24 カンバセーション・ピース

「キミの妹じゃないよね?」

「うん。近所の子」

 入江理沙ちゃんが普通の笑顔に戻り、その場を立ち去ってから、ぼくはディーと会話する。ディーはかなり困惑した表情をしている。

「わたし、いいのかなぁ……。少し怖くなってきちゃった」

 わずかに沈んだ声でディーがぼくに向けて、そう呟く。

「市原さんも……」

「市川さん」

「そう、その市川さんも、キミをわたしに譲ってくれたじゃない。もちろん実際に会ってそんな会話をしたわけじゃないけど、わかるんだ。そして次にはあの子から……」

 どう答えて良いのかわからないので、ディーの不明瞭部分が明瞭になるように事実だけを告げる。

「譲ったのかどうかはわからないけど、あの後、確かに市川さんに告白されたよ」

「そう」

「でも、ぼくに対する自分の気持ちが自覚できたから、それでいいんだって……」

「わぁ、格好いいなぁ。そんな態度、わたしにはきっと取れないよ。……でも大丈夫、キミには甘えないから」

「あのさぁ、ぼくにはどうもよくわからないんだけど?」

「そうね、彼女もキミのそんなところだけは残念に思ったかもしれないわね」

「そうなの?」

「たぶん」

 そう言って、ディーに笑顔が戻る。

 それから――

「ただいまー」

「お邪魔しまーす」

 玄関のドアを開けたが、出迎えはない。

「じゃ、とにかく上がって」

 ディーを促すと玄関の背後から声がする。

「お茶受け買ってきたわよ。ちょうど他にもいろいろ切らしていたし……」

 買い物袋を抱えた母さんがいる。その声に振り返ったディーと目が合い、

「あら、可愛いらしいお友だちですこと」

 ディーのマママさんとまったく同じ台詞を口にする。

「お邪魔します」

「うわぁ、声も可愛い!」

 母さんが狂喜する。

 ついで――

「こんな素敵な娘を大作(だいさく)に独り占めにはさせないわ」

 と嬉々とした表情でディーの手を引き、我が家の呼び名ではリクライニングルーム――要は洋式の茶の間だけど――まで強引に引っ張っていく。

 そして手を引かれながらディーが、

「アハハハハ、キミの本名は大作くんっていうんだ。昭和ぽーい!」

 傍若無人にもそう笑うものだから、

「じゃ、キミも自己紹介してよ」

 と迫ったところ、小さな声で母さんに向かい、

「あたし、あの、乙卯蕗子(きのとう・ふきこ)と申します」

 と答える。

 だから、つい――

「なんだ、自分は大正じゃないか!」

 と指摘したら、きつい目でキッと睨まれる。

 おお怖い!

「これ、失礼なことをいうんじゃありませ」

 と、これは母さん。

 それから母さんの質問攻めがはじまる。

 ……といっても我が家の場合も不必要な詮索はしない。彼女の年齢とか、出身小学校だとか、現在の学校だとか、家族構成だとかを訊くことはしなくて、ぼくと知り合った経緯なんかを聞き出して楽しんでいる。

「最近、大作がウキウキしていると思ったら、やっぱりそうだったのか?」

 と、ぼくの額を軽く小突く。

「そういえば父さんは?」

 と話題を振ると、

「まだ、お散歩から帰って来ないわよ」

 という返事。

 父さんの休みの過ごし方は洗濯と一風変わった――場合によってはとても長い――散策で、最近ではJR武蔵野線・武蔵高萩駅から西武新宿線・狭山市駅まで歩いたりしている。京王井の頭線・吉祥寺駅から鉄塔北多摩戦に部分的に沿い京王線・千歳烏山駅まで歩いたときは、ぼくも付き合う。つい先週は根津界隈を満喫したようだ。D坂に行ってきたと語っている。

 それはさておき、母さんとディーはそのとき人形の球体関節を肴に盛り上がっている。

「ええ、あの人は好きだけれど、エピゴーネンが多いですよね?」

「ええ、本当に……。単に技術を真似したら、多少体裁を繕ったところで絶対にオリジナルが透けて見えちゃうのにねぇ」

 と、それが某有名人形作家の話題に移り変わり、それから紆余曲折があって、

「すごくまとまりが良いんで、らしくなくてびっくりしましたけど、最後の事故のシーンはなくても良かったかもしれませんね」

「でも、きっとあの感じが現在の彼氏のこだわりなのよ」

 と人形繋がりで人形修理職人を題材にした保美創(やすみ・はじめ)の小説に話が跳び、

「じゃ、『ダンス・エクス・マキーナ』はどうですか?」

「あれは傑作! 特に第一章が……」

「夢とも現(うつつ)ともつかない東京の街の変容ですね。……でも、とても子供っぽい」

「馬車のシーンには、ちょっとぎょっとさせられましたけどね」

 そして話題が巡り、ぼくがディーの家に泊まったことがバレてしまう。まぁ、隠していたわけじゃないけどさ。

「おかしいと思っていたのよね。お電話いただいたとき、局番が近所じゃなかったから……。それに中学生になってからは、あんまり友だちの家に泊まりに行ったりしていなかったしね」

