14 捧げもの
翌日の午前中はスキャット用の主旋律と伴奏用分散和音の作曲に充てる。ディーがその完成を強く望んだからだ。作業の途中から何となくそれで何がしたいのか予想がついたが、それに関してはディーが口を閉ざしていたので、こちらから問いかけることをしない。
主旋律はディーの担当だが、昨日の実作のようには進まず、思いの外、曲が上手く繋がらないようだ。そっちが出来なければ、こっちはやることがないので、ぼくはディーの邪魔にならない程度にアドバイスに励む。
「うーん、この方が面白いと思うよ?」
「そだね! でも、こっちの方が……」
「確かに安定してるけど、よくある流れだなぁ……」
結果的に仕上がった曲は全然ジャズ風でもロックっぽくもなかったので、スキャットというよりはクラシックのヴォカリーズみたいな感じになる。発音される音は、ほぼ『ル』と『ラ』と『ファー』と『ウー』で、他に少しだけ、『アー』、『オー』、『イー』、『エー』が含まれていて、譜面に移してみると突拍子と転調がものすごく多かったけれど、旋律自体は流れるように連なっていたので、演奏してガチャガチャするということはない。伴奏の修飾音とコードを若干手直しし、セブンスとかナインスに変え、最終的に、儚いけれども美しいといった感じの楽曲が出来上がる。もっとも伴奏の音質は、まぁ、想像してしかるべきものだったのだけれど……。
「ふう」
最後まで歌い終わってディーが大きく息をつく。
「実力的には充分過ぎるんじゃない! いい出来だよ。キミのおかげだ」
「どういたしまして」
「じゃ、出かけよう!」
「……って、元気だね。何処へ?」
「場所はまだ決めてないけど、予想はついてんじゃない?」
「やっぱり、そうきますか?」
「出かけるのは、お昼ご飯食べてからにしなさいよ」
とマママさん。
「もう、また出てくる!」
「あなたもね……」
「あ、はい」
それでパンと野菜が主体の昼食をいただく。ディーのお祖母さんは既に出かけていて、その日は、年齢が自分の半分くらいのスイミング倶楽部の友人たちと人形の展覧会を見に行ったらしい。
食事の後、今朝早く洗濯して乾かして貰った服に着替えるために階下に降りたとき、
「あの子、何か話してる?」
とマママさんというよりは、ディーの母親が、ちょっとだけ心配そうな顔つきで、ぼくにそう問いかける。だから別に隠すつもりはなかったし、どちらにしても事情は向こうの方が詳しいに決まっているので、
「幽霊、っていいますか、自縛霊の方が近いのかな? この世に留まっている、それが、雲か、煙か、靄か、霧か、霞か、水か、キラキラ光る水銀みたいに感じられるっていうことだけは伺っていますけど」
と答える。ついで、
「その場にも居合わせましたし……」
すると、
「そう、ありがとうね!」
その日のディーの母親との会話はそれだけで終わる。
出かける前に、きっと捜し当てられるだろうと思い、
「どうせ、持って行くんでしょ?」
と二台のエレピの連結器をディーと捜す。すると半ば当然のように、それはエレピが出てきたベッド下の抽斗の中から見つかる。
「キミのおじいさんって、器用な人だったんだね」
「……らしいよ。ときどき、おばあちゃんが回想してる」
連結器は、それぞれのエレピの端を凸として、連結器両サイドの凹部分にそれを挿し込む構造になっている。二台の真ん中を跨いで弾くときには確かに弾き難いが、バラバラの二台で弾くよりは遥かに楽だ。
「あ、それとストラップ?」
「ギターのじゃダメかな?」
エレピが隠されていたのとは反対側の抽斗から、わりとすぐに出てきたストラップを持ち上げ、ディーが言う。エレピを指差し、
「それなら軽いけど、あんまりキーボードを首から提げないわよねぇ」
「昔はともかく、今は大勢いると思うよ。……あっ、そうか、本体を吊るためのボッチがいるなぁ?」
そこで探してみると、さすがにない。
「……とすると、膝の上になるから、椅子がいるか?」
「ねっ、こうしてみたら?」
ディーの提案は連結したエレピの両端を紐で縛り、その紐にストラップを繋げるというものだ。だから紐を調達して一応やってみたけれども、
「あんまり格好良くないね」
「うーん。……でも椅子を持っていくのは大変だから、これでいいんじゃない?」
ということで紐が移動時の揺れなどで外れたり緩んだりしないようにガムテープで止めるところまでは考慮する。すると結果的に――当然のように――さらにエレピが格好悪くなる。
「アハハハ……」
「ま、笑うしかないよね」
「クロス、巻いてみようか?」
ディーが提案し、それで七色の大き目のハンカチで紐部分をお化粧すると見違えるようにマシになる。
「これならなんとか……」
なるだろうなぁ。
「家を出たら、まず電池を買わないと!」
「あ、そうだった、そうだった!」
すっかりデコボコ・コンビになった気分で、ディーのウチを出発する。
「で、いったい何処に?」
ぼくが問うと、
「ま、どこにだって必ずいるんですけど、最初から、あんまり近くはねぇ」
とディーが答える。
ということで駅まで歩いてスーパーマーケットで電池を買い、電車に乗る。
「キミと最初に遇った辺りに行こうか?」
「めちゃくちゃ遠回りだよ!」
「じゃ、どこかの公園がいいや」
「公園?」
「だって、道端で歌う勇気はないわよ。少なくとも今はね」
「でもキミの計画って……」
「そう、もし本当に出来るんならば、壮大だよね!」
それで乗ったJR線の沿線で降り、適当に歩く。それほど経たないうちにひとつの公園に辿り着く。
「じゃ、あの木陰で……」
「あそこに、いるわけね!」
「喜んでくれればいいけど……」
恥ずかしさというより、そんなことをしても良いのだろうか? という想いに実は気圧されていたぼくたちは、彼女が歌い、ぼくが伴奏できるタイミングを見つけるまで、かなりの時間を費やしてしまう。けれども、やがて二人とも覚悟を決め、この世に彷徨う幽霊たちのひとりに最初のレクイエム曲を捧げたのだ。
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