16 最初の試み

 あのとき、公園は人で溢れかえっていたわけではなかったけれど、ディーの声質が透明なせいもあり、何人かの人たちは、ぼくたちの曲を聴いてくれたようだ。

 あのとき披露したレクイエムは、完全にではないけれど約三フレーズが繰り返される構成になっていて、フルに歌えば約四分かかる。とにかく状況に負けないため、ぼくたち二人は一生懸命トライする。それが通じたのかもしれない。曲が終わったとき、それはふうっと震えたようだ。目には見えなかったけれど、ぼくにもそれが感じられた……ような気がする。近くにいて、そしてぼくたちの方を見ていた何人かの人たちもそうだったようで、左横を見ると、ディーは涙を流している。そして、ゆっくりと、

「受け取ってもらえたのね。……ありがとう」

 と呟く。

 次の瞬間、気配がふっと立ち消え、疎らな拍手が背後からぼくたち二人を包み込む。

「女の子だったわ、小さな……」

 しばらくしてからディーが口を開く。

「もちろん、はっきり感じられたわけじゃないけど、でも間違いなく!」

 目を瞑り、姿を思い浮かべ、

「頭はおかっぱで、赤い服を着ていて、靴が黄色い。眉毛が太くて、目がクリンとしていて……。でも顔色は良くなくて……。病気の種類はわからないけど、とても腕が細い。お母さんと大きな飼い犬が大好きみたいで……」

 誰に伝えるでもなく言葉を発しながら、ディーが静かに涙を溢れさせている。嗚咽はしない。

 ディーのあの歌声は、地上を彷徨えるひとつの小さな魂を、きっと救い出してくれたに違いない。そう信じたい。同時にディー自身も救われたのだろうと、ぼくは思いたい。たとえ、それが本当にちっぽけな救いでしかないとしても……。

「次に向かいましょう」

 さらに、もうしばらくしてからディーが告げる。

 ぼくたちはゆっくりと道を辿り、ディーがゆっくりと前や左右を確認する。

「選ぶのは、わたしじゃないしね」

 口に出して、そんなことを言う。

「受け入れてくれるのは、あの人たちの方だから……。ごめんねぇ、勝手なことはじめて、さらにキミに付き合せてしまって……」

 そんなことを呟くので、

「そういう決まりになってるの?」

 と訊いてみると、

「決まりなんてないけどさ……。でも何となく、そんな感じがする」

 ディーが答える。

 次にぼくたちが許諾される場所まで行き着く間に――とにかく阿佐ヶ谷駅から歩きはじめ、線路近くの公園で歌を捧げた後は北上し、早稲田通りを渡ったり、また戻ったりしながら、かなりグニャグニャと歩いていたのだけれど――寺と神社、その前には地蔵堂を経由するも、そこには彼もしくは彼女たち、あるいはあの人たちはあまりいないようだ。

「そういうものなのかしらね?」

 首を傾げてディーが囁く。

「事件で死体遺棄されて何処かに埋められでもしない限り、普通はお葬式してもらえるからね。立派な読経が付くかどうかまではわからないけど……」

 と少し考えてから、ぼくが答える。

「それだけじゃ、きっとダメなのよ!」

「見えない空間みたいな薄いキラキラに、想い、っていうか、未練、なのかな、とにかく……果たせなかった何かを閉じ込めていると、そのうちそれが何だったのか判らなくなるんだよ。そうすれば、天に昇れる?」

「逆に、かえって解消できなくなるかもしれないかも……。わかんないけど」

 結局、次のあの人たちのひとりは別の公園で見つかる。

「ああ、そうなんですか? 聞こえてましたか? ええ、あの、わたしたちは……」

 しかし良く話を聞いてみると、ぼくたちの方が呼ばれたらしい。

「そういう力があるわけ?」

「さぁ、こちらのおばあさんはそう仰っていますけど……」

 チラとぼくの方を見て、

「わたしも曳かれたって感じはしなかったなぁ?」

 ディーにも感じられないとすると、ぼくなんてまったく無防備だ!

「ああ、お孫さんですか? 折り合いが悪かったんですね。でもまぁ、そういうこともあるでしょう。わたしのところは、おばあちゃんが越してくる前も、以前も、特に喧嘩したことはなかったですね。……男の子だったら、普通、クソババアくらい言いますよ。親だって、ババア、ジジイ、っていう子もいますからねぇ。ええ、本当に……」

 ちょっとカウンセリングになっているようだ。

 そして、その場の冷気が――実は最初は錯覚かと思ったのだけれど、時間経過とともに確かに身に感じられてきて――ディーとの会話によって徐々に和らいでゆくのがわかる。

 そろそろ頃合なのかな、と思っていると件(くだん)のおばあさんがディーに曲を所望する。

「じゃ、お願い!」

 そのときまでに、まるで漫才か、あるいは季節外れの学芸会の芝居の練習をしているとでも思われたのか、前の公園のときのように、ぼくたちのいた楓の大樹の近くに数人の人たちが集まってきている。今度は子供も二人いる。その中のひとりは、

「これから、なにがはじまるんだろう?」

 っていう、興味津々の顔つきをしている。もうひとりは、ただぼんやり。

「では……」

 申し訳ないけれど、いわゆるギャラリー……っていうか、オーディエンスは、ついでの聴衆と考え、気持ちを引き締め、ぼくが鍵盤に指を下ろす。前奏が終わり、ディーが歌いはじめる。雰囲気の変化から、ぼくたちのまわりにいる聴衆が魅了されたらしいことが感じられる。おばあさんの方の変化は、ぼくにはわからない。でも空気が硬くなるという感じはしない。曲が中盤に入り、やがてゆっくりと終章に至り、ついに歌い終わる。おばあさんの気配が消える。その途端に子供のひとりがひきつけを起こしたように泣きはじめる。びっくりして振り返ると、それはさっきぼんやりしてしていた方の子供だ。そのとき見た子供の涙を、どう表現すれば良いのだろう? 惑うまでもないか? それは惜別&哀惜の涙。真珠のように美しく輝いている。

 その後、公園のその一廓にいた聴衆から暖かい拍手をいただき、二人とも急に恥かしくなってしまい、ただペコペコと頭を下げながら逃げるように公園を去る。だから確認できなかったが、もしかしたらあの子にもおばあさんの姿が見えていたのかもしれない。

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