「以前は良く泊まりに行かれてたんですか?」

「一時期、渡り歩いていたことがあったわ。ウチにいることの方が少なかったのよ。何を研究してたんだか……」

「別にそれぞれの家族関係について無作為抽出してたわけじゃないよ」

「でも、あなたのお母さま、勇気あるわね」

 と首を捻り、

「私も真似しようかな」

 ぎょっ、とするようなことを口走る。ディーを見るとニコニコだ。

 そして、そのタイミングでディーの携帯が鳴る。着メロは前に聞いたキング・クリムゾンの 『Sex Sleep Eat Drink Dream』。

「あ、マママ。え、何? 今夜は急用で食事が作れないって……。おばあちゃんもスイミングスクールの人たちと出かけてウチにいないの?」

 首を傾げる。

「で、どうして欲しいわけ? え、今、お友だちのお宅にお邪魔してるけど。そうそう、彼の名前がわかったわ。大作くんっていうのよ。すごく昭和っぽいけど、なんかぴったりだよね!」

 それから、

「あ、切れた!」

 目を白黒させる。

「で、なんておっしゃっていたの?」

「今日は夕ご飯がないから、食べて帰るか、作るか、そのままお友だちのうちにお泊りしちゃいなさい、ですって……。そんなことを告げられました。無責任な母親で困ってしまいます」

 すると今度は母さんがニマニマと笑みを浮かべ、

「じゃ、決定します。蕗子さん、あなたは本日我が家に宿泊します」

 と宣言。

「明日は日曜日だし、別にいいわよね?」

「ええ、わたしは構いませんけど、ご迷惑じゃないですか?」

「いいえぇ、前にこちらが迷惑をかけた、そのお返しよ」

「じゃあ、喜んで……」

「大作、良かったわね?」

「はぁ……」

「ほう、お客さんが来てたのか?」

「あら、お帰りなさい。玄関ドアの開く音、聞こえなかったわ」

「前にキーキーうるさいってぼやくいうから、油を注した効果だよ」

 それから、たったいま帰ってきた父さんがディーに向かい、

「こんにちは。大作のお友だちですね」

「そう、乙卯蕗子さんていうのよ」

「乙卯ねぇ。珍しい苗字だな。たしか、干支の組み合わせの五十二番目で、前は甲寅、次は丙辰だったな」

「良くご存知で……」

「息子と同じでヘンな知識ばかりは多いんです」

「えっ、それ、逆だと思うな。父さんのDNAから遺伝(つたわ)ったんだよ」

「『のをあある とをあある やわあ』」

「わっ、前と似たような展開は止めて欲しい!」

「……ということは、朔太郎の鉄塔を見に行ったわけね」

「はい。楽しかったんですけど、疲れました」

「お父さん、今日、蕗子さんをウチにお泊めしますから」

「それは構わないけど……。誰だったか、度忘れしたなぁ。蕗で思い出したんだけど、『雪は溶けて道は一面に大根卸しをぶちまけたやうな泥濘(ぬかるみ)になってゐる』」

「そんな文章を書くのは塚本邦雄くらいのものだわ! まぁ、いつもの耽美とは傾向が違うけど……」

「ええと、『夏至遺文』でしたっけ?」

「そうそれ! その中の最後の話だったな」

「瞬篇小説集だったよね」

「最初のカラスの死に悲しむ女の子お話は怖かったけれど、あとはみんなホモっぽい感じでしたね」

「当事のインテリゲンチャの格好良さ、だったんだろうね。それが……。生前彼はドッペルゲンゲルを見たのかな?」

「それは知らないけど、でも今のゲイは好きじゃないと思うよ。当時とイメージが違い過ぎて、さらに禁断でもないし……」

「そういえば、ハムレットの改作には笑ったわね。なんか、出来過ぎって感じ……」

「あっ、例の監督の初期TV作品に『夏至物語』っていうタイトルの話があったことを思い出したよ」

「いまは有名になった某漫才コンビの片割れが最後にチラッと出てくる話だったかな?」

「でも塚本邦雄って、実は耽美じゃなくて滑稽を求めていたのかもしれませんね? 前に罌粟と魔方陣が出てくる長編小説を読んだときに、ふと、そう思いました」

 そんな感じで和やかに時がしばらく過ぎ去った後で、

「あっ、もう、こんな時間!」

 と母さんが驚いて叫ぶ。

「お買い物にいかなくちゃ!」

 ディーに向き直り、

「何が食べたい?」

「お任せします」

「そう。じゃ、お任せされるか」

 すっくと立ち上がると出かける準備をはじめ、

「じゃ、ぼくも付き合おう」

 と父さんも席を立つ。

「キミたち二人も話したいことがあるだろうしね」

 五分と経たずに近所に三軒ある――それぞれ異なった特徴を持つ――スーパーマーケットのどれかに向けて連れ立って出かける。

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