第8章 悪魔の告白

大舞踏会

 新しい月になった。日差しは夏から秋のものに変わり、ずいぶんと穏やかになる。しかし、この時期のフロイデ王国貴族の話題の中心は天気ではない。


 十月最初の休日に貴族社会で重要な社交の場である大舞踏会が開催される。場所は王城の近くにあるオースターモーント舞踏会場だ。


 もちろんヴァルトルーデも参加する。そのために生活費を切り詰めてドレスを新調したのだ。ここが張り切りどころと本人は気合いを入れている。


 舞踏会場の正門を馬車で通り抜けて敷地内に入ると多くの来場者が往来していた。順番待ちの末に馬車が玄関前に着くとドアマンが馬車の扉を開く。


 馬車を出たヴァルトルーデの姿は、ベージュを基調とした肩口がレースケープ風のドレスに黒い靴だった。金髪はきれいに梳かれて流れるように腰まで伸びている。


「さて、エイミーはどこかしら。あ、いたわ」


 会場内へと続く階段を上った所に桃色を基調としたロングドレスで着飾ったエイミーが立っていた。セミロングの明るい茶色の髪を小さい宝石をあしらった可愛らしいティアラで飾っている。しかし一番目立つのはその大きな胸の膨らみだろう。


 こちらに小さく手を振っているエイミーにヴァルトルーデは笑顔を向けながら近づいた。お互いに挨拶を交わす。


「すぐに見つかって良かったわ。それにしても、やっぱり参加者が多いわね」


「今回は初めて王太子の婚約者のお披露目があるもんね」


「お相手のことを考えるとあんまり見たくないんだけど、そうもいかないのが困ったわ」


「仕方ないって。もう決まっちゃったことだし。それよりも、ヴァルテは自分のことを心配するべきよ。そのドレス、新調したんでしょ。似合ってるわよ」


「ありがとう。大丈夫よ。今年こそは! たぶん、きっと」


「どうしてそこで自信をなくすのよ。大丈夫だって! 噂なんて気にしない!」


「噂? あんまり聞きたくないけど、どんなものなの?」


「知らない方が幸せだと思うよ」


「あああああ」


 真顔で目を背けたエイミーの目の前でヴァルトルーデはうずくまりそうになった。とっさに親友が止めたが顔を彩る絶望は抜けない。


「エイミー、私どうしたらいいの? もしかして今年もダメなのかしら?」


「何も知らなさそうな男の人を見つけるしかないと思う」


 ため息をついたエイミーの助言は期待できないものだった。


 二人で一緒に入った会場内は、きらびやかな装飾が蝋燭と魔法の光の玉によって輝いているため非常に明るい。その明るさが参加者の出で立ちをはっきりと映し出している。


「こうなったら、おいしいごちそうをたくさん食べるしかないわね!」


「勝負する前にあきらめたらダメだよぅ。あたしも手伝ってあげるから」


「エイミーは何にする? どうせ舞踏の時間になったら食べる時間なんてなくなるでしょう、あなたは」


「それ自分で言ってて悲しくならない? でも、食べるのには賛成ね。あのお肉をいただきましょう」


「おいしいもので心を満たすからいいの。さぁ、早く行きましょう」


 談笑する人々の間を縫って二人は料理の並ぶ壁近くまで進んだ。色とりどりの料理が並んでおり、それを給仕が取り分けてくれる。


 その間に会場の奥から歓声と拍手が沸き起こるのを二人は耳にした。取り皿とフォークを受け取ると揃ってそちらへと足を向ける。


 二人が人垣の奥から目を向けると、王太子イグナーツが婚約者パオリーネを伴って入場したところだった。


 イグナーツは金糸で刺繍された黒地の上着と白地の礼装用ズボン、それに黒の長靴という出で立ちだ。長身で引き締まった体にとてもよく似合っている。


 パオリーネは赤を基調に銀糸で装飾された肩がむき出しのロングドレスに赤い靴という姿だ。背中の半ばまである明るい金髪を頭の後ろでまとめ上げていて非常に華やかである。


 しばし二人は今夜の主役たちを眺めていた。エイミーはため息をつく。


「きれいねぇ」


「以前シュテラ様に教養やその他色々と格が違うって言われたけど、あれを見ると確かにそう思えてくるから悔しいわ」


「あたしじゃあそこまで華やかに着飾れないけど、ヴァルテならどうにかなるんじゃない?」


「黙って立ってるだけなら何とかなると思うけど、受け答えするとなると無理だと思う」


「そうやってお食事しながら眺めているところを見ちゃうと納得しちゃうわね」


「うっ」


 ちくりと刺されたヴァルトルーデはエイミーから視線を逸らした。その先には普段パオリーネの元に集まっている令嬢たちがいる。これから将来が約束された子女たちだ。


 この世の春を謳歌しているその集まりを見てヴァルトルーデはため息をつく。


「楽しいんだろうなぁ」


「こんなに美しい花に陰りが差すなんて残念だね」


 後ろから声をかけられたヴァルトルーデが振り向いた。


 そこには輝くような銀髪、金色の瞳、それに透き通るような白い肌の儚げで線が細い少年がいる。金糸で刺繍された黒地の上着と白の礼装用ズボン、それに黒の長靴と王太子の衣装と同じだ。


