不穏な噂と重要な話
正午過ぎになると王立学院の食堂は生徒であふれ返る中にヴァルトルーデもいた。今日もエイミーと二人で食事をしている。メインディッシュは赤身の魚にホワイトソースをかけたものだ。
ナイフで切り分けフォークで口に運ぶヴァルトルーデの顔に笑みが浮かぶ。
「ん~おいしい! やっぱり学費が高いだけあるわね!」
「ヴァルテ、あんまりそういうことは言わない方がいいよ。礼儀作法の実習だと怒られちゃうでしょ?」
「実習のときはちゃんとするからいいの。これでも私、礼儀作法の成績は悪くないのよ?」
「あの先生の目をごまかせるのはすごいと思う。でも、礼儀作法ってそういうのじゃないと思うんだ。いつもちゃんとするものじゃない?」
「ま、まぁ確かにね。けど、実家に帰ったらあんまり使いそうにないから、そこまで身が入らないのよ」
「忘れているようだから思い出させてあげるけど、お婿さんを探すのにも礼儀作法は必要なんじゃないかな。いつも誰が見ているかわからないって先生も言ってたでしょ?」
「うっ、それを言われると何も言い返せないわ」
「ドレスを新調しただけだと男の人は振り向いてくれないと思うから、習った通りに食べるべきだよ。特にヴァルテの場合だと、色々ばれてるからね!」
「ごめん、悪かったからもうやめて」
親友に真正面から打ちのめされたヴァルトルーデはがっくりと肩を落とした。
その様子を見たエイミーは一旦しゃべるのをやめる。そして、きれいな所作で魚を切り分けて口にして頬をほころばせた。
落ち込んでいたヴァルトルーデも小声で不満をつぶやきながら食事を再開する。最初は不機嫌だった表情もじきに柔らかくなった。
口にした物を飲み込んだエイミーがヴァルトルーデに声をかける。
「そうだ、ここ数日高位のご令嬢たちが不幸に見舞われているって話は知ってる?」
「怪我や病気に見舞われているって話なら、他の人が話しているのを聞いたことはあるけど」
「それよそれ。今度はマーリオン様がご病気だって」
「また? これで何人目よ。新学期が始まってまだ一週間も経ってないじゃない」
「いくら何でも多すぎるよね。ザーラ様に始まって、ヘルガ様、デルテ様、それに今度のマーリオン様」
「いずれ貴族全員が不幸になるんじゃないかしら。でもそうなると私たちも大変な目に遭っちゃうのよね。どーしよ」
「わからないわよ。いずれも共通点があるって話だから、それから外れていれば不幸から逃れられるかもしれないってみんな話してるもの」
「共通点? そんなのあるの?」
「あるのよ。一つは伯爵家以上の高位貴族出身であること、もう一つはイグナーツ様の有力な婚約者候補だって話よ」
「はぁ」
真剣な表情で説明してくれるエイミーにヴァルトルーデは気の抜けた返事をした。微妙な表情のまま問いかける。
「病気や事故に遭うのに、身分や婚約者候補なんていう条件があるわけなの? まさか。呪われているわけじゃなし」
「えー、わからないよ? だって、単に高位貴族の女性というだけならたくさんいらっしゃるのに、立て続けに四人もイグナーツ様の有力な婚約者候補ばかり不幸になるなんておかしいと思わない?」
「確かにそう思いたくなる気持ちはわかるけど、それじゃ誰が呪っているっていうのよ?」
「例えば、どうしても自分がイグナーツ様の婚約者になりたいご令嬢とか、あるは自分の娘をそうさせたいご両親とか、あるいは婚約者候補そのものを憎んでいる人とか」
「その条件だと範囲が広すぎてわからないわね。でも、エイミーの言い分が正しいとすれば私は関係ないってことか。むしろ都合がいい?」
「あー、ヴァルテってばひどーい。自分が不幸にならないのなら他の人は不幸になっても平気なの?」
「そうは言わないけれど、結局どれも憶測でしかないでしょう。今はまだそこまで思い詰める必要はないんじゃない? ここで私達が怒っても何の解決にもならないんだし」
「それは、そうだけど」
冷静に指摘するヴァルトルーデにエイミーが言葉を詰まらせた。しょせんは噂と憶測なのでどんな主張も穴だらけである。難しい顔をして黙ったエイミーは目をつむってしまった。
その間に切り分けた魚をもう一口食べたヴァルトルーデが話しかける。
「さっき言ってた高位貴族のご令嬢でイグナーツ様の婚約者候補だけど、まだ無事な方ってあと何人なの?」
