悪魔の末路

 大舞踏会はメインイベントである舞踏が続いた。楽団による演奏が終わる度に男女が入れ替わり、次の演奏によって皆が踊る。


 王太子であるイグナーツと婚約者パオリーネも同様だ。次々と求められるままに一曲ずつ踊った。


 それもやがて終わりの時がやってくる。最後はイグナーツとパオリーネが舞って舞踏の時間を締めくくった。湧き上がる拍手に応えながら二人は笑顔で壁際へと寄る。


 一連の様子をヴァルトルーデはテラス近くから眺めていた。その隣には頬を上気させたエイミーがいる。


「ああ、イグナーツ様との一曲、素晴らしかったわ!」


「よかったわね。周りから見ていても幸せそうに見えていたもの」


「そう? ふふ、確かに幸せだったもの。今まで憧れていただけの麗しの君との最後の、これで最後の」


「エイミー?」


「ひっく。これで最後なのよね。もうあの方とあれほど近くに寄れるのは」


 涙を浮かべてしゃくり上げるエイミーを見てヴァルトルーデは何も言えなかった。やはり気持ちは割り切れていなかったのかと悲しむことしかできない。


 そのとき、いきなり光の玉がすべて消えて会場内が薄暗くなる。蝋燭が揺らめいているため真っ暗ではなかったが、あまりに突然だったのであちこちで怒声や悲鳴が起きた。


 驚いたのはヴァルトルーデとエイミーの二人も同じである。しかし、周囲を見ても人が右往左往していることしかわからない。


「外に出られんぞ!?」


「まるでガラスがあるみたい! どうしてお庭に出られないのよ!」


 真っ先に外へ避難しようとした人々が悲鳴を上げていた。外の景色は見えるのに透明な何かで遮られて進めない。誰もがその不可思議な状態に焦っている。


「ヴァルテ、一体何が起きたの?」


「そんなこと私に言われても」


『あるじ、上を見てみな。やっぱりいやがったぜ』


 オゥタに言われるまま天井へと顔を向けると確かに何かがいた。蝋燭の光はほとんどそこまでとどかないのではっきりと見えない。


 しかし、すぐにその問題は解決した。光の玉が再び現れて会場内が明るくなったからだ。


 そこには人間以外の何かがいた。全身黒色で山羊の頭に両側から角が出て巻いており、上半身はたくましく、四本は腕あり、下半身は馬の後ろ足で焦げ茶色の尻尾をしている。


 つり上がった目の中にある赤い瞳が人間達を見下ろしていた。犬のような口が開いて言葉が発せられる。


「儂の名はヨーナス! パオリーネ・グリムに召喚され契約した悪魔なり!」


 唐突な宣言に上を見上げていた王侯貴族は誰もが沈黙した。悲鳴を上げていた貴婦人も口を開けたまま固まっている。それは名を告げられたパオリーネも変わらない。


 人間の視線を浴びながらヨーナスが言葉を続ける。


「一月前、儂は召喚に応じパオリーネという小娘の元へと参じた。要求は、『自分が婚約者になるまでに、王太子に近づく女はすべて排除すること』であった。そこで儂は自らが望む報酬を条件にその要求を受け入れて契約をした」


「嘘よ! でたらめよ! わたくしは悪魔となんか契約していないわ!」


「ははは! 貴様は精霊と契約したつもりだったのだろうが、貴様が手にしていた書物は儂のような悪魔を召喚するものだ」


 ヨーナスによって暴露された事実にパオリーネの顔は蒼白になっていた。


 そんな元契約主をあざ笑いながらヨーナスは話を続ける。


「そうして、儂は指示された貴族のご令嬢に不幸をもたらした。ザーラ嬢に始まり、ヘルガ嬢、デルテ嬢、マーリオン嬢、そしてギルベルタ嬢とな。結果はここにいる貴様たちの知るとおりだ」


 見上げていた貴族の中にはパオリーネへと目を向ける者が現れた。動揺、疑念、憤怒などその瞳に宿す感情は様々である。


「しかし、儂は更に婚約者候補でもないエイミーという令嬢を殺せと命じられた。仕方なく儂はそこにいる弟王子を利用して殺害しようとしたが、失敗した」


 自分の名前を出されたエイミーの肩が跳ね上がるのをヴァルトルーデは隣で見た。しかし、利用された弟王子と聞いて首をかしげる。あれはアルだったはずだ。


 そんなヴァルトルーデの疑問をよそにヨーナスの演説は最高潮を迎える。


「そして、その一つの失敗を理由として約束された報酬を反故にされたのだ! 契約の内容に沿った要求はすべて叶えたというのに、余計な要求を実行させた上に失敗したら報酬はなしというのはおかしいではないか! 儂は働きに応じた報酬を要求する!」


