第3章 懐古と悪意

夜会の同伴者

 案内された書斎は簡素で落ち着いた雰囲気の部屋だった。大きな濃褐色の執務机、茶色の本棚、そして黄土色のローテーブルに一人掛け用ソファが三脚、目立つ調度品はそのくらいですべて木製である。


 執務机の前で立っているヴァルトルーデは正面で座っているアルの頭を眺めていた。紙の束を一枚ずつ確認している。


「特に間違いもないし、これでいいよ」


「やった! 手直しなしっていいわね!」


「次はこっちの契約書の写しを作ってもらうね。結構多いよ」


「今日中には終わらないわね。先に写してほしい契約書ってあるかしら?」


「上から順番でいいよ。今日はできた分だけ見せて」


 手渡された紙の束はヴァルトルーデの思った以上に分厚かった。何枚かめくって見てみると、屋敷に出入りする商人や業者との契約書である。


「前から疑問に思っていたけど、アルってグラーフ伯爵家を継ぐの?」


「継がないよ。これは僕がお願いして仕事をさせてもらっているんだ。王立学院を卒業したらどこでも働けるようにね」


「当主になる以外で家の仕事が役に立つところっていったら、婿入りするか、誰かの家臣になるか。う~ん、なんかアルらしいようならしくないような」


「生きていくためには働かなきゃいけないんだから準備をしておかないとダメだろう。らしさで言ったら、きみこそもっと優雅に婿探しをしていないとらしくないだろう」


「みんな貧乏が悪いんです。ということで、もっとお給金を上げてください」


「ここでそう来るか。きみって本当に正直だよね。もっと本音を隠そうとは思わないの?」


「正直に生きなさいって両親に躾けられましたから!」


 すかさず賃上げを要求するヴァルトルーデにアルは力なく笑った。そして、椅子の背にもたれかける。


「きみが王太子様の婚約者候補だったとしても、案外不幸に見舞われないかもしれないね」


「今、絶対に皮肉ったわよね?」


「半分は。けどもう半分は本心さ。ヴァルテは王太子様の婚約者候補に不幸が続いているっていう話は知ってる?」


「さすがに知ってるわよ。パオリーネ様の取り巻きに詰め寄られたくらいですから」


「詰め寄られた? どうしてまた」


「今日のお昼に食堂でエイミーとその噂をしていて、パオリーネ様のお名前を出したときにちょうどシュテラ様が通りかかって」


「きみがパオリーネ嬢の名前を言っただけで詰め寄ってきたのか。随分とピリピリしているな。もしかして、相当神経質になっているのかもしれない」


「それがまったく平気そうにしているってシュテラ様が自慢げに話されていましたよ。呪いなんてまったく信じていらっしゃらないご様子だって」


「そうなの?」


 予想が外れたという表情のアルは少し目を見開いた。それからすぐに眉をひそめてあさっての方へと目を向ける。


 考え事をしているアルを目の前にヴァルトルーデも内心迷っていた。パオリーネの秘密を知っているからだ。しかし、告げるにはまだ迷いがある。


 やがてアルが再びヴァルトルーデへと目を向けた。そして口を開く。


「思っていたよりもパオリーネ嬢の胆力があるのかな」


「そうかもしれないわね」


「ただ、ギルベルタ嬢が病気になったと聞いたらどうなんだろう」


「今なんて?」


「今朝、正確には夜中になんだろうが、ギルベルタ嬢が熱を出したらしい。僕も詳しくは聞いていないからどの程度なのかまでは知らないけどね」


「ということは、これで王太子様の婚約者候補は」


「有力な候補という条件を付けたら、パオリーネ嬢だけになる」


「こんな状態じゃまともに選定できると思えないわ。中止か延期にすればいいのにね」


「それができたらしてると思うよ。何にせよ、パオリーネ嬢の動向は今後要注意だね」


 肩をすくめたアルは椅子の背もたれに背を預けた。


 それを合図に踵を返そうとしたヴァルトルーデだったが、書類の束を胸に抱えたまま立ち止まる。


「アル、あんまりこういうのを頼むのは心苦しいんだけど、私のことをあんまり知らない人が参加する夜会ってありそうかしら?」


「いきなりだね。婿探しってそんなに切羽詰まってるの?」


「エイミーの伝手のところはほとんど行っちゃってもう私のことをみんな知っているのよ。誰か一人くらい引っかかってもいいのになぁ」


「その美貌の持ち主からそんな言葉を聞けるなんてね。ある意味奇跡的だよ」


「今、絶対に皮肉ったわよね?」


「半分だけね。しかし困ったな。僕は夜会にはあんまり出ないから」