 脇にいるエイミーが目を見開いて一礼していた。とっさにヴァルトルーデも倣う。


 二人の護衛を従えた少年がヴァルトルーデに笑顔を向けた。それを見たヴァルトルーデはとっさにアルの顔を思い浮かべる。非常によく似ていた。髪と瞳の色以外は。


「突然声をかけてすまない。僕はアルベルト、イグナーツ兄上の弟だよ」


「あ、はい、存じております。私はイェーガー子爵家のヴァルトルーデと申します」


「知っているよ。兄上から話は聞いているからね。何でも友人のところで働いているとか」


「ええそうです。その方とお声まで似ていらっしゃるので驚きました」


「母上がグラーフ伯爵家の出身だから似るのも当然さ。少し三人で話をしないか」


「は、はい」


 突然の誘いにヴァルトルーデは戸惑った。それはエイミーも同じらしく困惑の表情を浮かべている。


 笑顔を浮かべたままのアルベルトに誘われて二人はバルコニーに出た。会場内では舞踏の時間が始まったところだ。その賑やかさを背景にアルベルトが口を開く。


「まずは王家の者として礼と謝罪を。今回の兄上の婚約者選定に関わる一連の疑惑解明に協力してくれたことに感謝する。そして、その過程でかなり危ないことをさせてしまったことを謝る」


「私も望んでやったことですから。王太子様のご友人が敵の手に落ちたときは本当に焦りましたけど」


「確かにそうだね。それとエイミー嬢もひどい目に遭ったそうだね。悪魔に囚われた上に体に細工までされたと聞いているよ」


「お気遣いありがとうございます。隣のヴァルテに助けてもらったので大丈夫です」


「そうか。これだけは二人に話しておきたいと思っていたから、会えてよかったよ」


 肩の荷が下りたという表情をアルベルトが二人に向けた。そして、そのまま話を続ける。


「ところで、もう舞踏の時間が始まっているけど、二人には誰か決まったお相手はいるのかな?」


「私にはおりません」


「わたしもです」


「それなら、兄上と一曲踊ってきてはどうかな。最初と最後以外は他のご令嬢も兄上と一曲踊れるよ」


「私は遠慮いたします。長い列を待たないといけないですし、不用意に目立つのはちょっと困りますので」


「確か、婿探しをしているんだっけ?」


「それも王太子様からお聞きになったのですか?」


「の友人からの又聞きだけどね」


「あいつ、余計なことを! 後で締めてやるんだから!」


 よそ行きの仮面が剥がれてヴァルトルーデの顔に怒りが表れた。隣にいたエイミーに肘でつつかれると我に返って愛想笑いをアルベルトに向ける。


「エイミー嬢はどうかな? 兄上との関係は一応耳にしている。恐らくこれが最後の機会になると思うけど」


「わたしは、その、踊ってみようかなと思います」


「どうして私を見るのよ? いいじゃない。私は私でやることがあるんだし」


「そうね。なら、最後に一曲お相手してもらおうかな」


「決まりだね。兄上も喜ぶと思うよ。おっと、そろそろ他を回らなきゃいけないらしい。ではこれで」


 二人が一礼する中、アルベルトは笑顔のまま会場内へと戻っていった。


「それじゃ、私たちも行きますか。舞踏の時間が終わったらまた会いましょう」


「なら、このテラスの前で待ち合わせようよ。あんまり人が来なさそうだし」


 うなずき合うとヴァルトルーデとエイミーは会場内で別れた。


 その後、ヴァルトルーデは何人かの男性と話をしたが最終的に去年と同じ結果に落ち着いてしまう。


 一方、エイミーは舞踏の時間の終わりにイグナーツと一曲踊った。それは見る者を魅了するほどではかったかもしれない。しかし、エイミーの表情からはとても幸せなひとときを過ごせたことがわかる。


 そしてそれは、遠くから眺めていたヴァルトルーデには王太子も同じように見えた。

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