に入っているみたいだ。


 濡れ羽色の髪を優しく撫でながら、二人でぼんやりとテレビを見ていたのだが、突然アレスがむくりと上体を起こした。それから、ソファから立ち上がると、部屋に備え付けられている電話の元へとすたすたと向かっていく。

 受話器を取り、素早くボタンを押していくと、誰かと通話を始めた。おそらく、通話の相手はホテルのスタッフだろうが、一体何の用があるというのか。


(まだお夕飯には早い時間だし、何か必要なものがあるのかな……?)


 しかし、このホテルには売店が入っているのだ。何か必要なものがあったら、そこで事足りるのではないか。

 疑問に思いつつも、電話をかけているアレスの後ろ姿を見守っていたら、やがて受話器が下ろされた。アレスはこちらへと振り返るなり、足早にソファに戻ってきた。


「レナータ。もうすぐバーテンダーがこの部屋に来るから、あっちに移動しよう」

「バ、バーテンダーさんが? どうして?」


 レナータたちが宿泊している部屋に、どうしていきなりバーテンダーが来るのかと目を丸くすると、アレスはあくまでもさらりと答える。


「この部屋、プライベートバーがあるだろ。そこにバーテンダーを呼んで、酒を用意してもらうサービスが、俺たちの宿泊プランには含まれているんだ」

「そうだったの?」


 今まで、全く知らなかった。というよりも、アレスが事前に教えておいてくれなかった気がする。


(いや、ちゃんとプランの内容をチェックしていなかった、私も悪いけど……)


 これまで泊まったことがあるホテルとは全く趣が異なるホテルに泊まれることになり、昨日は気分が舞い上がり、細かいところまで気にする余裕など、砂粒ほどにもなかった。

 全くもって、普段の自分らしからぬ失態に軽く落ち込んでいたら、アレスがレナータの腕を掴み、ソファから立たせてくれた。そして、そのままプライベートバーまで手を引かれて連れていかれる。


「俺、そこまで酒に詳しくねえから。せっかく初めて酒を飲むなら、プロに用意してもらった方がいいだろ」


 レナータをカウンター席に座らせるや否や、アレスは立ったまま柔らかく微笑み、そう告げた。

 確かに、レナータはつい数日前に成人したばかりで、人間になってから酒を口にするのは今日が初めてだ。そんなレナータを気遣い、あるいはもてなそうと、アレスなりにあれこれと考えてくれたのかもしれない。


「……アレス、 ありがとう。ちょっと緊張するけど、実はアレスと一緒にお酒、飲んでみたかったの」


 今まで、アレスはレナータの前で飲酒したことは、一度もない。

 でも、外で飲んでくることはあり、アレスがアルコールの匂いを身に纏って帰宅してくる度に、ほんの少しの疎外感と寂しさを味わった。


 そんなレナータの気持ちを、アレスが気づいていたのかどうかは知らない。だが、図らずもレナータの密かな願望を叶えてくれる形になり、次第に嬉しくなってくる。

 笑顔で感謝の言葉を告げれば、アレスは琥珀の瞳をふわりと和ませ、レナータの頭を撫でてくれた。


「ここで飲めば、もしレナータが酔っ払ったとしても、すぐに休めるだろ。だから、少しでも気分が悪くなったりしたら、すぐに教えてくれ。いいな?」

「うん!」


 そこまで気を回してくれたのかと思うと、ますます心が満たされていく。


「よし、いい子だ」

「……アレスにとって、私はまだ『いい子』なの?」


 しかし、アレスが放った何気ない一言で、たちまち弾んでいた気持ちが萎んでいく。

 大人の女性として扱われると、まだまだ気恥ずかしさが拭えないが、かといって子供扱いされたらされたで、面白くない。我ながら、矛盾していると思うし、面倒臭い思考だとも自覚しているものの、レナータにだってどうすればいいのか分からないのだ。多少の不満を吐露するくらいは、許して欲しい。

 頬を膨らませて軽く睨みつければ、何故かアレスは意地の悪い笑みの形に唇を歪めた。


「そうだったな。レナータは、『いい女』だったな?」


 レナータの頭を撫でていた手が一旦離れたかと思えば、アレスの長い指が首筋に宛がわれた。そして、ゆっくりと指先を服越しに這わせていき、レナータの身体の線をなぞっていく。


「あ、ああああああああアレス!」


 その指先の感触によって自然と身体の奥が熱くなっていき、慌てて制止の声を張り上げる。このままでは危険だと、本能が激しく警鐘を鳴らしている。

 動揺のあまり裏返ったレナータの声に、アレスは喉の奥で笑いながらも、指先を引っ込めてくれた。


「もう……」


 再度頬を膨らませて睨み据えれば、アレスは相変わらず意地の悪い笑みを浮かべたまま、口を開いた。


「子供扱いは、嫌なんだろ?」

「でも、昼間からさっきみたいなことをされるのも、すっごく嫌!」


 そうきっぱりと断言し、ふいっとアレスから顔を背けた直後、軽やかなインターホンの音が聞こえてきた。どうやら、アレスが呼び寄せたバーテンダーが到着したみたいだ。


「俺、ちょっと出てくるから、ここで座って待っていろ」

「……うん、ありがとう」


 まだ先刻の所業を許したわけではないが、一応礼を告げておく。

 未だに不貞腐れているレナータに、また微かに笑われた気配がしたものの、そっと振り向いた時には、アレスはもうこちらに背を向け、部屋の出入り口へと向かっていた。

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