どこにでもいる、ただの女
「お前にとって、レナータは……どういう女性なんだ」
「は? 婚約者」
予想外の質問に、戸惑いながらも簡潔に答えれば、兄はそうではないと言わんばかりに首を緩く横に振った。
「いや、そうではなく……お前から見た、レナータ=アードラーという女性は、どういう人間なのか、聞かせて欲しい」
何故、わざわざ兄にアレスが知り得る限りのレナータの人間性について説明しなければならないのかと、微かに眉間に皺を寄せる。
しかし、回答を拒絶するほどの質問でもなかったから、問われるがままに答える。
「寂しがり屋で泣き虫なくせに、意地っ張り。結構、子供っぽいところもある。でも、家族思いで、甘えるのも甘やかすのも上手で、強くて優しい女だ」
レナータは、自分の目の前から人がいなくなっていくことに、ひどく苦手意識を持っている。特に、その相手が家族ともなれば、長い間喪失感を引きずり、その存在をいつまでも心に留めておく。 それこそ、三千年近くの時を経ても、自らの創造主の名を話の中で挙げるほどだ。
そして同時に、自分自身が大切な存在を置いていくことも、泣いて嫌がる。
それなのに、弱音を滅多に口に出さない。涙も、なかなか見せようとはしない。気丈に振る舞い、見ている側が恐れを抱くほどの、慈愛に満ちた美しい微笑みを浮かべ、物分かりがいいふりをする。綺麗に取り繕い、虚勢を張ることばかり、上手なのだ。
でも、一度心を許した相手の前では、見ているこちらまで悲しくなるような涙を流す。我儘はあまり言わないが、子犬みたいにじゃれついてくることもあるし、アレスを誘惑することにかけては、他の追随を許さない。その上、アレスが望むものを察することにも長けており、勘が鋭いレナータに頭が上がらなくなる時は多々ある。
理不尽な目に遭い、どれほど打ちのめされようとも、ただでは転ばない。絶望の淵から這い上がり、憎しみに囚われずに立ち上がるだけの、しなやかな強さや慈悲深さを持ち合わせている。
それから、時折自己犠牲的になる。本人は合理的に考えた末の結論だというが、アレスからすれば、身勝手で自己満足でしかない答えだ。
人工知能だった頃から、人間として生きた十八年間を振り返ってみれば、こんなところだろう。
「いいところもあれば、悪いところもある。あいつの出自は、かなり特殊だが……そういう、どこにでもいるただの女だ」
あの類稀な美貌や察しの良さは、人並外れているものの、それ以外の面は割と月並みだ。
そう締めくくり、首元のネクタイを緩めようと、つい指をかけたところで、思い留まる。
アレスは、こういう締め付けがある服装は、あまり好きではない。第三エリアに移り住んでから、会社に勤務するようになったが、アレスの勤め先は服装に関して非常に寛容だったため、スーツに身を包んだことなんて、ただの一度もない。今の時代は、就職活動だからといって、スーツの着用を義務付けられているわけではなかったから、運よくその機会から逃れ続けてきたのだ。
だが、昨日スーツを試着した際、驚くほどレナータが喜んでくれたから、着崩したりしたら、残念がらせてしまうかもしれない。
だから、我慢だと自分に言い聞かせて指先をネクタイから離した直後、吐息交じりの低く甘い声が耳朶を打った。
「そうか……」
ネクタイに落としていた視線を上げれば、兄は再度苦い笑みを零していた。ただ苦みを含んでいるだけではなく、どことなく自嘲の色と疲労が滲み出ているように見受けられる。
兄の反応に戸惑い、もう一度眉間に皺を刻むと、リヒャルトは深々と息を吐き出してから、改めて口を開いた。
「……変なことを訊いて、悪かったな」
「いや……」
「それと……今度は、レナータと二人で話をさせてもらえないだろうか」
「あ?」
兄の頼みを耳にした途端、自然と地を這うように低い声が唇から零れ落ちてきた。
さらにきつく眉根を寄せつつ兄を睨み据えれば、リヒャルトの薄く形のよい唇を象っていた微笑みに内包されていた苦みが、より深まっていく。
「安心しろ、変な真似をするつもりは一切ない。 ただ……彼女に伝えておきたいことがあるだけだ」
アレスの中では、それも充分に変な真似に含まれる。
話くらいさせてやれと窘める大人の自分と、兄とレナータを二人きりにしたくないと駄々を捏ねる子供の自分が、心の中でしばし葛藤していたものの、やがてそれはもう深い溜息を零す。
「……十五分あれば、終わるか?」
「善処しよう」
「その言葉、絶対に忘れんじゃねえぞ。分かった、レナータをここに呼んでくる。その代わり、俺は廊下で待機させてもらうからな」
「ああ、それで構わない」
了承の意を示した兄の真意を探るかのごとく、ひたと見据えた末、くるりと踵を返し、会議室の出入り口へと向かう。あまり気は進まないが、約束してしまった手前、リフレッシュスペースで休憩しているはずのレナータの元まで行かなければならない。
再び溜息を吐きながら会議室から出ると、廊下に掲示されている案内板に従い、リフレッシュスペースへとまっすぐに進んでいった。
***
――アレスと別れ、一人リフレッシュスペースへと足を運んだレナータは、さっそく飲み物を購入した。
何を注文しようかと散々迷った末に、アイスキャラメルマキアートを買い、窓際の席へと向かう。
席に着き、窓から見える外の景色をぼんやりと眺めつつ、グラスの中の液体をストローでくるくると掻き混ぜてから、その先を口に含んで冷たいキャラメルマキアートを吸い上げていく。
ストローから吸い寄せられてきた液体が舌に触れた瞬間、キャラメル特有の濃厚な甘さと牛乳の優しい甘さ、それからエスプレッソのほろ苦さが程よく絡み合い、口の中いっぱいに広がっていく。冷たい液体が喉を滑り落ちていくと、肩から余計な力が抜けていき、意識が冴え渡っていく。
夢中になってストローでアイスキャラメルマキアートを吸っていたら、不意に凛とした響きを帯びた声に名を呼ばれた。
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