27 その人にしかできないこと
その日は結局ディーと二人きりで床に着くことはない。
一階の和室の客間で父さん、母さん、ディー、ぼくの四人、丨(こん)か亅(けつ)か丿(へつ)の字を加えた川の字で寝る。いつもなら、ぼくは自分の部屋のベッドで、父さんと母さんは二階の寝室で寝ていたから、全員がお客さんみたいな気分になる。その中で本当のお客さんであるディーは母さんたちが食材と一緒に買ってきた着替えとパジャマに包まれていたから、余計にそんな気分だったかもしれない。
そんなことを感じながら、この前のときの気持ちを素直に思い返してみると不思議な気がしてくる。あの夜は、とにかくディーとただ一緒にいたかっただけだ。ディーにしても、それは同じ気持ちだったと思う。
でも、その強い気持ちは今ではすっかり落ち着いている。
もちろん彼女はぼくのすぐ近くにいるのだけれど、あの夜、世界は自分たちだけのもので、わずかでも離れたならば、身を切られるような淋しさを感じただろう。
しかし今宵はそんな気分がしない。
縦四画の漢字となって全員が眠る前、家族の団欒がお開きになり、母さんは恒例の食後の散歩に出かけ、父さんは書斎に引篭り、ぼくたちは少しだけ新しい歌詞の作曲を試みる。食事前にディー自身が口にしたように、確かに荒削りだったけれど、すでに歌詞に合ったメロディーが出来上がっていて、ぼくはちょっと感動する。そして曲を生かすアレンジを考えるため、ぼくはいろいろと頭を悩ます。
でも、それより前に、
「ね、ちょっと、大作!」
散歩に出かける直前の母さんが玄関からぼくを呼ぶ。
「なあに?」
玄関まで行ってみる。すると母さんは生真面目な表情でぼくの顔を見つめ、
「あなたに彼女が助けられる?」
と訊く。でもそれは、実はぼくに対する質問ではなかったようで、すぐに続けて、
「でも、大丈夫! 何といってもあなたはわたしたちの子供ですからね」
そう言い、柔和な表情を浮かべると、
「それじゃあ、行ってきまーす!」
さっそうと夜の街の散歩に出かける。それで、ぼくは少しだけ狐につままれたような気分になる。
「お母さま、なんですって?」
リクライニング・ルームに戻るとディーが問いかける。
「いや、別に用事じゃなかったみたい」
それだけ言って作曲に戻る。ディーも特にそれ以上、問いかけてこない。
「なんか、この部分、曲が違うような気がする」
しばらくしてからディーが呟く。
「キミだったら、どう続ける?」
「こんな感じかな」
とアップライト・ピアノを叩いて音を出す。
「でもこれじゃぁ、当たり前の曲調で面白くないよね」
「うーん?」
「逆に考えてみようかな?」
「どんな?」
「こんな……」
とディーに告げ、譜面を終わりのところから逆に弾きはじめる。
「器用だね!」
「ありがとう」
問題の箇所に来て、普通に繋げた音をまた逆に弾いてみると、ちょっと面白い音列になる。
「うん、いいと思うよ」
「なんか、また転調ばっかりの曲になるなぁ。中期以降のブルー・シャンペンも真っ青になりそう」
すると――
「そういえば裁判に勝ったらしいわね。又聞きだから、詳しいことは知らないけど……」
とディーが話題を振る。
「あっ、ぼくも聞いたよ。楽曲のバラ売りはできないってヤツだよね。もっともコンセプトアルバムをバラしたら意味が通じなくなっちゃうからなぁ」
「でも今の配信方法だと、いずれどんどんバラ売りの方向に進むんでしょうねぇ」
そんな会話をしながら比較的短い時間で二曲とも楽曲化。午後十時過ぎになって散歩から帰ってきた母さんが小声で歌うディーの歌声を聞き、涙を流す。
「えっ?」
「ひょ?」
ディーもぼくも吃驚してしまう。すると母さんは、
「素敵な声で良い曲ね。……それで、いろんなことが咄嗟に胸に浮かんできてしまったのよ」
とコメントする。
「ありがとうございます」
ディーが応えると、
「あなたの大切なものにも届くといいわね」
少しだけ心配そうにディーに告げる。
「何にしたって、やり遂げることは本人にしかできませんから」
そして、ぼくの顔を見て付け加える。
「いくら一生懸命助けてくれる人がいたとしてもよ」
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