恨み節
王立学院の敷地内に講義終了の鐘が鳴る。時刻は正午、昼休みの始まりだ。教師が終了を宣言すると室内が急に騒がしくなる。
生徒が次々に講義室から出て行く中、ヴァルトルーデは背伸びをしてから隣に座るエイミーに顔を向けた。すると怪訝な表情に変わる。
「どうしたのよ、エイミー。どこか具合でも悪いの?」
「うん、さっきからちょっと胸の辺りが気持ち悪くて」
「医務室に行く? だったら私がついていってあげるけど」
「ありがとう。お願い」
心配そうな顔をしたヴァルトルーデが青い顔をしたエイミーをゆっくりと立たせた。
王立学院の貴族子女の学び舎である淑女堂には一階の東の奥に医務室がある。ヴァルトルーデはそこまで送り、老医師に事情を告げてエイミーをベッドに寝かしつけた。
医務室を出てがらんとした廊下に出るとオゥタが声をかけてくる。
『あるじー、あのエイミーってヤツなんか呪われるようなことしたのか?』
「いきなりなによ? 単に具合が悪いだけでしょう?」
『それがな、今朝会ったときから妙な魔力が絡みついてるって思ってたんだ。それが段々と強くなってきて、今じゃはっきりと悪意のある呪いに成長したもんだからよ』
「なんでもっと早く言わないのよ!?」
『だって学内じゃ黙っとけって言ったじゃねーか』
「そうだった。でも呪いって、なんでエイミーが?」
『知らねーよ。ウラでなんか悪いことしてたとかじゃね?』
「エイミーがそんなことするわけないでしょ!」
『そんじゃ、あとは妬まれてるとかだな。ほら昨日の晩、王子様と踊ってただろ?』
「あんなの記念に一曲踊っただけじゃない。あれで呪われるっていうのなら、昨日踊った全員が呪われることになるわよ?」
廊下で立ち止まって反論したヴァルトルーデはうろたえていた。呪いといえばとっさに一人の顔が思い浮かぶ。
『誰が呪ったのかまではわかんねーが、エイミーに呪いがかかってるのは確かだ。ありゃまだ強くなるだろうから、対策は早めにした方がいいぜ』
「それなら放課後に詳しそうな人に相談しましょう」
魔法や呪術に詳しくないヴァルトルーデには何も思いつかなかった。なので、当てになりそうな人物に頼ることにする。
ところが、そう簡単には事を運べなかった。一日の授業がすべて終わってヴァルトルーデが帰ろうとすると、淑女堂を出たところで四人の令嬢に囲まれたからである。
「あんたがヴァルトルーデね。用があるからちょっとこっちに来なさい」
「用ってなんですか? 私は急いでるんですけど」
「いいから来なさい! シュテラ様に逆らう気なの!?」
厳しい顔つきで迫る令嬢のうち二人の顔をヴァルトルーデは思い出した。シュテラといつも一緒にいる子女だ。無視をして通り過ぎようとしたが腕を引っぱられて逃れられない。
連れて行かれた先は王立学院の北西部にある雑木林だった。東側は庭園、南東側は小舞踏館、南側は図書館と隣接する場所だ。人が寄り付く所ではないのでいつも静かである。
「こんなところで何をする気よ?」
「あんたにステキな出会いを用意してくださるのよ、シュテラ様がね」
いつの間にか三人になっていた令嬢のうちの一人がにやにやと笑っていた。
嫌な予感しかしないヴァルトルーデだが木を背にして三人に囲まれていては逃げられない。
しばらくするとシュテラが仲間の一人と男一人を引き連れてやって来た。その身なりから男は貴族だが王立学院の生徒ではないことがわかる。
口元をゆがめたシュテラがヴァルトルーデの目の前までやって来た。楽しそうに話しかけてくる。
「ごきげんよう。今日はあんたにいい話を持って来てあげたわよ」
「こんな強引に引っぱってきていい話?」
「そうよ。あんた、婿探しがうまくいってないんでしょう? だから、わたしが連れてきてあげたのよ」
「俺はボリス。お前のことは前々から気になっていたんだ。これからかわいがってやるよ」
一歩下がったシュテラに変わって隣に立っていたボリスが前に出てきた。やや脂ぎっているがなかなかの美男子である。しかし、にやにやと嫌らしい笑顔を浮かべたその顔は醜く見えた。
ボリスの背中にシュテラが声をかける。
「約束通り好きにしていいわよ。二度と人目に出られないようにね」
「はは、すぐに田舎に帰りたくなるようにしてやるさ。その前にその体をたっぷり楽しんでやるけどな!」
「痛っ! やめて!」
左肩を強く捕まれたヴァルトルーデの顔がゆがんだ。
