お願いしたいこと

 雑木林での騒動の後、ヴァルトルーデはすぐに王立学院から出た。時刻からすると帰宅の途につく頃だが、向かったのはパオリーネの実家グリム侯爵邸である。


 徒歩で邸宅に向かうと最初にその区画を一周した。屋敷の造りはもちろん、敷地を守る壁も白い石材でしっかりと造られている。正門だけでなく勝手口でさえも意匠を凝らした細工がなされていた。


 邸宅の裏側の路地で立ち止まったヴァルトルーデはため息をつく。


「さすがは羽振りのいい侯爵邸ね。で、何か気付いたことはある?」


『さっきから魔法の気配を感じるんだけどよ、どういったもんまでかはわかんねぇんだよなぁ。あるじ、こういう屋敷にはいつも魔法がかけられてるってことはあるのか?』


「位の高い人のお屋敷ならあるのかもしれないわね。ずっと魔法をかけ続けるとなると魔法具を使うのが現実的かな。ただ、こんな広いお屋敷だと相当大がかりになると思う」


『となると、中に入ってみねぇとわかんねぇなぁ』


「さすがに無理よ」


 間違いなく侵入者対策はなされているだろうし、発見されただけでも身の破滅である。


『見た方が早いんだけどな。ただ、一つだけ異質な魔法の気配を感じるぜ』


「異質? 魔法に違いなんてあるの?」


『水の魔法だと湿ってて火の魔法だと暑い、人間風に言ったらこんな感じになるんだ。で、他の魔法は割と無色透明っぽいんだけど、一つだけ暗い感じの魔法の気配があるんだよ』