「えっと、何人かいらっしゃるけど、有力な方ですとギルベルタ様とパオリーネ様の二人だったはずだよ」
「エイミーの話してくれた噂を信じているなら、かなり怖がっていらっしゃるんじゃない?」
「ギルベルタ様はそれはもう怖がっているって聞いたことあるなぁ。何しろ部屋から一歩も出なくなってしまったって、お友達が悲しんでいたそうよ」
「相当参っていらっしゃるみたいね。部屋に閉じこもっていたら安全なのかわからないけど。それで、もう一人のパオリーネ様は?」
「それが、いつもとお変わりないんだって」
「お変わりない? 平気だっていうこと?」
「怖がっていらっしゃらないっていう話だよ。もしかしたらヴァルテと同じように呪いなんて信じていないのかもしれないね」
眉をひそめながら首をかしげているエイミーを見てヴァルトルーデは顔を引きつらせた。先日の夜に王立学院の雑木林で見た光景は現実だ。呪いを信じていないどころか、思いきり活用しているようにしか思えない。
しかし、限りなく黒に近くても直接何かをしたという証拠はなかった。今この状況でパオリーネを糾弾しようものなら追い詰められるのは糾弾した方になる。
もちろんこんなことはエイミーには言えない。下手に知ってしまうと逆に危険な話である。そんなことを知ってしまったヴァルトルーデは奥歯をかみしめるがもう遅い。
二人が昼食を楽しんでいると丸テーブルに影が差した。仲間二人を従えたシュテラがヴァルトルーデとエイミーを睨みつけている。
「あんた達、今パオリーネ様の悪口を言っていたわね?」
突然の質問にヴァルトルーデとエイミーは顔を見合わせた。今までの会話でパオリーネはほぼ出てこなかったし、最後の方で名前を出したがそれだけだ。
首をかしげたヴァルトルーデが首を横に振る。
「そのようなことは言っておりません。シュテラ様のお聞き間違えでは?」
「わたしの耳が悪いって言いたいの? 格下のあんたがよくもそんなことをわたしに言えるわね?」
「間違いは誰にでもあります。食堂内は今は騒がしいですから人の話が聞き取りにくいですし」
「それじゃさっき何を話していたのよ? 悪口じゃないというのなら説明できるわよね?」
「最近イグナーツ様の婚約者候補の方々が不幸に見舞われていて、まだご健在な有力候補はギルベルタ様とパオリーネ様のお二方だけだと話していました」
「ふ~ん」
不機嫌な顔のままシュテラはヴァルトルーデを睨み続けた。同じパオリーネ派の令嬢二人が左右に立っており、一人はヴァルトルーデをもう一人はエイミーを睨んでいる。
「あんたはどう思ってるのよ?」
「はい? 何をですか?」
「鈍いわね。パオリーネ様がご健在でいらっしゃることよ」
「よろしいことでだと思います。不幸に見舞われて喜ばしい方はいらっしゃいませんから」
「ホントにそう思ってるの?」
「何か疑われるようなことでもあるんですか?」
いきなり因縁をふっかけられたヴァルトルーデは少し不機嫌そうな顔を向けた。
逆に問われたシュテラは言葉に詰まる。睨んでいた表情が一瞬ゆるんだ。しかし、すぐ不機嫌な表情に戻る。
「ふん、ちょっと顔がいいからって調子に乗らないことね。もっとも、あんたの化けの皮はとっくに剥がれてるから調子になんて乗れないでしょうけど」
「私からもお伺いしたいことがあるのですがよろしいですか? パオリーネ様に近いシュテラ様ならご存じだと思うのですが」
「パオリーネ様に目をかけていただけているっていうのはその通りね。それで、聞きたいことって何よ?」
「実際のところ、パオリーネ様は今回のご不幸についてどう思われていらっしゃるのですか? さぞ怖がられているのではと思っているのですが」
「いいえ、泰然としていらっしゃるわ。呪いなんてまったく信じていらっしゃらないご様子よ。さすがパオリーネ様! 未来の国母にふさわしい振る舞いよね!」
「何事にも動じられないんですね」
「その通り! あんたなんかと違うんだから! さぁ、もう行きましょう」
すっかり上機嫌になったシュテラは足取りも軽く仲間と共に去って行った。
呆然とそれを見送るエイミーの横で、ヴァルトルーデは同じようにシュテラの後ろ姿を見ながら眉をひそめる。なぜ、パオリーネは平気なのだろうか。
親友から声をかけられるまでヴァルトルーデはそのままだった。
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