20 招待状
翌週の水曜日に、ぼく宛に封書が届く。
送り先を調べると三軒茶屋の高速高架近くの名画座の一館からで、中を見ると抽選に当ったと記してある。
『つきましては、十月中の一日内上映分に限り、無料で映画がご覧になれます』
そういえば夏前に、
「お前じゃないと後で話ができないから」
と別のクラスの山下仁(やました・ひとし)に誘われ、マイケル・ライダー原作脚本、レイ・マフィン監督&脚本の『世界で一番悲しいクリスマスソング The Saddest Christmas Song in the World」(2003)』を見に行ったとき、アンケート用紙に回答を記入したことを思い出す。その景品が映画の只券だったようだ。
厭な予感とわくわくした期待感が胸の奥から急に湧き上がり、あんまり期待しないで土曜日に行ってみようか、と即決するた。
ところで当の山下仁は強引にぼくをカルト映画に誘ったにもかかわらず、前から憧れていた同じクラスの鷺沼(さぎぬま)――上から目線――日和(ひより)をゲットすると、彼女に奉仕するのに忙しいらしく、その後映画の話をしに来なくなる。どうなってるんだろうね?
そうこうするうちに金曜日が終わり、土曜日がやって来る。
朝一番――といっても十一時はじまりだが――の上映時間に合わせ、ぼくは家を出て、三軒茶屋のキネマ館に向かう。下北沢を過ぎて茶沢通りをしばらく南下したところで、同じ学校の矢島彩乃(やしま・あやの)=通称ペネと綿貫七海(わたぬき・ななみ)=愛称ロペがつるんで前を歩いているのに気づく。最初に感じた厭な予感はこれだったのかと一瞬惑うが、カラスと同じで攻撃しなければ危害を加えてくることもなかろうと、
「おはよう、早いね!」
と挨拶しながら通り過ぎる。
ありがたいことに、二人とも別のことに気を惹かれていたらしく、ぼくに関心を向ける様子は伺えない。しかし、まさか同じ目的地に向かっているじゃないだろうな、と想像すると気が重くなる。それに綿貫七海は、あの人の妹だったし……。その事実も不安を煽る。もう過ぎてしまったことなので、別に今更公になったって構わないという覚悟はできているつもりだが、そうはいっても、あんなことでクラスや学校仲間に目立ってしまうのは、やはり厭だ。誰にだって人に云えない秘密がある。ぼくだって例外ではない。
気を取り直して元気良く大股でしばらく歩くと目的のキネマ館に到着する。事前に調べなかったので、そのとき掛かっていた一本目が、アン・バンクロフトとアンソニー・ホプキンス競演の『チャーリング・クロス街84番地』だということが、そのときわかる。招待券をもぎってもらって館内に中に入る。まだ暗くはなかったので、八十席弱の傾斜座席の前の方にディーが坐っているのが見て取れる。
「十一時近いけど、おはよう!」
近くまで行って声を掛ける。
「仕掛けられたんじゃないかなぁ?」
とりわけ驚いたふうもなく、ディーがぼく向かって呟く。ぼくはぐるりをまわり、ディーの左隣に腰掛ける。
「マママがいうのよね。只になる招待券もらったけど、急ぎの直しがいくつも重なって入ったんで行けそうにないって……。もう残り有効日数も少ないから、それで代わりに観て来てよって」
「ふうん」
「どう思う?」
「でも、かつてぼくがここに来たことがあって、アンケートに答えて、さらにそれに当るってことを、キミのお母さんが予想できたとは思えないよ」
「でも、マママはここの館長とは知り合いなのよ。それに実は前にここでキミを見たことを思い出して画策したのかもしれないし……」
「じゃ、今回は奇跡じゃないってことになるわけ」
「そうねぇ……。本当のところは、わたしにもわからないけど……。でもマママがそんなふうに動いたってこと自体が奇跡ともいえるかな?」
首を傾げながらそう呟く。だから、ぼくは話題を変える。
「楽器は?」
「置いてきたわ」
「そう」
「わたしが運ぶには重過ぎるからね」
首を捻ってこちらを見て、
「やっぱり、キミのところに預けた方が良かったみたい」
「でも今日、ぼくが持ってきたとは限らないじゃない」
「あら、きっと持ってきたわよ。わたしに遭えると信じていたらね」
ほどなく場内が暗くなり、映画がはじまる。
アンソニー・ホプキンスは若い頃はどこにでもいそうなアクション俳優だったのに、いまでは、どこから見ても演技派の大スターだ。その移り変わりのきっかけは知らないが、例の黒人役をやった映画辺りだろうか、と思いを馳せる。もっとも今回の映画はバンクロフトのためのシャシンだ。彼女のおばさんぶりがとても可愛い。そして観るうち、これは本好きだったら堪えられない魅力を秘めた映画だとわかり、急にその内容に惹かれていく。かたわらを見やると、ディーもどうやら同じ気持ちだったようで、そんな辺りがしっかり繋がっているような気がして嬉しくなる。
ぼくたちは血が繋がっていない双子の姉弟なのかもしれない、と思ってみる。感じている親近感に、そんな雰囲気があったからだ。
でも、ただそれだけならば良いけれど、それでかつ恋人だったらドロドロ設定だよなぁ……。
『チャーリング・クロス街84番地』を観ていて驚いたのは、第二次大戦後に物資が不足していたイギリスにバンクロフト演じる古書好きの売れない脚本家ヘレーヌが送った『粉末卵』だ。プレゼントにはどちらがいい、というヘレーヌの問いかけに、本物よりは長持ちするけど、やっぱり粉末卵――それって何?――ではなく本物の卵の方が良いと多数決した古書店員たちの反応が面白い(ホプキンスが古書店のチーフマネージャー=フランクを演じる)。大戦後のイギリスが貧乏国家だったとは、ぼくは知らない。でも敗戦国よりは全然マシだっただろうとは思う。後で調べてみると、原作は実際に本人たち――ヘレーヌとフランク――の手紙をとりまとめた往復書簡集で、二十年に亘る交友関係がシンプルに綴られているらしい。いずれ読まねば!
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