王太子の決断

 悪魔を退治したヴァルトルーデにしてみれば、一番の報酬はその退治した事実を会場内にいる王侯貴族の記憶から消し去ることだ。この事件をみんなが覚えている限り、例え婿候補を紹介してもらってもうまくいかない。


 生活費の援助も脳裏に浮かんだが悪魔退治の報酬としては何か違うとヴァルトルーデは感じた。そうなると、王家に望むものはなくなる。


 だったら親友のために何かしようとヴァルトルーデは考えたのだ。おあつらえ向きに通常なら実現不可能なことが目の前にあるのだから。


 言うだけ言ったヴァルトルーデの顔はさっぱりとしていた。周囲と同じくイグナーツへと顔を向ける。


「どうですか、王太子様?」


「そうだな。君がかまわないというのなら」


「兄上、本当によろしいのですか?」


 疑問の声を上げたアルベルトにヴァルトルーデは目を見開いた。真っ先に賛成してくれると思った人物だったからだ。


 呆然とするヴァルトルーデをよそにアルベルトが問いかける。


「確かに王太子の婚約者候補の条件に照らし合わせれば、エイミー嬢を候補者にすることは問題ありません。しかし、悪魔退治の報酬として受け入れるということは、最有力候補として考慮してほしいという要求も同時に飲むということです」


「確かに。形だけ候補者にしておくだけでは功績を買い叩くことになってしまう。そんなことをしたら、今後は王家の頼みを聞いてくれる者がいなくなるからな」


「その通りです。そして、兄上の婚約者というのは未来の王妃、この国を支えるもう一つの柱です。果たして、その柱にエイミー嬢はふさわしいと思いますか? 個人だけではなく、そのご令嬢の実家も含めてです」


 最初は戸惑っていたイグナーツの顔が次第に真剣なものに変わった。それを真正面から見据えたアルベルトが尚も語る。


「婚約者の選定が貴族の勢力争いの一端になっている面は確かにあります。しかし、それを乗り越えて国を治めていく必要があるのです。習慣的に高位貴族出身者が候補者を占めるのはそのためです」


「そうだな、わかっている」


「では改めてお伺いします。エイミー嬢はふさわしいと思いますか?」


 無表情のアルベルトが自分の兄に問いかけた。ヴァルトルーデの要求を形だけ受け入れるつもりならばやめろ、本気で受け入れるのならばその意思を示せと。


 誰もが黙って見守る中、イグナーツが落ち着いた様子で口を開く。


「アルベルト、そなたが言ったことは正論だ。いや、現実的な意見といった方がいいか。ともかく、その意見に従った方が周囲の軋轢はもっとも少ないと思う。しかし、今回の件でその現実的なやり方もどうかと感じたのだ」


「何をどう感じられたのです?」


「婚約者の選定が貴族の勢力争いの一端になっている面があると言ったが、今やその勢力争いの面が強く表れすぎていると感じたのだ」


「その調整をするのもまた大切なお役目でしょう」


「しかし、その調整の末にパオリーネ嬢のような者が現れた。アルも知っているだろうが、すべて現実的な方法で選んだにもかかわらずだ」


「エイミー嬢を婚約者に選ぶのがその問題を打開する方法だとおっしゃるのですか?」


「正直なところ、どうなるかわからない。わからないが、次も現実的な方法で選んだとして、本当に問題なく選べると思うか?」


 問い返されたアルベルトはやや目を細めて黙った。


 その間にイグナーツが更に語り続ける。


「俺の選択が茨の道であることは理解している。エイミー嬢が本当に未来の妃としてふさわしいとも断言できない。でもそれは、今回のことで爵位の高い貴族の出身であっても同じことだと皆も理解できたと思う」


「だから、エイミー嬢を選ぶと?」


「そうだ。現実的な方法で婚約者を選んでもひどいことになる可能性があるのなら、ここは一つ真実の愛を試してみたい」


 言い切ったイグナーツがエイミーへと振り向いた。呆然としている男爵令嬢に手を差し出す。


「幼い頃に出会った麗しの君よ、再び巡り会えたときに何も変わっていないことを知って俺は本当に嬉しかった。王太子としてだけでなく、俺自身を見てくれる君とこれからの人生を歩みたい。どうかこの手を取ってくれないだろうか」


