第9章 麗しの君から愛しの君に

断罪と婚約破棄、そこからの売り込み

 悪魔の悲鳴が消えた会場内でヴァルトルーデは魔剣を振り下ろした格好で固まっていた。視線は魔剣の剣先に注がれている。


 会場中の王侯貴族の視線はヴァルトルーデに集まっていた。誰も口を開こうとしない。


 しかし、その静寂をオゥタがあっさりと破る。


「いやぁ、うまかったぜ。やっぱこうでないとなぁ。あるじ、またなんかぶっ殺そうぜ!」


「ぶっ殺しません! 何を言ってるんですか、あなたは!」


「けどよ、悪いヤツはどんどんぶっ殺した方が世の中のためになると思うぜ?」


「例えそうだとしても、私たちがやる必要なんてありません!」


「えー、つまんねーよー」


 突然始まった寸劇に周囲が唖然とした。つい先程の騒動とのあまりの落差に誰もが戸惑う。お互いに視線を交わして様子を窺う者もいた。


 そんな中、イグナーツがヴァルトルーデの背後から声をかける。


「少しいいだろうか?」


「あ、はい! なんでしょうか?」


「あの悪魔と名乗っていたものはもう退治したのだろうか?」


「いいぜ! わしが残らず全部喰ってやったからよ! 他にもいるんなら紹介してくれ!」


「あいにく悪魔に知り合いはいないな。紹介はできない」


「しなくてもいいです! これのことは無視してください」


「ひでーなー。わしちゃんと活躍したのにー」


「話が進まないから黙ってて。それで、どうされたのでしょう?」


「君たちはあの悪魔についてどのくらい知っているんだい?」


「部分的に知っているだけです」


 前置きをしてからヴァルトルーデは自分の知っていることを話した。王立学院の雑木林でパオリーネがあの悪魔を召喚したことに始まり、空き倉庫でエイミーとアルを救ったことまですべてである。


 令嬢に対する呪いについては何も話せなかったが、それでも充分に衝撃的な話だった。


 聞き終えたイグナーツが顔をしかめて呻く。


「弟から間接的に話を聞いていたが、改めて聞くとすごいな」


「弟? アル、様からですよね?」


「まだ話してなかったな。君の言っているアルというのは俺の弟アルベルトなんだ。アルベルト、こちらへ」


 振り向いたイグナーツに声をかけられたアルベルトがその脇へと進み出てきた。笑顔で指を鳴らすと、髪の毛の色が銀髪から暗い金髪、瞳の色が金色から茶色へと変化する。


「え? あれ? アル?」


「そうだよ。そして、アルベルトでもあるんだ。グラーフ伯爵家は母上の実家だったからね。簡単にごまかせるのさ」


「嘘でしょ。だって私、お友達感覚で話したり、仕事をさせてもらったり、あああ、不敬罪じゃないですか!」


「変装していたときのことなんだから、そんなことは言わないよ」


「騙したなー!」


「ははは! 確かにそうだね。実に変装のしがいがあって楽しかったよ」


 左手の人差し指を突き出して叫ぶヴァルトルーデを見てアルベルトが楽しそうに笑った。その態度も不敬なのだがヴァルトルーデは気付いていないし、アルベルトは無視している。


 そんな二人のやり取りを楽しそうに見ていたイグナーツは踵を返して振り向いた。厳しい視線の先には呆然としたパオリーネが立っている。


「パオリーネ、先程の悪魔の証言と今のヴァルトルーデ嬢の証言について、何か申し開きはあるか?」


「騙されたんです。わたくしは精霊を召喚したつもりだったのです。それなのに悪魔だったなんて知らなかったのです!」


「百歩譲って間違って召喚したということは認めよう。しかしだ、あの悪魔は君との契約でご令嬢たちを不幸にしたと言っている。つまり、悪魔か精霊かに関わらず、君は各ご令嬢を不幸にする明確な意思があったというわけだな?」


「わたくしはっ!」


「しかもだ。婚約者選定に関係のないはずのエイミー嬢まで殺そうとした。俺の弟アルベルトを使ってだ!」


 顔を蒼白にしたパオリーネをイグナーツが睨んだ。強く握っていた右手を突き出し、人差し指を婚約者へと突きつける。


「この様子だと他にも余罪があるのだろうが、各ご令嬢への呪い並びに我が弟とエイミー嬢の殺害未遂、この二つは特に重い。このような身の毛もよだつ罪を犯した者を婚約者としては到底認められない。パオリーネ・グリム、君との婚約を破棄する!」


