23 引き受けたものの重さ
そうこうするうち三時を大きくまわってしまう。
爆発する芸術家らしい斬新なデザインのシンボルタワー『母の塔』が聳え立つ館外広場で水分を補給し、さて、どうしようかと惑い、
「近くに長沢浄水場があるけど、見に行く?」
とディーに問うと、
「今日は止めとくわ」
という返事だったので、とりあえず小田急線・向ヶ丘遊園駅まで引き返す。
「キミんち、行きたいな?」
歩きながらディーがねだる。
「ダメ?」
「ダメじゃないけど、うーん、びっくりされるよ!」
ディーを見て、
「母さんに拉致されるかも……」
「それも一興!」
ということで、やっぱりどう対処しようかと惑ったあげく、
「一応、電話入れとくね」
と断りを入れ、街からめっきり姿を消してしまった電話ボックスを探し出すと自宅に電話を入れる。
「あのさぁ、友だちが遊びに寄りたいっていうんで、いまから向かいます」
電話に出た母さんにそう告げる。
「あら、珍しいわね。コンサート巡りしてたときの市川さん以来じゃないの?」
「そうだね」
「小学校の頃は、いろんな人たちとさかんに行ったり来たりしてたのにね。お泊りも多かったし……」
なんだか話が良くない方向に進んでいるような気がしてきたので、
「もう切るよ」
と応える。すると母さんが、
「で、いつ頃?」
と問いかけるので、。
「ええと今、向ヶ丘公園駅だから一時間まではかからないと思うけど……」
「わかったわ」
暫しの間。
「じゃあ、待ってます」
チン。電話が切れる。
「携帯貸してあげたのに……」
「なんか、こだわりになっちゃっててね」
「今はまだいいけど、キミ、将来的にめんどくさいヒトになる可能性が高いと思うよ」
「そうかなぁ?」
「そうよ!」
「やっぱり……」
「あっ、でも自覚してんだ」
「一応はね。自分の価値観は持っていたいと思うから……」
「ふうん。でも自覚があるんなら大丈夫かもね。なんか周りに流されちゃって、本人は合わせようとしているのかもしれないけど、瑞から見てるとまったく自分があるとは思えないヒトたちより、全然マシだわ」
「そんなこといったら、キミだって完全にそうじゃない?」
ホームで待つとほどなく急行電車がやってくる。小田急線の場合、特に各駅停車がなかなか先に進まず文字通りの鈍行だったから、これはラッキーだ。
「前に家族と近所の人たちで一緒に箱根の彫刻の森美術館まで遊びに行ったときに思ったんだけどさぁ、小田急線って本当に昔のジャリ電みたいで、街中をクネクネクネクネって走るよね」
と指摘する。
「だからロマンスカーに乗っててもスピード感が全然ないんだよ」
するとディーが首を捻り、
「その辺りは、詳しくないなぁ……。わたしは主に中央線と総武線と、あと京王線組だから……」
「うん。住んでるところからいって、そうだよね。でさぁ、そういう意味では京王線のスピード感が、ぼくは好きだよ」
「確かにね」
「斜めに停車する駅が多いにもかかわらず、轟音立ててすっ飛んで行くから……」
「横浜線か京浜東北線か忘れちゃったけど、噂によると、どっちかは、ほとんどローラーコースター状態らしいよ」
「引っ越した友だちの家に遊びに行ったとき、それは実感したよ。……って、それほど凄まじくはなかったけどね」
「そうか、実際に乗らない方がワクワクできるかな?」
「うん。でも、それも人によると思う」
経路はいくつかあったけれど、単純に向ヶ丘遊園駅から新宿駅に向かう路線を選ぶ。今回の車両内にはモデルのような綺麗な人はいない。
登戸駅を過ぎて多摩川を渡るとき、
「実は、この鉄橋の下を反対側まで渡ったことがあるんだ」
とディーに話しかける。
「それって?」
ディーが先を促す。
「工事中のときのことだったんだけどね。鉄橋の下って、実は歩いて渡れるようになっていてさ、あのときの休みの日はちょうど金網を抜けられそうだったんで試してみたんだ」
「危ないわねぇ」
「うん。でも、あのときは好奇心の方が勝って、行けるところまで行ってみよう思ったわけ」
「で?」
「結末からいえば、途中に難関が数箇所あったけれど、向こう岸に辿り着けたんだ」
「へぇ!」
「でもさぁ、その向こう側にもあった金網は抜けられなくて、結局また戻って来たんだけどね」
「ふうん」
「もったいなかったけど、しょうがない」
ついで、
「今じゃたぶん、そんなこと怖くてできないかも……」
「そんなに年寄りかい? キミは……」
「……っていうかさぇ、他の人のことなんか、まったく考えてもみなかったんだよ、あのときは……」
