栄枯盛衰

「だんだんとレナータが経年劣化していったことで、元々、楽園の管理体制が厳しい社会を維持するのが難しくなっていたでしょう?」

「……はい、そうでしたね」


 レナータを人類の守り神として崇め、利用し続けていたことが、楽園の人間にとっては皮肉も裏目に出たのだ。大抵のことはレナータ頼みにしていた結果、楽園のシステムに徐々に綻びが生まれてきていたことは、うっすらとではあるものの、今でも覚えている。


「それで、レナータが機能停止したことをきっかけに、こんな管理体制はおかしい、少しずつでも変えていくべきだと、各エリアの首脳陣が 楽園に訴え始めたのですよ」


 ミナーヴァの口から語られる楽園の状況に、忙しなく目を瞬く。


 レナータが楽園に連れていかれ、そこで過ごしていたのは、ほんの数日だけだが、確かにかつての栄華は失われているように感じられた。

 てっきり、リヒャルトたちグラディウス族によるクーデターの影響だと思っていたのだが、ミナーヴァの説明から察するに、それよりも前からだんだんと力を削がれていき、現在に至るというわけなのだろう。


(私が人間に生まれ変わっていた間に、色々あったんだなあ……)


 レナータが八歳になるまでは、時々ミナーヴァと会っていたから、そこで世界情勢の情報の共有は行われていたはずだ。しかし、レナータもアレスも、まだ子供だったから、そういった会話の内容は記憶に残らなかったに違いない。だから、互いにその辺りの事情には疎いまま、ここまで来てしまったのだろう。


(スラムでの生活が長くて、情報が入りにくい環境だったっていうのもあるだろうけど、ある程度プロパガンダもあったんだろうな……)


 かつては独裁者のごとく、この世界に現存するエリアを実質的に支配してきた楽園のことだ。自分たちの権勢が緩やかに衰退していっている現実は、なかなか受け入れ難かったに違いないし、すぐに力を失ったわけではないから、しばらくの間は情報操作ができていたのだろう。


「ですので、レナータがAIだった頃とは違って、今の楽園はプライバシーを侵害するほどの個人情報は、閲覧不可になっていますし、個人の行動を制限する権限も大分失われています。……だから、二度に及ぶ貴女がたの捜索も、余計に困難になったのでしょうね」


 ミナーヴァの言葉に、なるほどと納得する。

 そもそも、アードラー家はレナータたちの行方を追いもしなかったのだが、ルートヴィヒがどうしてあそこまで苦戦を強いられたのか、今の説明で腑に落ちた。


 孤軍奮闘だっただけではなく、集められる情報に限りがあったのだとしたら、消息不明の人間の足跡を辿るのは、至難の業だったに違いない。それにも関わらず、二度に渡ってレナータたちの居場所を突き止めてみせたのだから、凄まじい執念だったのだと、改めて痛感させられた。


「……つまり、今の楽園には、私たちの行方を捜す手段が限られているし、そもそも今は、リックたちのクーデターで、それどころじゃないから、大丈夫ってことですか?」

「ええ、その通りです。それに、最近では楽園の首長よりも第一エリアの首長の方が、支持率が高くて、発言権も強いのですよ。だから、楽園から離れているエリアに身を置くよりも、しばらくはここを拠点にしておいた方が、むしろ身の安全を守れるはずです」


 確かに、言われてみれば、その通りだ。

 最近の第一エリアの首脳は、他のエリアの首脳に比べ、勢力を拡大しつつある。そのくらいは、レナータでもニュースで知っている。

 でも頭ではそう理解していても、咄嗟にできる限りリスクから物理的な距離を置こうとするのは、長年の経験によるものだろう。


 そこまで考えたところで、ずっと沈黙を保っているアレスを、ちらりと見遣る。

 アレスはこの話を事前に聞かされていたのか、それとも興味がないのか、頬杖をついて携帯端末を弄っていた。そして、ふと琥珀の眼差しが持ち上がり、レナータへと向けられた直後、薄く形のよい唇から低く美しい声が零れ落ちてきた。


「ニュースサイトで検索してみたけど、母さんが言っていたこと、昔のニュース記事には、これっぽっちも書かれてねえぞ」

「楽園側の、必死の抵抗の証でしょう。リックたちのクーデターで、取り繕う余裕がなくなっただけです」

「リックって、すごいね……」


 こうして改めて聞いてみると、想像以上にリヒャルトたちが起こした行動は、世界中に影響を及ぼしていたのだと、実感させられた。

 その上、リヒャルトはクーデターの要だったのだ。先刻顔を合わせた時、もっと敬意を表するべきだったかもしれない。


 感嘆の吐息交じりにそう言葉を零した刹那、何故かものすごい勢いでアレスに睨まれた。

 実兄を持ち上げられて嬉しくないのかと一瞬思ったものの、即座にある疑念が脳裏を掠めていく。


「……アレス、まさかやきもち?」

「あら、アレス。 お兄ちゃんのことを褒めてもらえたのに、やきもちですか?」


 からかうような口振りのミナーヴァに、レナータは重々しく頷く。


「そうなんですよ。アレスってば、昔っからリックが絡むと、対抗心を剥き出しにするんです」


 リヒャルトと二人でついつい話し込んでしまったり、アレスからプレゼントしてもらった菫の花で作った砂糖漬けをあげようとしたら、子供ながらに嫉妬と独占欲を遺憾なく発揮したものだ。

 レナータが昔の話を持ち出して気まずくなったのか、アレスはすっとこちらから視線を逸らしたが、ミナーヴァは大変楽しそうに目をきらきらと輝かせている。


「まあ……そうだったんですね。知りませんでした。たとえば、どんなことがあったんでしょう?」

「そうですね――」


 レナータが過去の思い出を語ろうとした直前、リフレッシュルームに幾人かの足音が入り込んできた。

 咄嗟に口を閉ざし、足音の主たちへと視線を投げかければ、リヒャルトたちがいくつかの紙袋を手に、こちらへとやって来た。

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