 静かな会場内にイグナーツの声が響いた。続いて衛兵を呼ぶ。


 宣告を聞いたパオリーネは膝から崩れ落ちた。体が震えている。しかし、すぐに顔を起こした。その鋭い視線の先にはヴァルトルーデがいる。


「お前さえいなければ! あの婚約者候補でもない男爵家の女さえ王太子様に近づかなければ!」


「言いにくいんですけど、実は私とアル、いえアルベルト様って、パオリーネ様が悪魔を使ったっていう証拠は掴んでいなかったんです」


「は?」


「あの悪魔がさっき天井で叫ばなかったら、私たちってパオリーネ様のことは疑っていてもそれ以上は追求できなかったんです。その証拠に、パオリーネ様はイグナーツ様とご婚約できたでしょう?」


 口を開いたまま呆然とするパオリーネを見たヴァルトルーデは何ともいえない顔をした。しかし、説明はそのまま続ける。


「ですから、どうして悪魔を怒らせるようなことをしたのか不思議なんです。きちんと報酬を渡していたらうまくいっていたのに」


 大きく目を見開いているパオリーネは無言だった。口を震わせるだけで声はない。


 次いでオゥタが楽しそうにしゃべる。


「バカなヤツ。精霊と勘違いしてたってことは書物か道具を使って召喚したんだろうが、お前、中途半端な知識でそれを使ったろ?」


「うっ」


「しかも、うまく立ち回ってただ働きさせようとしたんだよな。報酬がなんだったのかは知らねぇが、半分でも渡しときゃ文句言いながらでも素直に帰ったかもしれねぇのによ」


「くっ!」


「人間より圧倒的に強い悪魔が、何でわざわざ契約なんて面倒なことをして人間に使われていると思う? あいつらなりに美学があるからさ。そりゃ人間とは全然別の理屈だけどよ、その美学に沿ってりゃ、あいつらも意外に紳士なんだぜ?」


 ヴァルトルーデたちが話をしていると衛兵が四名やって来た。そのうち二名がパオリーネを無理矢理立たせ、もう二名が先導する。


 引きずられるように連行されるパオリーネがヴァルトルーデの脇に差しかかった。そのとき、オゥタが更に話し続ける。


「悪魔なんて使うとろくなことにならないけどよ、原因はほとんど呼び出した人間側に問題があるんだ。あいつらがムチャクチャするときって、大体人間が不義理なことをしてるときなんだよなぁ。強制力はねぇが、契約するときは道義も結構大切なんだぜ?」


 話を耳にしたはずのパオリーネは反応を示さなかった。そのまま会場外へと連行されて姿が見えなくなる。


 会場は再び静寂に包まれた。一連の事件の犯人は捕まったものの、とても大舞踏会を再開する雰囲気ではない。


 それはヴァルトルーデにも理解していた。本来ならここで退場したい。しかし、アルベルトやイグナーツが目を向けてきている。


 遠目にエイミーの姿を捉えたヴァルトルーデは目を見開いて手招きした。今度はエイミーが驚いた表情を見せる。


「エイミー、ちょっとこっちに来て!」


「な、なによ。こんなときに呼ばなくても」


 道を空けられてしまったエイミーは恐る恐るやって来た。


 目で抗議をしてくるのを無視してヴァルトルーデはイグナーツの前まで連れてくる。


「王太子様、さっき婚約破棄をされたということは、また婚約者を選び直しになるんですよね?」


「そうなるな。もっとも、しばらく間を開けることになるだろうが」


「でしたら、このエイミーを婚約者候補にしてもらえませんか?」


「ヴァルテ!?」


「別に誰でも候補者にはなれるんですよね?」


「確かにそういうことにはなっている」


「それでは、悪魔退治の報酬ということでお願いしますね」


「君はそれでかまわないのか? アルベルトから聞いているが君だって」


「いいんです。私の場合はまだ相手を見つけられる可能性はありますけど、エイミーはこの機会を逃すと舞台の上にすら上がれないですから。はたから見ていて嫌なんですよ」


 王太子の婚約者候補には貴族の子女ならば誰でもなれるのは確かだ。しかし、実際にはそうなっていないのはそれだけの理由がある。


 それでも尚エイミーを候補者にするよう勧めるということは、暗に婚約者にしてはどうかと推薦していることに等しい。少なくとも貴族ならばそう受け取る。


 悪魔退治の報酬がどの程度なのかは人によって意見が分かれるところだ。しかし、その報酬が王太子の婚約者候補に親友を推薦することになると話は変わってくる。貴族たちの実利に絡むことだからだ。


 ただ、今は実在した悪魔を葬った本人が魔剣を手にしている状態である。うかつなことは言えない。


 その場にいた誰もがイグナーツへと目を向けた。

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