 天井を見上げたアルが目を閉じてうなった。しかしすぐに顔をヴァルトルーデに向ける。


「僕の同伴者ということで参加できる夜会が一つあるよ」


「アルの同伴者?」


「王太子様と婚約者候補のご令嬢の顔合わせをするための夜会なんだ」


「それって高位貴族しかいないじゃない」


「一人で参加すると色々と言われそうだから相手がほしいんだ。ヴァルテなら子爵家だし伯爵家の僕と家格は釣り合うだろう?」


「私の方が行く意味がなさそうね。きっと私の噂を知っている人ばかりでしょうし」


「そう言わないでくれ。地味に困ってるんだよ。もし引き受けてくれたら、僕が夜会を主催するときにきみに合いそうな人を見繕って招待するからさ」


「だったらエイミーも一緒に誘っていい? アルと離れたときに一人だと壁の花になるのは確実だから」


「あーそうか、そうだよね。うん、まぁいいかな」


 一瞬考えるそぶりを見せたアルはうなずいた。


 一方のヴァルトルーデはあまり気乗りしていない。それでも引き受けたのは今後に期待できるからだ。こうなるとエイミーが貧乏くじを引くことになるが、それは二人が後日埋め合わせするかないだろう。


 取り引きが終わった二人はそれぞれの仕事を始めた。




 二日後、ヴァルトルーデは王城の近くにあるオースターモーント舞踏会場の中にいた。精緻な装飾が施されている会場は見る者たちの目を楽しませる。王家所有の格式高い会場で貴族子女憧れの的だ。


 今夜はここで王太子イグナーツと婚約者候補の貴族令嬢が顔合わせをする。なので、参加者は高位貴族がほとんどだ。


 そんな中に入り込んだものだからヴァルトルーデもエイミーも不安顔である。


「ヴァルテ、あたしたちって浮いて見えるんじゃないの?」


「言わないで。ドレスにかけるお金の額が桁違いなのは予想していたことなんだから」


「わーん、来なきゃよかったって思える夜会なんて初めてだよぅ」


「本当にごめん、後で必ず埋め合わせするから」


「カミレの特製チーズケーキ一週間分ね」


「待ってあれ高いじゃないのよ。せめて二日にして」


 小声で話し合いながら二人は周囲に顔を巡らせた。王族所有の舞踏会場だけあって広い。そして、その割に参加者が少ないので人影はまばらだ。それだけに一人一人が目立つ。


 はるか遠方には、輝くような銀髪に金色の瞳の王太子イグナーツが婚約者候補の貴族令嬢たちに囲まれていた。その中には赤いドレスを着たパオリーネもいる。少し離れた場所には黄色いドレスを着たシュテラが立っていた。


 自信なさげな二人の前を黒地の上着に白の礼装用ズボンのアルが歩いている。そのアルが立ち止まった。そして振り返る。


「そこまで不安にならなくてもいいよ。婚約者候補以外にも賑やかしで何人も来ているから。二人のそのドレス似合っているよ」


「アル様、ありがとうございますぅ」


「ありがとう。でも、似合ってるかどうかが問題じゃないのよ」


「う~ん、女性ってそのあたりが難しいよね」


 苦笑いしながらアルが二人の姿を改めて眺めた。


 ヴァルトルーデはベージュ色のドレスを着ている。髪の毛を後頭部で複雑に結っていて大人っぽい。一方、エイミーは白色のシンプルなドレスだ。宝石をあしらった櫛で茶色い髪を飾っている。


 どちらも美人であり可愛らしいが、確かに周囲の高位貴族の令嬢に比べると地味であった。特にヴァルトルーデのドレスは流行遅れということもあって女性としては心苦しい。


「それじゃ、王太子様と一曲踊るのはどうするのかな?」


「このドレスって二年前のやつだから私は恥ずかしくて無理」


「あたしはお相手してもらってもいいのかなぁ?」


「候補者じゃなくても一曲なら問題ないよ」


「エイミー、あなたさっき来なきゃよかったって言ってなかった?」


「もうここまで来たら記念に一回くらい踊ってもらわなきゃ!」


「開き直ったわね」


「決まりだね。それじゃヴァルテは僕と踊ろう」


「え、本当に私と踊るの!?」


「夜会に来て一度も踊らない気でいた方が驚きだよ。さ、行くよ」


 エイミーと別れたヴァルトルーデは目を丸くした。そのままアルに手を引かれ、流れる演奏に乗って適当な場所で踊り始める。


 最初は動揺していたこともあって体全体がぎこちなかったが、最後の方はどうにか様になっていた。

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