それを見たボリスが鼻息を荒くする。右手をワンピースにかけた。獣そのものの表情を浮かべたボリスの顔がヴァルトルーデに迫る。
『あるじ、早くわしを使え! このままじゃヤられちまうぞ!』
「へへ、とりあえずここでやって後はってうぉ!?」
突然目の前に現れた黒い何かを見てボリスはのけぞった。一歩下がって改めて正面を見ると禍々しい黒濡れの両刃の長剣であることを知る。
魔剣を手にして過去の契約者の経験を生かせるようになったヴァルトルーデが動いた。体を硬直させているボリスに足払いをかける。悲鳴を上げて地面に転げた相手の右手が離れた。
尻餅をついた状態のボリスにヴァルトルーデは魔剣を突きつけて冷たく言い放つ。
「じっとしていてくださいね?」
「ひ、ひぃ! ま、待ってくれ、俺はシュテラに頼まれただけなんだよ!」
全身を震わせたボリスが歯を鳴らしながら助けを請うた。魔剣の切っ先がのど元に触れる度に悲鳴を上げる。
その様子を見ていたシュテラと四人の令嬢は硬直していた。暗い笑みを浮かべていた顔は恐怖で引きつっている。
動けなくなったボリスから目を離したヴァルトルーデが周りを囲む五人の令嬢に顔を向けた。一通り見るとシュテラを見据える。
「シュテラ様、どうしてこんなことをするんですか?」
「どこからその黒い剣を出したのよ!? さっきまでそんなの持ってなかったじゃない!」
「地面から生えてきたのかもしれませんよ。それより、どうしてこんなことをするんですか? 私は何もしていないのに」
「バカなこと言わないで! そんなの生えてこなかったでしょ!」
会話が成立しないことにヴァルトルーデはため息をついた。これでは何も聞き出せない。
魔剣の切っ先をボリスから外した。立ち去るように告げると這うように逃げていく。
阻むものがなくなってからヴァルトルーデは前に進んだ。シュテラの前で立ち止まると相手の顔が恐怖で歪む。
「私の質問に答えてくれませんか?」
「ひっ! あ、あんた、わたしを殺そうっていうの!?」
「そんなことするわけないでしょう。単に質問に答えてほしいだけです。どうしてこんなことをするんですか?」
「どうしてって、あんたが気に入らないからよ!」
「私はシュテラ様に何もしていませんよね?」
「うるさい! 最初っから大嫌いだったのよ! ちょっと美人だからってちやほやされて、男にしょっちゅう言い寄られて! みんなあんたのことなんて大っ嫌いなんだから!」
予想していたことだが、真正面から負の感情をぶつけられたヴァルトルーデは悲しそうな表情を浮かべた。シュテラの言い分はヴァルトルーデからすれば八つ当たりになるが、少なからぬ貴族令嬢たちがそう思っていることは知っている。
思い返せば、王都に来てから美人だったことでよい目を見たことはあまりなかった。貴族子弟からは性的に見られることが多く、貴族子女からは嫉妬されることが多かったのだ。
例外的にアルやエイミーのように普通に接してくれる友人がいるのでまだ何とかなっている。しかし、これで友人すらいなかったら耐えられなかっただろう。
結局のところ、ヴァルトルーデ自身ですらその美貌を持て余しているのだ。それだけに、嫌いというだけで男をけしかけられてはたまらない。
「だからといって男の人に私を襲わせるなんてやりすぎでしょう。これが露見したらパオリーネ様にご迷惑がかかるんじゃないんですか?」
「パオリーネ様は関係ないわよ!」
「ええそうでしょうとも。だからこそ、こんなことでご迷惑をおかけするのはどうなのかと言っているんです」
「うっ!」
「もういいです。今回のことはなかったことにします。ですから、これからはもう私に関わらないでください」
「言われなくったって、誰が!」
最後に一言叫ぶとシュテラは走り去った。仲間四人も悲鳴を上げてそれに続く。
雑木林にはヴァルトルーデ一人が残った。魔剣を消すと頭の中に声が響く。
『なかったことにするなんて、ずいぶんと優しーじゃねーか』
「どうせなかったことにされてしまうからよ。当事者以外誰も見ていなかったし」
周囲に目を向けると暗さを増す雑木林だけが目に入った。人影は見当たらない。証拠になるようなものも当然ない。
肩を落としたヴァルトルーデはため息をついた。
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