「それだけじゃ何とも言えないわね」


『ところがよ、これエイミーにかかってた呪いと似た感じなんだ』


 ぼんやりと白い壁を眺めながら話を聞いていたヴァルトルーデは顔をしかめた。パズルのピースがまた一つはまった感じがする。


「状況証拠がまた一つ揃ったわ。でも、私一人で調べられるのはここが限界ね」


『最悪殴り込みでもかけたらいーだろ』


「それで破滅するのは私なのよ?」


『大丈夫だって、わしがあるんだから!』


「それが全然信用できないのよねぇ、特に性格が」


『ひでぇ。わし、足蹴にされてでもあるじの役に立ってるってのに』


「はいはい、ちょっとは感謝してるわよ。それじゃ、頼れる人のところに行きましょうか」


 西日が次第に強くなる中、ヴァルトルーデはグリム侯爵邸を後にした。


 次いで向かったのはグラーフ伯爵邸だ。こちらも伯爵家ながら敷地は広く屋敷の作りも豪華である。


 事前に断りなく訪ねたので会ってもらえない可能性もあったが、ヴァルトルーデは幸いアルの書斎に通してもらえた。中に入ると、いつも通りのアルが執務机の奥に座っている。


「珍しいね。約束なしでしかも仕事の話じゃないのにやって来るなんて。まずはそっちに座って。僕も今行くから」


「ありがとう。できれば人払いもしてほしいんだけど」


「きみの方からそんな話を振ってくるなんて初めてだな。何を聞かされるのやら」


 立ち上がったアルが肩をすくませながらおどけた。お茶の用意を済ませたメイドを室外へ下がらせると、黄土色のローテーブルを挟んだ先にある一人掛け用ソファに座る。


「それで、何の話なのかな?」


「実は先週、パオリーネ様が王立学院の雑木林で悪魔を召喚したのを見たの」


「何だって?」


「夜遅く仕事の帰りに王立学院の側を通りかかったら、偶然出くわしちゃったのよ」


「そんな目立つようなことをしていて他に誰も気づかなかったの? というか、ヴァルテはどうやって気づいたんだい? 夜中に王立学院の中に入る理由なんてないよね?」


「実はちょっとした事情で契約しちゃった魔剣が召喚魔法の魔力を感知したの」


「今日の話は情報量が多いなぁ」


「先に見せておくわね。これが魔剣よ」


 言い終わったヴァルトルーデは立ち上がるとアルから少し離れて右手を振った。すると、その手に魔剣が現れる。


「わしがオゥタドンナーだ。伝説の魔剣って呼ばれてるんだぜ。よろしくな!」


「その禍々しい剣はなんだい。いつもこんな物騒な代物を持ち歩いるの?」


「話せば長くなるんだけど、捨てられないのよ」


「はっはっはっ! わしとあるじはいつも一緒だぜ! いつでも敵をぶっ殺せるようにな! お前も誰か殺したいヤツがいるならあるじに頼んでくれよ!」


「そんな物騒な剣を持ってて平気なの?」


「段々と慣れてきている自分が時々嫌になるわ」


 渋い顔をしたヴァルトルーデが魔剣をローテーブルに置いた。アルは目に見えて困惑している。一方、オゥタは機嫌が良い。


「話を元に戻すわね。王立学院に通りかかったときにこのオゥタが雑木林から魔力を感知したのよ。それで、私は中に入ってパオリーネ様が悪魔を召喚するところを見たの」


「なるほどね、ようやく話の筋が通った」


「それが六日前の話。以後、王太子様の婚約者候補の方々が次々と不幸に見舞われたわよね。でも、これだけじゃ怪しくてもつながりはない」


「そうだね」


「でも今日、エイミーも呪いにかかったらしいのよ。そこのオゥタが感じたらしいわ。そして、さっきグリム侯爵邸に寄ったんだけど似た魔力を感じたそうなの」


「エイミー嬢のかかった呪いと同種の魔力がグリム侯爵邸から感知されたのか」


「婚約者候補の方々の不幸がエイミーと同じ方法で起きたのかはわからないわ。でも、グリム侯爵邸で何かしているのは間違いなさそうなのよ」


「それで、僕に何をしてほしいのかな?」


「お願いしたいことは二つ。一つは、パオリーネ様が召喚した悪魔を使って何をしているのか調べてほしいの」


「もう一つは?」


「エイミーにかかった呪いを解く方法を探してほしいの」


 話を聞いたアルは難しい顔をして黙った。しばらく目をつむる。


 その間、ヴァルトルーデはじっと待った。じっと友人の顔を見つめる。


 やがて目を開いたアルがヴァルトルーデに顔を向けた。真剣な様子で問いかける。


「なるほどね。そういうことなら僕に相談するのも不思議じゃない。ただ」


「どの話も証拠はないし、しっかりと繋がっているわけじゃないから根拠を求められると弱いのは自覚しているわ。でも、これ以上は私一人では調べられそうもないし」


「普通なら門前払いにするところだよ。推測の部分が多すぎる。でも、繋がっていないだけで話の筋は妙にしっくりくるのも事実なんだよね。さて、伝説の魔剣だっけ」


「なんだ? 殺すヤツでも決まったか?」


「物騒すぎるよ。そうじゃなくて、確認したいことがあるんだ。まず、パオリーネ嬢が召喚した男が悪魔なのは間違いないんだね?」


「間違いないぜ。わしは悪魔と戦ったこともあるから気配でわかるのさ。わしは騙せないぜ。あの娘っ子が気づいているかは知らねぇけどな」


「どういうことかな?」


「悪魔と知らずに契約したかもしれねぇってことだよ。自分の命と引き換えにでも叶えたい願いでもなきゃ、普通はあんな連中と関わらねぇだろ。それとも、王子様の婚約者になるってのはそこまで危ない橋を渡る価値があるのか?」


「僕個人の意見だけどそんな価値はないね。ということは、何かと勘違いしている可能性があるのか」


 若干難しい顔をしたアルがうなった。しかし、すぐにオゥタへと問いかける。


「それじゃ次は、グリム侯爵邸で感じた異質な魔法の気配だけど、それは確実かな?」


「確実だぜ。言葉で説明するのは難しいが、ありゃ悪魔が使ってる魔法だ」


「最後に、その悪魔が何かは知ってるかな?」


「それなぁ。はっきりとわかんねぇんだよなぁ。たぶん斬ったらわかるんだろうが」


「そうか」


 質問が終わったアルは背もたれに体を預けた。


 その様子を見ていたヴァルトルーデが声をかける。


「どう?」


「王太子様の婚約者候補の不幸がパオリーネ嬢のせいとは限らない。でも、悪魔と契約しているのが確実なら必ず何かをしているはず。それが他の候補者を不幸にするというものである可能性は高い」


「もう屋敷に突入してぶっ殺した方が早くね?」


「証拠もないのにそんなことはできないよ。でも、調査する必要はあるね」


「なら、調査してくれるのね?」


「そうだね。さすがにこれは王家も無視できないだろうし、報告はしなきゃね。少なくともグリム侯爵家とパオリーネ嬢の疑惑は追求しないと」


「エイミーの方は?」


「どんな呪いかはっきりとわからないから、解く方法については何とも言えない。けど、呪いを防ぐ方法ならあるかもしれない」


「よかった!」


「確実に防げるかはわからないよ。思い当たる魔法具が一つあるからそれを試してみよう」


「ありがとう!」


 こわばっていたヴァルトルーデの表情が明るくなった。断られてしまうと打つ手がなかったのだ。その様子を見ていたアルが苦笑いするがまったく気にしていない。


 ようやく安心できたヴァルトルーデはローテーブルにあるティーカップに手を伸ばす。そして、口を付けておいしそうに飲んだ。

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