9 朔太郎の鉄塔

 その辺りで時刻が十二時を過ぎたので、

「お腹、空いたぁ!」

「お腹、空いたね!」

 と、すぐ近くの洗足池公園まで歩いて昼食を摂ることにする。

 自販機で飲み物を買い、屋台が数軒出ていたので焼きそばを選んで、ディーには自転車があるのでぼくがそれを持ち、空いているベンチを捜す。何かの記念碑の前にベンチが見つかり、そこに腰かけると、かなり巨大なネコが背後からぬっと現れ出でて、そのまま悠然と立ち去って行く。その斑(ぶち)の後姿を目で追いかけながら焼きそばを喰す。

「『就中(なかんずく)』って言葉を、この前、はじめて知ったよ」

「キミはいったい何を読んでるんだろうね?」

「まっ、ねー! 目に付いた場所に転がってたから……」

 池に浮かんだ数艘のボートを見て、

「ボートでも乗る?」

「今日はいいや」

 それからしばらく、他愛もない会話を楽しむ。

「他にサプライズ、ある?」

 ディーが聞いたので、さして考えることなく、

「『青猫』の鉄塔、見る?」

 と答えた。

「『のをあある とをあある やわあ』 ……って、見る!」

「『青猫』って、『都会の空に映る電線の青白いスパーク』の『イメージ』だったらしい

よ。引用は、『定本青猫』萩原朔太郎、日本詩人全集14、新潮社、昭和四十一年刊から」

「ふうん。……『犬は病んでゐるの? お母あさん。』『いいえ子供 犬は飢ゑてゐるのです。』『遺傳』は普通に好きだったな。『青猫』の方は憶えてないけど、『さびしい青猫』の方は、たしか、『ここには一疋の青猫が居る。さうして柳は風にふかれ、墓場には月が登つてゐる。』」

「キミだって、何を読んでんだか……」

「キミのお父上とは話が合いそうだな!」

「さて、どうでしょうか?」

 立ち上がり、ディーの分も含めてゴミ箱までゴミを捨てに行き、伸びをして、

「駒沢線の第六十一番鉄塔が、それだよ!」

「ふうん」

「では、ぼちぼち行きますかぁ……」

 駒沢陸橋までの順路は、洗足池に至るまでの経路をほぼ逆に辿る。小学校近傍の坂を登ってからは、基本的にディーは自転車で、ぼくはランニングで先に進む。陸橋の下、環七通りを渡った公園内に屹立するのが第三十二番。そこから駒沢線はほぼ北上するが、道なりとなる経路はなく、しばらくの間ジグザグに進まなければならない。通りを二つ挟んだ北東側に東京学芸大学附属高等学校がある第三十六番で北西に進路を変え――隣接する公園ではカラスがペットや人を襲うらしい――第四十四番で玉川通りを渡って世田谷警察署および世田谷郵便局近傍の第四十五番へ。サービスステーション裏(南)の第四十九番で世田谷通りを渡り、その先はほぼ北へ。丁目でいうと、若林一丁目だ。第五十一番で東急世田谷線を越え、かつて世田谷線に電力を供給していた、もう撤去&解体されてしまった代田線・第一番跡を挟んで第五十二番へ。第五十六番で国道四二三号線を渡り、坂を登って、第六十一番鉄塔に近づいて行く。

「わくわくするけど、景色は地味よねぇ。……家は建て替えられているみたいだけど」

「道に関しては、北沢の過去が残ってるんだと思うよ」

 そして前の鉄塔からまっすぐ直線的な道はなかったけれども順路的には道なりに、左折、右折、右折、左折と進み、結構急だが長くはない坂を登り切って……っていうか、登りきる直前の位置に直立した第六十一番鉄塔に到達。

 第六十一番鉄塔は、旧(ふる)い緑の柵に囲まれた鉄塔内に階段――っていうか梯子――がある珍しい形の、はっきりいって低い鉄塔だ。

 もっとも階段はともかく、世田谷区の東雪ヶ谷(石川台駅近傍)から杉並区の中央南部にかけて龍のように送電線を連ねる駒沢線は、押し並べて皆背が低く、電信柱よりわずかに高い二十メートル弱から四十メートル弱程度の高さのものが多い。

「実際に見れば『ふうん』だけど、ここを詣でる人たちもいるんでしょうね」

 感慨深気にディーが呟く。

「他にも有名な番号はないの?」

「ぼくが知ってるのは、ここだけ。……地元の人にとっては、もっとあるかもしれないけど」

「鉄塔は、景観的に嫌いな人も多いから、地下に埋めてくれって陳情もあるんだろうね?」

 そこから、さらに先に進んで第六十三号で小田急線・世田谷代田駅を跨ぎ、いわゆる電信柱似の『美麗』と呼ばれる第六十四番鉄塔まで移動。それ以降は若干、北西寄りに進む。ちなみに、これまでの鉄塔で美麗化されているのは、第十番、第二十五番、第三十四番と第四十九番。おそらく、この先の老朽化と連動して、もっと多く建て替えられるのだろう。

 さらにちなみに、朔太郎の青猫鉄塔の架設は昭和八年=一九三三年で、朔太郎が新居を構えたのが、その七年後のようだ。

 第六十五番から第七十番まで美麗が続き――第六十七番で京王井の頭線・新代田駅を跨ぎ――その第七十番で環状七号線を渡り、美麗の第七十四番で京王線・代田橋駅ちょい西を跨ぎ、古風な民家の庭の第七十五番へ。その第七十五番で首都高速四号線・新宿線をくぐり、その先ほぼ北西に向かい、美麗・第七十九番が日大鶴が丘高等学校敷地内、第八十一番が美麗、そして素性は不明だが何処かの学校の野球グラウンドと思われる敷地に隣接する和泉二丁目公園内の第八十四番で神田川を越え、別の鉄塔系列――北堀線――を左右に眺めつつ進むと、第八十八番で方向が北東に折れ曲がり、第八十九番がなくて和田掘線・第一八七番となっていて、最後は和田掘変電所前の第九十番で終わっている。

 駒沢線は番号数の割に全長が短く、全部つなげても約十キほどの道程だ。

 もっとも、そうでなければディーと辿ろうとは思わなかったけれど……。

「ふう、ひと通り、巡ったわけね」

「そして、キミのウチにも近づいた」

 するとディーはちょっと感動したみたいだ。

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