「え? あ」


 笑顔を向けてくるイグナーツとその手をエイミーは何度も見た。しかし、すっかり固まってしまって動けないでいる。


 そんな親友を隣で見たヴァルトルーデはため息をついた。右手の魔剣を消してから体ごと向き直る。


「何を迷ってるのよ。さっさとその手を取っちゃいなさいよ」


「でも」


「今更腰が引けてどうするのよ。いつも食堂で麗しの君についてその素晴らしさを延々と語っていたくせに。確か、手をつないで心臓が飛び上がりそうになったり、踊っていたときに顔が近くて」


「わーわーわー! 今言う!? それ今言っちゃうの!?」


「食堂で堂々と悦に入ってたんだから、別にここで言ってもいいじゃない」


「みんな自分の話に夢中になってる食堂と、全員が注目してる今とじゃ全然違うよね!?」


「やっといつものエイミーに戻ったわね」


「最低! 他にもっといい方法ってなかったの?」


「いつまでも王太子様を延々とお待たせするわけにはいかないでしょう。ほら」


 ヴァルトルーデが手のひらを向けた先には手を差し出したままのイグナーツが立っていた。二人のやり取りを見て苦笑いをしている。


 顔をそちらに向けたまま固まりかけた親友の体をヴァルトルーデは押し出した。よろけたエイミーがイグナーツの目の前まで進み出る。


「あの、あたし、まさかこんなことになるなんて思ってなかったんで、何の心の準備もできてなくて」


「俺もだよ。悪魔退治の報酬でいきなり示されるまではね」


「あたし、イグナーツ様の婚約者になるための礼儀作法とかも全然知らなくて、本当にご迷惑をかけてしまうと思うんです」


「それはこれから身につけていけばいい。誰だって最初からできるわけじゃない」


「本当に、本当にあたしでいいんですね?」


「君がいいんだ、エイミー」


「嬉しい! 本当に一緒になれるなんて!」


 目に浮かべた涙をこぼしながらエイミーがイグナーツの手を取った。同時に引き寄せられて抱きしめられる。


 舞踏会場内は最初静かだった。しかし、そこへアルベルトの拍手がまず響く。続いてヴァルトルーデ、更には周囲の貴族たちにも広がっていった。やがてその拍手は会場内を埋め尽くす。耳をつんざかんばかりの盛大なものになった。




 悪魔が現れてからの最悪の雰囲気は舞踏会場から完全に消え去った。今では誰もがイグナーツの決断を称えている。


 割れんばかりの拍手に大きな歓声が会場内を包み込んだ。周囲に祝福された二人は満面の笑みでそれらに応える。もうその行く手を遮る者はいない。


 その様子を近くで見ていたヴァルトルーデも拍手していた。親友の思いが通じたことを誰よりも喜んでいる。


 イグナーツとエイミーの周囲には次第に人が集まってきた。その人々に場所を譲るようにヴァルトルーデは徐々に二人から離れてゆく。笑みを浮かべながらもある程度離れるとそっと踵を返した。


 静かに壁を伝って玄関までたどり着くと大きく息を吐き出す。


「やっと終わったぁ」


『あるじ、もう帰るのか?』


「帰るわよ。これ以上いても仕方ないもの」


『婿探しはあきらめんのか?』


「んなわけないでしょう! ここではもうできないからよ。おうちに帰って次の作戦の練らなきゃ」


 ドアマンに近づいて馬車を玄関前まで回すようお願いすると、ヴァルトルーデはため息をついた。その表情は冴えない。


「あーもう、どうしよう。今回ので魔剣を使うってことがみんなに知られちゃったから、ますます婿探しが難しくなるぅ」


『もうその辺の適当な男をかっさらって持って帰ったらどうなんだ?』


「バカ言いなさいよ! そんなのでうまくいくわけないじゃない!」


『それじゃどうすんだよ?』


「前にエイミーが言ってたけど、まだ社交界に出ていない年下の人を」


『騙して引っ張り込むってか? かっさらうって言ったわしとそんなに変わんねぇような気がするんだが?』


「人聞きの悪いことを言わないで!? 先入観がないか少ない人に私のことを知ってもらおうとしているだけよ」


『同じように思えるんだけどなー』


 馬車を待っている間、ヴァルトルーデはオゥタと不毛な会話を交わした。あまり明るくない未来の話なので気が重くなる。


「こうなったら、隣の国にでも出向こうかしら。そこならまだ知られていないはず」


『よその国の片田舎にわざわざ行きたがるヤツなんているのかねぇ?』


「う、る、さ、い、な。刃をすり潰すわよ?」


『おーこえー』


 それきりオゥタは黙った。ヴァルトルーデも憮然としながら口を閉じる。


 舞踏会場内からは緩やかな演奏が聞こえてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る