「今では?」
「でも、やっぱり考えてないかも……」
「じゃあ、少しは考えなさいよ!」
ディーが言う。
「そういう感じのハラハラ・ドキドキ、わたしは厭だわ。格闘家系の家族じゃなくって良かったわよ」
「下町の小町の中には肝の座った奥さんもいるからね」
「でも、そうじゃない奥さんは、ちょっとかわいそうだと思う」
乗り換えのある駅では人の移動が激しくて二人とも押しつぶされてしまう。こんな中途半端な時間帯に混まなくても良さそうなものだと、その原因の要素であるにもかかわらず思ったりする。急行は新宿駅の地下ではなく上階のホームに到着するので、階段を下りてから改札を出、京王線の改札口に向かう。すると、
「あ、急に思い出した!」
とディーが叫ぶ。
「え、何?」
ぼくが応える。
「今日は(メモリプレーヤーを)持ってないの?」
「あ、そうか!」
とポケットを探る。
「ちゃんとあるけど、ぼくも忘れてたよ」
「何か曲、増えた?」
「いや、前と同(おんな)じ。……この間、急に思い出してショスタコーヴィチの交響曲第十四番『死者の歌』を聴きたくなったんだけど、見つからないんで、そのままにしてある」
「キミの趣味は、やっぱり謎だわ!」
「交響曲とはいっても、ほとんど歌曲でね、楽章ごとに構成とかが違うんで聴いてて飽きさせないんだ!」
「キミには苦手な曲ってあるの?」
「うーん、強いていえばミニマムミュージックかなぁ?」
「そのココロは?」
「単純に飽きちゃうんだよね。現代音楽自体には、好きな曲が多いんだけど……。あっ!」
「へっ!」
「そういえば、ビバルディーの四季が苦手だった」
「ふうん。珍しいのね。当たり障りがないのがダメなんだ」
「いや、きっと違うと思うよ。単純に合わないだけだと……。あと、昔はモーツァルトがダメだったけど、今は気にならないな」
「じゃあ、一番好きなのは?」
「いまはキミの歌かなぁ?」
「言うわね! どうせアレンジがいいって言いたんでしょ?」
「そんなことないよ。曲調はいろいろあるけど、キミの歌はある意味楽しいから……」
「それって?」
「でも本質的にはみんなレクイエムなんだよね」
発車してから十分ほどで自宅最寄駅に着く。三階から上が集合住宅になっているショッピングモールを左手に進み、道を渡って少し行ってから左折し、ほどなく自宅周辺領域に到着。
すると――
「おにいちゃん、おっかえりぃー」
向かいの二軒隣の入江(いりえ)さん家の理沙(りさ)ちゃんが、ぼくを発見して飛びついてくる。
「あらあら、キミは若い女性にもてるわねぇ」
その声にディーを認識した理沙ちゃんが、急に顔をこわばらせ、
「ダメ!」
と叫んぶ。ついで、
「しんでいるひとは、おにいちゃんに、ちかづいちゃ、ダメ!」
はっきりした声でそう叫ぶ。
「え、どういう?」
ぼくが戸惑っていると、
「やっぱり、わかるんだ……」
ディーが呟く。それから、その場にしゃがみこみ、理沙ちゃんと面と向かい、
「キミはお兄ちゃんが大好きなんだよね」
と彼女に問いかける。理沙ちゃんが大きく首肯く。すると、
「よし、わかった。お兄ちゃんに決して迷惑はかけないよ。でも……」
と少し声を和らげ、
「しばらくの間、あなたのお兄ちゃんをお姉ちゃんにも貸してくれないかなぁ。お姉ちゃんだって、お兄ちゃんのことが大好きなんだから……」
すると、しばらく考えた末に、
「うん、わかった」
と理沙ちゃんが答える。ディーのことをしげしげと眺めると、ぼくの方に向き直り、
「おにいちゃんに、たすけてあげることが、できますか?」
いきなり、そう問いかけてくる。その目つきがあまりに真摯だったので、
「できる限りの努力をします」
とディー同様、しゃがみこんで理沙ちゃんと目線を合わせ、ぼくは迷わずそう答える。すると理沙ちゃんが、
「わかりました。あたしはみをひきます」
そういってくるりとまわると、ぼくの背中にその体重を押し付ける。何かをブツブツと唱えている。その間、彼女が満足するまで、ぼくはされるがままにされている。そうやって一分ほどが過ぎ去ったとき、
「翼を守っているんだ!」
小さな声でディーが呟く。
見上げると、ディーはいまにも泣き出しそうな顔つきをしている。はじめて見る悲しげな顔付きだ。
実は、そのときのぼくにはよく理解できていなかったのだけれど、それでもずっしりと重みのある何かを理沙ちゃんから引き受けたことだけは理解する。
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