 ヨーナスの訴えを聞いていた貴族達は微妙な雰囲気に包まれた。特に下位貴族は似たような論法で上位貴族にやり込められることがあるので同情するものも一部現れる。


「私も似たようなことされて報酬をもらえなかったことがあったわね、そういえば」


『なんつーか、あるじもあの悪魔も大変だなぁ』


「パオリーネ様って、悪魔によくもそんな恐ろしいことができたものね」


 驚きの表情のままエイミーがため息を漏らした。


 会場内にざわめきが広がる中、パオリーネの叫びが響く。


「嘘よ! 全部でたらめよ! 第一、契約を結んだという証拠なんてないじゃない!」


「確かに契約を解除した時点でその証は消える。しかしな、儂が呪った跡はそのまま残っているぞ、お前の屋敷の中にな!」


「え?」


「もしあくまでも報酬をよこさないというのならば、その王太子イグナーツの命をもらい受けよう。儂の働きによって婚約者の座についたのだから、それをなかったことにしてくれる」


「ふざけないで! そんなこと許されるものですか!」


「あくまでもよこさないつもりだな。よろしい、王太子イグナーツよ、前へ出ろ」


「う、あ」


 パオリーネの横に立っていたイグナーツの体が一瞬震えるとゆっくり歩み出した。周囲が呆然と見守る中、アルベルトがイグナーツにすがりつく。


「兄上! 行ってはいけません!」


「離れ、ろ。そな、たも」


「くそ、悪魔め! 僕だけでなく兄上までも操るとは!」


「ハハハ! お前ごときの魔法などなんということはない。オゥタドンナーは厄介だが、あれも離れていてはなにもできまいて」


 天井付近に浮いているヨーナスに対してアルベルトが魔法を何度も放った。火の玉、氷の槍、風の刃、岩の礫、しかしどれも悪魔の目の前ではじかれて届かない。


 それをヴァルトルーデが見ているとオゥタが声をかけてくる。


『あるじー、そろそろ行かなきゃまずくね?』


「うるさいわね、わかってるわよ。エイミー、ちょっと行ってくるわね」


「ヴァルテ?」


 親友の返事を待たずにヴァルトルーデは王子二人の元へと駆け寄った。その間に出現させた魔剣を右手に握る。


 周囲が見守る中、ヴァルトルーデは王子二人の前に立った。そして、ヨーナスを見上げる。


「私の目の前まで降りてきなさい、ヨーナス。いえ、破滅の悪魔ルイナ!」


「な、なんだと!?」


 目を見開いたヨーナスが震えながら呻いた。同時にその体が徐々に下へと降りてくる。


 その光景に誰もが驚いた。ヨーナスがヴァルトルーデに従うとは思わなかったからだ。


 降りてくる間、ヨーナスがわめく。


「馬鹿な! なぜお前が儂の真名を知っているのだ!? 誰にも明かしていないのに!」


「それにゃわしが答えてやるぜ。前に空き倉庫でお前の半身と戦って喰ったときに知ったんだよ。わしは魂を喰らうからな、その魂に刻まれたものは読み取れるのさ。お前が操った人間の記憶をのぞけるようにな」


「なんと! お前にそんな能力があったとは! ぬかったわ!」


 魔剣と言い合いをしている間にも悪魔の体は下におり続けた。ついに床へと足を付ける。その瞬間、ヨーナスが鋭い爪の生えた右手を振りかぶった。


 すかさずヴァルトルーデが命じる。


「ルイナ、動かないで! そのままじっとしていなさい!」


「うぐぅ! お、おのれ小娘! 契約もなしに儂に命令するなど生意気な!」


「元はといえばあなたが襲ってきたのが先でしょう。逆恨みも甚だしいわよ!」


「あるじ、こいつこのまま殺っちまおーぜ! 放っておいてらぜってー悪さするしよ!」


「お前に言われる筋合いなどないわぁ!」


「賛成したくないけどオゥタの言う通りなんでしょうね」


「待て、待て待て! 儂と契約しないか!? 望みを叶えてやるぞ!」


「パオリーネ様の様子を見ていると、そんな気にはなれないわね」


「しかしだな、そのままでは魔剣のせいで結婚もできんのだろう!?」


「あ、バカなヤツ。あるじの傷を抉りやがった」


 大きく息を吸い込んで吐き出したヴァルトルーデが魔剣を振りかぶった。その瞳には一片の慈悲もなく、手加減なしに振り下ろされる。


「成敗!」


「ぎゃー!」


 振り下ろされた魔剣は悪魔を左肩から半ばまでを切断した。そして、そのまま魔剣が悪魔の命を吸い取る。断末魔は悪魔の体が消滅するまで続いた。


 やがて悪魔の叫びが止む。会場内には静寂が訪れた。

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