交差する思い(エイミー/パオリーネ サイド)

「それじゃ、王太子様と一曲踊るのはどうするのかな?」


 アルから提案されたエイミーは目を見開いた。婚約者候補かどうかに関係なく参加令嬢は一曲踊れるという。


「もうここまで来たら記念に一回くらい踊ってもらわなきゃ!」


 絶世の美人である親友の言う通り、これは開き直りだ。来月には大舞踏会がここで開催されるのだから、それの予行演習と考えると悪くない機会である。


 親友たちと別れるとエイミーは順番待ち行列の最後尾に立った。


 夜会に参加している貴族の数がそもそも少ないので列に並ぶ令嬢の人数も少ない。たまに高位貴族の中に混じった男爵令嬢へ奇異の視線を向けてくる令嬢もいる。


 幸い嫌悪感を露わにする令嬢がいなかった。記念に王太子と踊りたいと希望する者は他にもいたからだ。


 短めの演奏が一曲終わるごとに王太子と踊る令嬢が入れ替わる。その度にエイミーの番が近づいてきた。その度に表情がこわばっていく。


「やっぱり緊張してきたぁ。よく考えたら、あたしってそこまで上手に踊れないのに」


 弱気な表情を浮かべるエイミーが生唾を飲み込んだ。目の前で王太子と踊る令嬢たちは高位貴族だけあって誰もがそつなく舞っている。


 もちろんエイミーも王立学院での演習や舞踊の習い事で日々練習していた。しかし、それでも足りないところが多いのだ。


 一人また一人と令嬢が王太子と踊ってゆき、いよいよ次はエイミーの番となる。緩やかな音楽とともに王太子と令嬢がくるくると円を描いていた。


 きれいに舞う他の令嬢をエイミーが羨ましそうに眺める。


「いいなぁ。あたしもあんな上手に踊れたらなぁ。やっぱり小さい頃から習わないとできないのかな?」


 演奏が終わった。まばらな拍手が湧き上がる中で令嬢が王太子に一礼して去る。そして、王太子がエイミーへと顔を向けた。


 緊張で目を見開いて息をのんだエイミーはその場で固まる。


 その様子を見た王太子は笑顔のまま近づいて来た。そのまま慣れた様子で手を差し伸べながら告げる。


「そこまで緊張しなくても大丈夫だよ。さぁ、お手を」


「は、はい」


 震える手を差し出すと、エイミーは包み込まれるように王太子にかき抱かれた。その優しくも力強い動きに目を丸くする。


 緊張したまま演奏の始まりを耳にしたエイミーが動揺した。しかし、構うことなく王太子は笑顔で導いていく。


 王太子の動きは慣れたものだ。緊張しているエイミーも難なくリードしていく。


 最初は不安そうだったエイミーの表情が困惑したものに変わった。


 その様子を面白そうに王太子が見ながら口を開く。


「緊張してうまく踊れないというご令嬢は珍しくない。体の力を抜いて合わせてばいい」


「はい、わかりました」


 始まりのときに比べて落ち着いてきたエイミーはうなずいた。少しずつ王太子の動きについていけるようになる。


 ゆっくりと回りつつも、緊張のほぐれたエイミーに王太子が改めて声をかける。


「落ち着いてきたようだから尋ねてもいいかな。君の名は?」


「エーデルシュタイン男爵家のエイミーです。初めまして、イグナーツ様」


「こちらこそ。君があのエイミー嬢か」


「あたしのことをご存じなんですか!?」


「友人から話を聞いたことがある。アル・グラーフからね。もう一人の美人と有名なご令嬢と一緒に仲良くしてもらっているって」


「アル様は、なんておっしゃっていましたか?」


「とても元気で明るい子でちょっと夢見がち、だったかな」


「恥ずかしいですぅ」


 人づてに聞いた自分の評価を王太子イグナーツから聞いたエイミーは赤面した。足がもつれそうになって支えられる。


「も、申し訳ありません」


「構わない。女性を支えるの男の役目だからね。慣れないというのなら任せてくれていいよ。平気だから」


「ありがとうございます」


 赤面しながらもエイミーはほほえむイグナーツを見返した。


 輝くような銀髪、意志の強そうな太い眉、金色の瞳、やや彫りの深い鼻、引き締まった口元、そして全体を見ると精悍な顔つきという美丈夫だ。貴族令嬢が騒ぐのも無理はない。


 演奏も後半に入った。相変わらず頬は赤いままだったが、エイミーは少しずつ踊り慣れてくる。イグナーツがうまく導いてくれるので踊りも安定してきた。


 ようやくエイミーにも余裕が出てくるのだが、今度はイグナーツの顔を見つめるようになる。美形の王太子だからという理由だけではない。


「あれ?」


 それは子供の頃の記憶だった。エーデルシュタイン男爵領から王都へ引っ越して来たばかりの頃の話である。


 両親から聞かされていた王都は幼いエイミーには輝いて見えた。どこを見ても建物だらけで、地面は舗装されていて、お店は数えきれないくらいあって、はるか向こう側まで続く道には途切れることなく人がいる。


 何もかもが新しい王都で生活を始めたエイミーは大いにはしゃいだ。お気に入りの桃色のワンピースを着て初めて両親と外出したときはあちこち駆け回ったくらいである。


 しかし、気がつけば見知らぬ道でひとりぼっちになっていた。右も左も分からないエイミーは涙を浮かべてしゃくり上げる。


『どうしたの?』


『え?』


 声をかけられて振り返ったエイミーは自分と同じくらいの背丈の男の子を見た。どこか裕福な商人の子供にも見えたが、その割には品がありすぎるようにも見える。


『あんた、お名前はなんていうの?』


『ごめん、俺は名乗っちゃいけないって言われているんだ』


『なによそれ、変なの! それじゃあたしも名乗ってあげない!』


 出会いの形はよくなかったが、それでも子供だと大きな障害にはならなかった。すぐに仲良くなって一緒に街中を駆け回る。それから二人は夢中になって遊んだ。大人に制約されないという開放感が二人を小さな冒険へと導く。


 しかし、何事にも終わりがある。日差しが朱くなる頃にはどちらも別れのときが近づいていることに気づいていた。


 夕日が見える高台で男の子が手を差し出してくる。


『ねぇ、俺と踊ってくれないかな』


『でもあたし、まだ習い始めたばっかりでぜんぜん踊れないよ?』


『いいよ、俺が教えてあげるから』


『ほんとに? それじゃ踊ってあげる!』


 そうして一度だけ二人は手を取り合って踊った。演奏はなかったが遠くから聞こえる喧噪が静かに盛り上げ、舞踏会場の輝きの代わりに西日が照らす。


 日差しがより朱くなる頃に二人は踊り終わり、二人はその場で別れた。そして、最後に男の子が見せた寂しそうな笑顔が目の前のイグナーツの顔と重なる。


 そこでエイミーは目をしばたたいた。相変わらず笑顔のイグナーツはかつての男の子と似ている。しかし、髪と瞳の色はまったく違った。


 気がそれているエイミーに対してイグナーツが問いかける。


「どうしたのかな?」


「あ、いえ、なんでもないです。ちょっと昔のことを思い出しちゃって」


「そうなんだ。実は俺もなんだよ。ただ」


 何か言おうとしたイグナーツだったが演奏が終わった事に気づいた。次の令嬢をあまり待たせるわけにはいかない。エイミーは自ら離れる。


 一歩離れたエイミーは一礼した。再び顔を上げてイグナーツを見ると困ったような笑顔を浮かべている。その表情がなぜかあの男の子の顔と重なった。




 今回の夜会は王太子との交流を深めるためのものだとパオリーネは聞いていた。婚約者の選考が平等になるよう全員が王太子にお披露目されるのである。


 主催者である王家の意図はもちろんそのとおりなのだろう。しかし、この夜会は事実上自分のお披露目会だとパオリーネは確信していた。


 お供として連れてきたシュテラ嬉しそうにささやいてくる。


「パオリーネ様に対抗できそうな者はいませんわね。当然のことですが」


「皆さん不幸に見舞われてしまいましたからね。競い合い高め合いたかったのですが」


 小声で返事をしながらもパオリーネは周囲を見回した。候補者は何人かいるが自分以上の令嬢はいないことに笑みを深める。


 親睦を深めるために王太子と一曲踊ったが何も問題はなかった。後は記念に王太子と踊る令嬢の相手を終えてお開きである。そのはずだった。


 ところが、一人だけ王太子と距離が近い令嬢を目にする。踊り自体は不格好だが、王太子が自分以上に気安く接しているように見えるのだ。


 顔は王立学院の食堂で見たことがある。シュテラが馬鹿にしていた顔の良さだけが売りの田舎者の隣に座っていた子女だ。後のお茶会でシュテラから聞いた名を思い出す。


「エーデルシュタイン男爵家のエイミーでしたわね?」


 だたの男爵令嬢で婚約者候補ではないが、王太子と妙に距離が近いのが気にくわなかった。婚約者選定では何が起きるかわからない。摘み取れる芽は摘み取っておくべきである。


 エイミーが王太子から離れた後もパオリーネはずっとその姿を睨んでいた。

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